いちじょういんのおもいで

数年前、本厄だった年は出羽三山神社に行った。そして昨年ゴタゴタが続いたときは、近所の神社に泣きを入れに行った初詣に行かなくなって久しいので、神様を訪ねるのは困った時だけになりがちである。しかし、自分に特段の問題がなくても、神様を詣でて、自身を顧みることも大事であろう。

今年は高野山へ出かけることにした。宿坊に泊まって、朝の勤行に参列する。

週末の宿坊は満室だろうと思い込んでいたが、さすがに今年は特殊である。直前の予約だったが、それなりに空室があった。

選択肢が多いのも困りものである。

宿坊なので質素な方が風情があるに決まっているが、鍵のかかるドア、そして隣室との間には厚手の壁が欲しい。そこまで言うなら、部屋にトイレもある方が良い。腰痛なので寝具はベットが良いのだが、1泊だけなら純和風の部屋を選びたい。予約サイトで評判の良い宿坊の大浴場は温泉だが、さすがにやり過ぎではないか。

あまり決め手にならない悩みばかりである。まったく土地勘がないこともあり、予約サイトの評判を頼りに、街の中央にある「一乗院」に予約を入れた。庭に面した部屋に空きがあって、その部屋の写真には椅子が写っていたのだ。質素とは離れるが、地獄の沙汰も金次第と言うではないか。

予算に応じて部屋を選べるし、ネットで予約・支払いまで済ませられるので、観光地の旅館に行く程度の気持ちで旅に出た。かなり早く宿坊に着いてしまったのだが、荷物を預かって部屋まで持っていってくれたり、雨傘を貸してくれたりと、至れり尽くせりである。

荷物を預けて参拝と撮影に行き、正規のチェックイン時間に改めて宿坊に戻った。部屋に通されると、滞在中の注意事項説明があった。

まずは「お寺ですので、早寝早起きでお願いします」とのこと。夕食は17時半、門限が20時 (COVID-19の影響がなければ21時?)。朝の勤行は6時半からだが、6時15分までに本堂へ行く必要がある。お勤めの後、7時過ぎに部屋へ戻ると朝食が準備されているらしい。

やっぱり旅館ではなかった。

もちろん食事は精進料理である。苦手な川魚が出てこないのは助かるが、天ぷらが全て山菜なのが厳しい。

お酒は頼めた。もちろんガンガン飲めるというわけではない。300mlの冷酒をもらって、一晩かけてチビチビと。

夕食後、トワイライトな高野の街へ散歩に出た。19時前だが死んだように静かである。

この街でカツサンドとギネスビールの闇酒場をやったら、宿坊に泊まっているダメオッサン相手の商売になるのではないか。焼鳥と燗酒もいいだろう。そんな罰当たりな空想をしながら、高野山の壇上伽藍に向かった。

雨上がりだったせいもあるのだろうが、壇上伽藍は静寂が支配していた。ゆっくりと境内を周り、ライトアップされている根本中堂を撮影する。御影堂の灯篭も美しく灯されていた。

心の底から来て良かったと思った一時だった。

こうやさんのおもいで

年末年始の休み中、深夜にボケーッとNHKを見ていると、高野山の番組をやっていた。正月気分だったせいか、観光ガイド的な番組だったせいか、僕にしては珍しく、お寺に行ってみたくなった。

基本的に僕は日本の神社仏閣には苦手意識が強い。宗教的な理由というよりも、ちょっとした記憶の断片の積み重ねが原因である。

子供の頃から体が硬すぎるのだが、オッサンになってからは腰痛もあり、畳の部屋は苦痛でしかない。それに土産物屋が並ぶ門前の風景というのも苦手だ。お寺そのものが通販番組みたいで微妙だったこともある。

しょうもない理由の羅列ではあるが、オッサン人生45年の蓄積である。ここまで来ると、陽の当たらない森の奥で落ち葉が積み重なって腐葉土になってしまったような、じっとりした生々しさで意識の奥底に沈殿している。

冬の間は東北方面の温泉に気を取られていた。それでも南海特急の動画を見たりと、徐々に高野山に目が向いてきた。これを機会に生々しい世俗社会から逃れ、真言密教の世界に触れて真理を悟る一端としたい。

ところで僕の関西経験というのは、京都へ飲みに行くか、神戸へ出張に行くのが主である。大阪で泊まった記憶というと、帝国ホテルのドアマン・スヌーピー部屋に泊まった時と、中国・杭州からの帰りに関西空港便しか取れなかった時くらいである。

関東から高野山へ向かうには、大阪で南海特急に乗り換えるのが便利らしい。

東海道新幹線で行けるのは新大阪まで。一方の南海は難波が始発駅なのは知っていたが、難波と天王寺は同じ場所だと思っていた。しかし、どうやら違うらしい。

この程度で新幹線から南海電車に乗り継げるのだろうか。大阪は広い。と思う。

ちょっと調べたところ、新大阪から市営地下鉄に乗れば、乗り換えなしで難波に行けることが分かった。

僕でも分かる大阪グルメと言えば、蓬莱の豚まんだ。新大阪駅にも難波駅にも売店があった。高野山では宿坊に泊まるのだが、勿論そこは精進料理である。こっそり豚まんを持ち込んだら、怒られるだろうか。修行の妨げになっては良くない。やっぱり諦めよう。

帰りの新幹線で「冷えたビール片手に温かい豚まん」という生々しい構図を思い描いて、高野山に向かった。

高野山で一晩を過ごして心が清らかになった僕は、昼食と休憩を兼ねて高野の街の喫茶店に入った。あとは生麩まんじゅうを買って帰るだけだったが、帰りの特急電車に接続するバスまで時間があったのだ。

喫茶店では隣席の坊さん連中の会話が生々しい。結局、寺院の運営は経営であり、金がかかるということなのだろう。そして僧侶業界に関わる諸々の人間関係。

心が清らかになったと思ったのは、誤解だったのだろうか。疑いが芽生えたまま下界に戻り、南海特急に乗って大阪に戻った。

新大阪駅でテイクアウトの豚まんを購入し、新幹線改札を通った。ついにビール片手に肉まんである。昨今の状況下、新幹線は基本的にガラガラなのだが、念には念を入れて、すいている確率が高いと言われる新大阪始発列車を選んで予約しておいた。

駅構内で売店や弁当屋を何軒か探したのだが、全ての店舗で「諸般の事情により」酒類は売っていないとのこと。COVID-19による緊急事態宣言である。各店舗にかかったであろう生々しい圧力は想像できる。冷めていく豚まんを目の前に、新幹線車内で修行のような時を過ごしつつ東京に戻った。

心が清らかになったと思ったのは一瞬だった。そもそも心が清らかというのは表層の一部でしかなく、むしろ有象無象の生々しさこそ、人間や社会そのものだろう。その生々しさの奥に隠された意味を見付けることが、真言に通じる道ではないか。

高野山に行ったものの、真理の智慧はおろか、世俗社会すら分かっていないままだった。

くさつ

くさつのおもいで

ある日の夕方、近所のレストランにテイクアウトを取りに行き、代金を支払って店を出たところ、たまたま知人が通りかかった。レストランはガラガラ、ちょっと話もあったので、店に戻って飲み始めてしまった。早い時間なら酒が飲めた、やや平和な頃の話である。

さらにモノのはずみで温泉へ行くことになった。草津にクラシックな温泉宿があるとのことで、深く考えないまま目的地が決まった。

ミイラ取りがミイラになる、ということだろうか。

これで草津は2回目である。といっても、前回は何年前なのか分からないくらい昔だ。たぶん15〜20年くらい前ではないかと思う。

大浴場の金属水栓が変色していて、さすが本場は違うと思ったことを覚えている。その時に土産物店で湯の花を買ってきて、しばらく忘れていた。数年前に家を片付けていたら出てきたので、年に数回、思い出したように使っている。

草津へ行く前の日に、その湯の花を使い切った。新しいものを買ってこようと思って調べたところ、本物は貴重品であるとのこと。

そんなに貴重なのだろうか。無造作に買ってきて、放置していたくらいなのだが。そこらへんの入浴剤よりも保温効果があって、やっぱりホンモノは違うなと思っていた。

どうやら偽物が横行しているらしい。更にネットを探すと、真贋の見分け方も書かれていた。パッケージに「ニセモノ注意」と書いてあるにも関わらず、僕のは紛うことのない偽物だった。15年以上にわたって信じていたものが崩れ去った。

青天の霹靂、ということだろうか。

しつこいようだが、草津に行く前夜の話である。こんな具合だと、ランチの上州牛がオージービーフではないか、念の為に確認した方が良いだろうか。

草津には高速バスで行くのが便利でコスパいいらしいが、台東区民には上野駅がある。ふるさとの訛りが懐かしい停車場だ。トレンドに左右されず、由緒正しい上野発の特急列車で旅に出ることにした。関越高速の渋滞もないし、練馬で一般道に放り出されることもない。

由緒正しいはずの特急は、1990年頃に製造され、最初は常磐線特急だった車両の転用である。そんな少々ボロい特急列車は、かすかに昭和の香りが残る上野駅地平ホームから10時に出発進行。平成レトロといえば聞こえは良いが、電車も駅も30年前から大して変わっていない光景である。近頃は上野でも貴重になった場末感が漂う。

ちょっと寂しい特急は、かなり寂しいくらいガラガラだった。しかも大雨である。なんとなく俯きがちに高崎線を北上。それでも渋川から吾妻線に入ると里山の情景だ。桜も咲いていたりして、ちょっと良い気分になった。

途中で路線バスに乗り換え、草津に到着した。バスターミナルから雨の中を歩いて宿に向かうが、靴が浸水してきた。1年以上も放置していた靴を履いていったのだが、そういえば新品時点でも雨漏りしていたので、靴箱に放り込んで見ないようにしていた。僕の人生には放置物件が多すぎるのだろうか。さっさと捨てるべきだったが、もう遅すぎる。

後悔先に立たず、ということだろうか。

それでも撮影や買い物のため、大雨だったが何度か散歩に出た。やっぱり靴がズブズブになる。足湯というのは、僕みたいなボロ靴を履いた人のためのある。と思う。

しかし翌朝は晴れていた。ちょっと早めに起きて、改めて温泉街の散歩に出かけた。

湯の花は草津商工会のサイトに出ている物の入手に成功。ニセモノ注意とは書かれていないが、多分こちらは本物なのだろう。

終わり良ければ全て良し、ということだろうか。

旅のしおり:草津

再び計画性皆無の単純往復。列車等の時刻は訪問時のダイヤです。

1日目

上野 1000 (草津1号) >> 長野原草津口 1218
長野原草津口 1231 (JRバス) >> 草津温泉 1253

宿泊:草津ホテル

1日目Tips
・長野原草津口でのバス乗換は先頭の7号車が便利。

2日目

草津温泉 1100 (JRバス) >> 長野原草津口 1122
長野原草津口 1205 (草津32号) >> 上野 1424

2日目Tips
・特急「草津」はJR東日本サイトからの事前予約で通常は最大4割引。帰りはキャンペーンで5割引だった。
・行きのバス乗り換えはスムーズだが、帰りの長野原草津口駅での時間つぶしが厳しい。駅周辺には、ほとんど何もないので。