ラオスのルアンパバーンにはバンコク経由で行った。スケジュール上はバンコク・スワンナプーム空港で同日の乗り継ぎが可能だが、行きは5時間待ち、帰りは7時間以上も待たなくてはならない。日程に余裕があったので、帰りはバンコクに泊まることにした。
直近のバンコク滞在としては、モルディブへの乗り継ぎ待ちを利用して、昨年12月にフアランポーン駅へ行っている。早朝の古めかしい駅を眺めながら印象深い一時を過ごしたのだが、今年になってフアランポーン駅はバンコク中央駅としての機能を廃止してしまった。しかし廃駅になったわけではなく、普通列車の発着が僅かながら残っており、何本かは機関車牽引の長距離列車のようである。次回のバンコク滞在がいつになるか分からないので、再度この機会に見ておきたい。
宿泊を伴う本格的なバンコク滞在はCOVID-19前の2019年まで遡る。この時は25年ぶりくらいのバンコク滞在だった。仏教寺院を中心にまわったのだが、印象的だったのは市内の花市場である。こちらも再訪したい。
いまから30年ほど前に初めてタイを訪れた時から変わっていないのだが、どうにも僕はタイ料理が苦手であり、そのせいでタイ全体が食わず嫌いの印象になってしまっている。今回の旅行でも、特にタイについて何かを調べるわけでもなく、ラオスのついでのような気持ちで旅立った。
羽田から往路の深夜便は定刻にバンコク到着した。飛行機を降りた時点では決め切れていなかったが、やはり空港で5時間を潰す気にはならなかった。タイは食わず嫌い程度だが、空港で長時間を潰すのは明確にキライである。最後の最後、乗り継ぎセキュリティ入口でタイ入国を決断し、通路反対側の入国審査場へ向かった。
そんな軽いノリではあるが、帰りの航空券さえあれば、タイ入国は概ね問題ない。事前のオンライン申請も、紙の書類も不要である。ガラガラのイミグレーションを通過し、Grabで早朝の花市場へ向かった。
2019年の訪問時には花市場へ23時くらいに行ったと記憶しているのだが、その時と比べて活気が乏しい気がしなくもない。深夜がメインの市場らしいので、午前6時すぎでは少々出遅れているのだろうか。それとも単に僕が深夜便で疲れているのか、これがCOVID-19後の日常なのか。
やや拍子抜けしつつ花市場を一通り見てから、地下鉄でフアランポーン駅に向かった。駅のドーム中央には静態保存の蒸気機関車などが並べられていた。ベンチに座って見ていると、ボロボロの客車列車がやってきて、蒸気機関車の隣に入線。それはそれで面白い光景だが、わずかな列車が発着するだけなので、駅としての活気に欠けていた。予想していたことではあるが、やや興醒めである。
かなり不完全燃焼なまま、地下鉄とエアポートリンクで空港に戻った。数日後にはバンコクで一泊するが、こんなにも不完全燃焼で良いのだろうか。事前にバンコクの最新情報を調べ、興味深いポイントを探すべきだろう。
しかしルアンパバーンでは初日に水あたりにあってしまい、滞在中は弱り気味だった。翌日の行動プランを考えるのに精一杯であり、数日先のバンコクについて調べる余力は無い。結局、花市場とフアランポーン駅以外の知識はないまま、ルアンパバーンからバンコクに戻る羽目になった。
2019年にバンコクで泊まった時は、チャオプラヤー川沿いでワット・アルンの見えるホテルに泊った。その時は国王の川行列にあたって壮観だったのだが、行事用の照明が設置してあったせいで、ワット・アルン自体は写真的にイマイチだった。撮影の再チャレンジがてら、改めて同じホテルに泊まってみたいと思ったのだが、COVID-19の影響なのか休業していた。2019年当時、隣のビルをホテルに改築していたことを思い出し、今回はそちらに泊まることにした。
バンコクで泊まるのは雨季ばかりのせいか、天候は今回も曇り気味である。しかし幸いにも雨は降らずに済んだ。ビールを片手に、暮れゆくバンコクの街と、ライトアップしたワット・アルンを眺める至福の時間を過ごせた。さすがに夕焼けというわけにはいかないが、十分すぎる程に美しい。
かなり満足して夜の街に出ると、タイ王室ゆかりのワット・ポーがライトアップされていた。意味もなくライトアップしないだろうと思って慌てて調べたところ、夜間入口があって、夜の境内を無料で見学できるらしい。
それらしい門を見付けて境内に入ると、素晴らしすぎる世界が広がっていた。ほぼ無人の荘厳な境内に、読経が響き渡っている。泣くかと思うほど心に染み入る一時を過ごした。
ナイトライフが有名なバンコクだが、この夜、僕が次に行くべき場所は花市場しか思い付かない。ワット・ポーからは徒歩圏内である。やはり花市場は深夜のほうが活気があって良かった。
素晴らしい夜になった。極めて満足し、これでバンコクの夜を終えることにした。あとはホテルでワット・アルンを眺めながら寝酒でも飲もう。ほぼ何も調べていないが故に、ほぼ何も知らない。バンコクでオッサンの夜遊びが仏教寺院と花市場だけという、不条理なまでの健全さである。
2019年とあわせて近年2度もバンコクに滞在したが、バンコクの知識は極めて少ないままである。タイ料理への苦手意識が解決しない限り、今後も前向きにタイ旅行を検討する可能性は低く、本格的なバンコク滞在は難しいだろう。タイ料理に関わる苦手意識の源泉は10代まで遡り、もう約30年も苦手意識を持ち続けている。いまや意識改革は難しい可能性が高い。僕の限られたバンコクに関する知識のうち、フアランポーン駅からは既に活気が失われてしまったので、これからは花市場と仏教寺院だけでバンコクを楽しむしかないだろう。
アジアを旅する以上、バンコク乗り継ぎは避けられない。この先もバンコクで乗り継ぎ待ちの時間を潰す必要があるだろう。不健全の代表のようなイメージすらある大都市だが、この街を僕は健全に楽しむことしか出来なそうである。一見すると不条理なパラドックスではあるが、道徳的かつ本質的には悪い事ではないと思われる。つまり僕の快楽追求は、無知に起因する健全さによって妨げられており、結果的に正しい行いへと導かれている。
これをもって「無知の知」に近付いたと言えると良いのだが。バンコクで僕はソクラテスの領域に到達した。と思う。