うわじまのおもいで

下灘駅訪問の翌日、宇和島に向かった。宇和島といえば、宇和島水産高校と鯛めしの街である。調べてみると「ほづみ亭」という老舗の大衆割烹店があるらしい。漁業の街の老舗大衆割烹店は、どう考えても失敗のない飲食店である。ほづみ亭をメインに、宇和島で一泊することにした。

ところで、鯛めしといっても、愛媛には2種類あるらしい。松山あたりの鯛めしは、焼いた鯛をコメと一緒に炊き込んだ鯛めしである。一方、宇和島あたりに行くと、生卵入りのタレに漬けた鯛の刺身を、温かい白飯にかけて食べる。

僕は最近の子供のありがちな、焼き魚が苦手なアラフォー4歳児である。小骨を取るのは面倒くさいし、魚を美しく解体して食べるには不器用すぎる。松山の鯛めしには苦手感しか抱けない。やっぱり宇和島・ほづみ亭だろう。

松山からJRに乗って、昼過ぎに宇和島に到着した。まずは昼食と土産発送依頼を兼ねて、じゃこ天屋さんを廻る。ちょっとした買い食いだが、ここで満腹になっている場合ではない。その後は古い宿場町を見に行ったり、夕暮れの宇和島港を見に行ったりして時間をつぶし、夕食の時間を迎えた。

満を持して、ほづみ亭に向かった。橋のたもとにある、ちょっと古風な居酒屋さんである。店員さんは親切で、お値段も手ごろ。素晴らしい。郷土料理と地酒を中心に色々と頼んだ。ちょっと酔っぱらい、でも満腹になる直前で、ついに鯛めしを注文。

しばらくすると鯛めしが運ばれてきた。漬け汁の中に鯛の刺身が入っている。そこに黄色い生卵。卵をかき混ぜて溶き、タレの中で刺身と絡める。おひつから御飯をよそい、汁を絡ませた刺身をのせて食べる。うまい。夢中で食べる自称4歳児。

よくよく考えてみれば、そりゃ美味しいだろうと思う。

地元でとれた新鮮な鯛の刺身と卵。ダシの効いた醤油ベースのタレ。ふっくら温かいご飯。

ほづみ亭と鯛めしは最強の組み合わせだった。愛媛が誇る失敗のない町、宇和島である。

まつやまのおもいで

昨年後半はロクでもない日々が続いていたが、さすがにイヤになったので現実逃避することにした。

天草富山小樽釧路など、昨年は魚が美味しそうな土地を訪問していたが、その流れで探したい。瀬戸内なんて良いだろう。ネットを探していると、松山から伊予大洲までの海沿いを走る観光列車「伊予灘ものがたり」があり、終点の伊予大洲から更に南下すると宇和島がある。じゃこ天と鯛めしの町だ。

愛媛に行ったことのあるオッサンに聞いたところ、観光列車が途中停車する下灘駅というのが良いらしい。伊予灘を見下ろす場所にある無人駅だそうである。ここに夕陽を見に行くのが良いだろうとのこと。

僕の場合、旅行と写真撮影とブログはセットになっているので、旅行先の天候は重要である。

たとえば香港に行くなら秋が良いとか、統計的な晴天率などはWeather Sparkというサイトで分かる。それとて指標でしかなく、季節的な要素を考慮した上で、最後は運を天に任せるしかない。

いままでの人生で一番良かったホテルは、マッターホルンを見渡せるホテルである。スイスの山奥で昼間やることは限られているにも関わらず、朝焼けと夕焼けを見るためだけに連泊の予定を組んだ。特に冬が良いと思っているのだが、嵐の日が続いてしまい、延泊するために現地で日程変更したこともある。

国内旅行は週末を絡めた短期集中が多く、天気にあわせた修正が難しい。釧路湿原に行った時も同様だったのだが、一発勝負になりがちである。

データー上、12月の愛媛の天候は悪くない。実際、訪問の前週までは晴天が続いていたが、僕の行った週は微妙な天気になってしまった。当日、松山に着いたときは晴天だったが、14時くらいから雲が増え始める。

松山には知り合いがいて、お世話になることになった。松山空港でピックアップしてもらい、ちょっと観光に連れて行ってもらってから、下灘駅へ向かった。車中、雲の量とともに暗くなる僕の心。

下灘駅は観光地だった。駅自体は無人駅なのだが、駅前にはオシャレな移動式コーヒーショップがある。

そんな駅で、若い女性が何枚も写真を撮っている。美女が駅に佇む写真である。僕の写真には、自分自身を含めて人間が映り込むことが極めて少ないので、オッサンには理解できない構図である。今どきの若い女性は自己顕示欲が強いのだろうか。

しばらく観察していると、どうやらインスタ用らしい。「バエスポ」とのこと。たぶん向こうからすると、風景写真を撮り、ブログを書いているオッサンの方が自己顕示欲が強いのだろう。

夕方になるにつれて、雲は上がりはじめた。美しい夕焼けというわけにはいかなかったが、写真的には悪くない。むしろ夕陽を諦めて帰る人が多かったせいで、風景写真としては助かった。

夜は松山に戻り、市内のバーに連れて行ってもらった。松山には「露口」という老舗のバーがあって行ってみたかったのだが、たまたま知人が古い常連客だったのだ。最後に1枚写真を撮らせて頂いた。僕にしては珍しく、人間主体の写真である。

昭和生まれのオッサンには、写真もバーも地味な方が良いと思った。

しんねん

多くの人にとって2020年はCOVID-19に振り回された一年だった。僕も多少なりとも影響を受けたのだが、それ以外にも災難が多かった。7月に五十肩、9月にギックリ腰をやらかし、ダイエットにも失敗して11月からは糖尿病の投薬も始まるなど、後半はロクでもない日々だった。

一方、会社では7月に毎週のように貰い事故があった。それらは8月以降に重症化し、12月まで月1回のペースで重大なトラブルに巻き込まれていた。

集中力だけでサラリーマンをこなしており、会議は全力で避け、喫煙で中座することもない事務仕事である。実際のところ、仕事のクオリティ的には月間の残業は40時間が限界であると思っている。

そうと分かってはいるのだが、9月以降の残業は月45〜55時間レベルで推移していた。

これが続くと耳下腺炎を引き起こしがちなのだが、やっぱり12月に入って耳の奥が痛くなった。これまでは基本的に放置していたのだが、似たような痛みで中耳炎になったことがあり、災難が続いていることもあって、念の為に病院に行った。やっぱり過労、ストレスが原因と思われる耳下腺炎で、抗生物質とロキソニンで徐々に解決。

これ以上の状況悪化はないと思っていたのだが、その後、たまたま小火災に遭遇してしまった。初期消火の手伝いをしたところ、消防の事情聴取中に咳き込んでしまい、念の為と説得されて救急搬送。

念の為とはいえ、臨時の通院が12月に2回。ここまでくると、クスブリ人生というものではないだろうか。

以前に浅田次郎さんのエッセイで、クスブリは伝播するという話を読んだことがある。不幸の連鎖というやつだろう。

僕のダメ加減を他人に伝播させるわけにはいかない。

うつらない、うつさない。COVID-19対策でマスクをするように、お祓いに行く必要がある。

他力本願な神頼みは基本的に大好きであり、以前にも近所の有名神社へお祓いに行こうと思ったことはあった。その時は直前で挫折したのだが、昨年は勤務先のボスからもお祓いに行くよう勧められる事態だった。

COVID-19の時代であり、年始は初詣客で混みそうなので避けるべきだろう。それに、落とすべきものは、年越し前に落としてしまいたい。

12月最後の日曜日、満を持して神社に向かった。

日曜にしては珍しく午前中に起きるなど、僕としては前のめりで行ったのだが、神社側は至ってクールである。それはそうだろう。こちらは神様にすがりに行くのだが、向こうは頼み事の仲介をするだけだし、そもそも件数も多い。

社務所で申込書を書き、お金を払うと、内線電話で神主を呼び出してくれる。COVID-19対策で簡易バージョンらしいのだが、なんとなく機械的に「かしこみかしこみ」とやってもらった。あっさりと終了。他力本願というものは、この程度なのだろうか。それとも「祈願内容1件につき5千円からお気持ちでお納めください」という値段設定に対して、5千円しか払わなかった心意気が悪いのだろうか。

それでも祓い落とすべきものは昨年中に始末がついた。今年は振り回されることも、巻き込まれることも、遭遇することもない、マシな一年になって欲しい。