しんねん

「明けない夜はない」とはシェイクスピアの “the night is long that never finds the day” の意訳らしいが、きっと彼はコップに水が半分もあると思えるタイプだったのだろう。

「暮れない昼はない」と思うほど僕は悲観的ではないが、それでもコップに水が半分しかないと思うタイプである。僕に適当なのは、旧約聖書の「日は昇り、日は沈み 喘ぎ戻り、また昇る」あたりだろうか。ただし僕の場合、聖書的な達観というよりも、「人生山あり谷あり」という直訳な感覚に近いのだが。

昨年は11月末にサンフランシスコへ行った。晩秋の北カリフォルニアにしては晴天が続き、ゴールデンゲートなどの絶景を楽しむことが出来た。そしてブラックフライデーとアウトレットで買い物三昧である。

出発当日は夕方まで会社をこなし、羽田からの深夜便で出国して、サンフランシスコに直行した。帰国日も丸一日フルに遊んでから深夜便に乗り、早朝の羽田に到着後、自宅に戻って在宅勤務という過密日程だった。圧倒的な満足感と少々の疲労が残る数日間を、極めてエンジョイできたと言える。

人生とは山あり谷ありである。昇った日は沈み、また昇る前には喘がなければならない。コップに水が半分しかないと思うタイプとしては、極めてエンジョイした後の揺り戻しが怖い。

実際のところ、12月は極めて不調だった。

帰国して数日たった12月1日には既に寒気がしていたし、その翌日には喉が痛くなっていた。そして夜から軽く発熱。遊び過ぎて病気になる、小学生なら怒られるパターンである。次の日は日曜だったので、怒られる前に葛根湯を飲んで丸1日寝ていれば治るだろうと簡単に考えていたが、いやはや、谷を転がり落ちるのは速い。

翌日は寝て過ごしていたのだが、徐々に熱が上がり始めた。39.5度まで上がったところで耐えられなくなって、解熱剤を服薬することにした。自宅にはCOVID-19検査キットがあり、2回やったものの陰性。全身の筋肉痛のようなインフルエンザ症状はないが、月曜に発熱外来のアポを入れることに成功。

やはりインフルエンザ検査もシロだった。つまり単なる風邪らしい。タミフルのような特効薬がある病気の方が良かったのではないかと思いつつ、対処療法の薬だけを貰って帰宅。

転がり落ちた谷は思ったよりも深かった。

オッサンになると、普通の風邪くらいでは数日も高熱を出すような体力がないと思っていたのだが、僕の免疫は3日間も大活躍していたらしい。連日39度まで熱が上がり、薬で38度まで落とすような生活をしていた。僕の場合、体力的には39度あたりが最も厳しいが、不条理な悪夢を見るのが38度あたりである。薬を飲んでも飲まなくても最悪の日々だった。

日は再び昇る前に、谷底で喘がなければならないのである。

日にち薬とは良く言ったもので、4日目には熱が下がった。谷には底があり、明けない夜はないのだろう。

しかし、そこから先も極めて長かった。咳が止まらない日々が続いたのだ。咳は体力を消耗し、睡眠を阻害するし、気分的に滅入る。谷底に溜まる澱のような日々。

それも日にち薬である。数週間すると多少なりとも改善した。夜明けは近いのだろうか。

甘い期待のもと社会生活に復帰したところ、買ったばかりのiPhoneのモデムが壊れ、クリスマス当日に修理のため半日つぶしてDocomoとApple Storeに行く羽目に陥った。更には、12月に会社を辞めたスタッフの補充がなく、なりゆきで5年前にやっていた仕事に手を出したところ炎上するなど、未だに早朝の薄明に近い状況でしかない。

数日ほどサンフランシスコを満喫した程度で、ここまでの谷に陥る羽目になるのだろうか。谷底で喘ぐのが人生の宿命とは言うものの、いくらなんでも喘ぎすぎだろう。「暮れない昼はない」に宗旨変えする頃合いかもしれない。

新年を迎え、昨年を振り返ったところ、春に結婚したことに思い至った。10月上旬にギリシャへ行っていたのが新婚旅行というやつである。つまりサンフランシスコは長い下り坂の途中にある丘であり、そもそも10月中旬くらいには既に大いなる山から転がり落ち始めていたのだろう。これなら揺り戻しの振り幅が大きく、谷底は極めて深い筈である。まだまだ喘がないといけないのかもしれない。

新年だが先行きは暗い。

旅のしおり:立山

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

東京 0616 (かがやき501) >> 富山 0823

立山アルペンルート
電鉄富山 0853 >> 立山 0948
立山 1000 >> 美女平 1007
美女平 1020 >> 室堂 1110

宿泊:ホテル立山

1日目Tips
・今回は室堂に2泊。大多数の人にとっては室堂は通り抜ける場所なのだろうが、それではピンポイントな滞在になってしまう。今回は2日目の夕方から最終日の午前中までが晴天だったので、2泊した意味はあった。観光客だらけの室堂も、朝と夕方は静かな空間である。天気さえ良ければ1泊で十分という気がしなくもないが。

3日目

室堂 0800 >> 弥陀ヶ原 0815

弥陀ヶ原トレッキング

弥陀ヶ原 1055 >> 美女平 1130
美女平 1140 >> 立山 1147
立山 1200 >> 電鉄富山 1304

夕食:寿司栄華やぎ

富山 1940 (かがやき516) >> 大宮 2131
大宮 2136 >> 横浜 2239

3日目Tips
・大好きな富山の寿司栄。大好きな日本酒「勝駒」がメニューにあった。グビグビ4合。おかげで帰りの新幹線は富山から数分で大宮だった。
・富山駅の順風屋で押し寿司を買って帰る。常温で持ち帰れるし、立てても大丈夫。
・大宮では奇跡の5分乗り換えで東海道線グリーン車。東京から横浜まで立って帰るのはしんどいので、このルートが良いと思うのだが、誰からも賛同を得られていない。

むろどうのおもいで

今年の夏は異様に暑かった。エルニーニョらしい。それでなくても地球は温暖化しており、僕が子供の頃には気温が30度を超えたらニュースになっていたが、いまや35度を超えたくらいではニュースにもならない。

こんな気候では避暑の為に北上するのは考え物である。今年は北海道に行っても暑かったという話を聞いた。そうは言っても北極まで行けば寒い筈なので、間をとってシベリアあたりなら涼しい場所には行きつくのだろうが、昨今のロシア情勢からは難しい。

そんな今年の夏だが、富士山は登山口あたりで既に涼しかったらしい。もちろん北極でもシベリアでもなく、関東近郊と言って差支えのない、静岡とか山梨の話である。探せば国内にも涼しい場所は存在するのだ。平面的に北上するよりも、三次元的に上昇する方が涼しいのだろう。

そうこうしていると、ひょんなことから立山アルペンルート・室堂にあるホテルの予約をゲットすることになった。標高2450メートル前後なので、富士山登山口と同程度だろう。涼しい筈である。

ピークシーズンの室堂は予約が困難で、日程は変更がきかない。天候は運を天に任せるしかないが、避暑に来たと思えば外れはない。と思う。

諸々を天に任せた結果、ちょうど関東に台風が接近している日が出発日となってしまった。始発の北陸新幹線を予約しておいたので台風接近前に関東を脱出できたが、さすがに日本海側まで行っても快晴とはいかない。雨が降らなかっただけマシという事だろう。

富山でローカル私鉄に乗り換え、立山アルペンルートに沿って室堂を目指す。長野県側から吹きつける強風のせいで寒かった。チェックイン時間まで、小雨の中をウロウロ歩いて過ごす。その後は部屋で毛布にくるまってグズグズしていた。写真的には物足りないが、避暑としては完璧である。

これでも写真系ブロガーなので、翌朝は日の出前に起きてみた。しかし立山は雲の中である。前夜にはホテルのバーでウィスキー3杯ほど飲んだのだが、標高が高いと酒の廻りに影響するのか、二日酔いでもある。早起きをしても、良い事は何もない。気力なく早々とベッドに戻る。

昼前に改めて起きた。相変わらず曇っているが、このまま寝ていてもしょうがない。散歩に出かけた。

犬は歩くと棒にあたるらしいが、僕は雷鳥の親子に遭遇できた。これだけでも来た甲斐があると言っていいだろう。しかも午後からは天候も改善し始めた。翌朝は期待できそうだ。犬でも猿でもない僕は学ぶので、この夜はバーには行かずに就寝。

翌朝は快晴だった。カメラを持って、前日に目をつけておいた場所まで歩く。なかなかの朝焼けを楽しむことができた。

室堂は満喫したので、早々に下界へ降りることにした。途中、弥陀ヶ原で降りてトレッキング。それでも昼過ぎには富山駅に戻った。

富山駅の標高は7メートル程らしい。高度差2440メートルとすれば、計算上14.6度くらい気温が上がる筈で、実際に気温は32度もあった。東京から北上しているのに、大差のない暑さである。夕方の寿司屋予約時間まで、酷暑の富山をウロウロして時間つぶし。無駄に歩いているし、無駄に暑い。

やはり避暑のキモは標高であることが分かった。しかし、どうやら体を甘やかしたのが良くなかったのか、帰宅した翌々日から夏バテになった。酷暑に耐えていたのが一気に来たらしく、その後、10月中旬まで1ヶ月以上も不調が続いた。

慣れない酷暑と、慣れない避暑。オッサンが夏を快適に暮らすのは難しい。