はこだてのおもいで

昨年末くらいから調子が良くない。当初は人生にありがちな不運サイクルに入ったのだと思ったが、なかなか上向かず、体調も芳しくなかった。諸悪の根源は不眠にあると思われ、定期的に通っている鍼灸院で指摘されたのだが、どうやら安静時の心拍数が高いらしい。検診の結果、心臓自体には問題ないので、自律神経系の問題なのだろう。とりあえずApple Watchを購入して経過観察することにした。

2月に3泊4日で台湾へ行った後、状況は改善した。心拍数は落ち、不眠も多少は改善。しかしゴールデンタイムも3週間で終わった。花粉症がきっかけで再び不調になり、あとは毎週のように襲来する低気圧、気温変動などの要因で悪化の一歩をたどった。体調が弱り気味のところで不眠が悪化するので、更に不調は酷くなる。

自律神経系の問題は、たぶん会社を辞めれば改善するだろうというのが鍼灸師と僕の共通認識なのだが、さすがにハードルが高いし、もっと生々しい別の問題が生じる可能性が高い。効果的な対処療法としては、やはり旅に出るのが良いようだ。

弱りきった時には既に3月末だったが、GWまで待てそうもない。晩秋に再訪しようと思っていた、函館市の外れにある「ホテル恵風」へ行くことにした。ただし対処療法が目的なので、1泊では短いと思われる。調べてみたところ、同じく函館郊外の「ホテル函館ひろめ荘」と連泊すると、宿泊施設間の送迎をしてくれるらしい。旅の最後に函館で高級寿司店に寄れるし、北海道には花粉症がないと聞いた事もあり、ちょうどいい避難先になるだろう。

春休み期間を外したとはいえ、土曜朝に羽田を出るフライトの特典航空券には空席がなかった。むしろ飛行機自体が満席に近い。定価に近い運賃で3列席の真ん中に座るくらいなら、乗車時間4時間半でも北海道新幹線に乗ることにした。ほぼ同料金でグリーン車に乗れる。どうせ夜は不眠なので、ゆっくり寝ていけば良いだろう。

東京駅で寝酒にビールを購入したものの、飲み切る前の上野あたりで意識が途切れ、数秒後に目を開けたら既に新青森だった。乗客の出入りが少ないせいか、途中の仙台や盛岡すら気付かず。気の抜けた常温の液体を飲みながら、意識が途切れがちなまま青函トンネルを抜けた。これだけ寝ればグリーン券の元は取っただろう。

ウトウトしながら函館に着いたら、抜けるような快晴である。しかも暑いくらいの気温だった。前回は吹雪で凍えていたのが嘘のようだ。

函館駅前から市電に乗って十字街へ向かう。レトルト製品を愛用している「五島軒」の本店でカレーを食べ、ホテルの送迎車に乗り込む。この日は津軽海峡も穏やかな海の風景だった。

ホテルに着いてから、カメラを持って近隣の椴法華漁港と灯台を見に行った。海霧が出て幻想的な雰囲気である。2時間ほど歩き回ったせいで疲れが出たのか、対処療法の効果なのか、夜は早々に寝た。

翌朝、やっぱり不調である。対処療法の効果は幻想だったのだろうか。不調でグズグズするのは自宅でも出来るので、撮影がてら散歩に出た。この日も暖かい。

歩いていると、ふと木に目が行った。不穏な茶色をした杉の木である。

この日の不調は花粉症が原因だろう。まったく予想外の事態である。北海道は白樺くらいしか花粉症にならないと聞いていたが、道南では違う話なのかもしれない。たしかに津軽海峡を挟んで20キロちょっとで本州である。杉くらい生えていてもおかしくないだろう。花粉の飛散が終わりかけだった関東と違い、むしろピークなのではないだろうか。

僕が花粉症になるのは杉だけで、ヒノキや白樺は問題ない。ゆえに花粉症はないだろうと思って、鼻炎薬を持ってきていなかった。しかも近隣にドラッグストアなど無い。

それでも杉の木が少ないせいか、空気中の汚染物質が少ないせいか、あまり悪化はしなかった。自分で自分を誤魔化しながら最終日の午後に函館へ戻り、街を歩いているとドラッグストアが目に入った。セイコマと並ぶ北海道の雄、サツドラである。

ここまで来たら薬なしで帰京しても問題なさそうだが、最後かつ最大のイベントである高級寿司店が控えていた。なにかのアレルギー反応なのか、日本酒を飲むと鼻水が止まらなくなることがあり、万全を期したい。

一目散にサツドラへ駆け込んだ。鼻炎薬の棚はあったが、関東で見るような花粉症対策コーナーはなかった。やはり全体的に需要は少ないのだろうか。それでも薬は同じである。

鼻水を垂れ流すこともなく、無事に寿司店で今回の旅の仕上げをした。帰りのフライトは特典航空券に空席があり、最終便で東京に戻る。天候にも恵まれ、極めて満足して帰京。

羽田空港から横浜駅前に戻る高速バスで座っていたところ、横浜市に入ったあたりのベイブリッジ手前でApple Watchが鳴った。僕のApple Watchは安静時の毎分心拍数が120を超えるとアラームが鳴る設定にしているので、経過観察の賜物だろう。横浜駅に着くまでには落ち着いて100程度になったが、そんな状態で帰宅しても眠れるわけがなく、早々に不眠が復活した。

不眠の対処療法としては2泊3日では足りなかったのだろうか。それとも対処療法にはパスポートが必要なのだろうか。そもそも旅行を対処療法とすること自体が幻想だった可能性もあるが、生々しい問題はパスしたいので、別の対処療法を編み出したい。

新たな対処療法を考えるためには、新しい視点で自分の生活を再検証する必要がある。心機一転を図るため、まずは旅に出ようと思った。

たいなんのおもいで

台湾旅行は母親がメインだったので、移動の労力が少なく、無難な行程にしようと考えた。それでも一捻り加えたく、九份の近くにある基隆という港町で1泊、もう1泊は台北で過ごそうと思っていた。これなら移動は台湾北部で完結するし、台北以外の街も見ることができる。

結果的に意味があったかは分からないものの、混雑回避のため、九份の宿泊を平日にする条件となり、台湾に到着する金曜日に九份へ行く事になった。九份から基隆までは路線バス1本で移動できるため、翌日の土曜が基隆泊。すると結果的に台北宿泊は3泊目である日曜の夜になる。

しかし一通りの手配を済ませた後で調べたところ、台北の公設市場は月曜日が定休らしい。いくらルート自体が合理的でも、市場好きとしては最終日が味気ない旅になってしまう気がした。しかも前回の訪問時に感動したプライベートキッチンは、最近になって閉店していた。このまま最終日に台北へ行くべきなのだろうか。

迷走が始まった。

毎日のように旅行ガイドやYouTubeを見てウジウジと悩んだ。チョイスは多くあるが、移動ばかりだと当初の目的とは反するし、日程的にも詰め込み過ぎになる。色々と考えた結果、台南という街が良さそうだとの結論に達した。文字通り台湾南部にある、古い街並みが残る都市だそうである。台北の宿泊は見送り、ついでに基隆訪問も見送り、台南で2泊することにした。ようやく決め切れた時には出発2週間前を切っており、ホテル探しに苦労した。

小雨が舞って肌寒い九份から台北に戻り、台北からは台湾高速鉄道、いわゆる台湾新幹線での移動となる。たしかに距離は遠いが、移動時間としては2時間ほどで済むし、座席は指定席だ。台南に着くと、汗ばむくらいの気候である。天気は快晴。別世界のようだった。

台南では安平樹屋という古い倉庫跡に行ってみたかったので、まずはカメラを持って向かう。夕方の美しい斜光と絡めて撮影できた。あのまま基隆へ行っていたら曇天から抜け出せなかっただろうから、結果的には大正解である。

その日の夕食は、中国語ができる友人にリストアップしてもらった中から選んだプライベートキッチンへ。FacebookとLINEを併用して予約を入れたものの、デポジットの振込を求められるなど、中華圏のプライベートキッチンならではのハードルの高さがあった。洋食も扱う広東料理系の店だと思って行ったのだが、想像を超えた繊細な味付けの店だった。予約のハードルを乗り越える価値があるというか、この店だけでも台南に来て良かったと思えた。

本格的な観光は翌日から。まず早朝に市場へ行くところからスタートした。市場で軽食を購入してホテルに戻り、一休みしてから市内の観光スポットをウロウロした。微妙に街が大きく、行きたい場所を半分くらいカットしたが、それでも約14キロも歩くことになった。

元々の台湾文化に、オランダや日本の統治時代の影響が加わって、台南は極めて興味深く、非常に楽しめた。行きそびれた場所もあるし、風情ある路地裏も多そうだ。再訪してみたい街である。

今回の旅ではUBERを活用したし、休憩時間も取るようにしたが、4日間の台湾旅行で歩いた距離は約40キロだった。飛行機や鉄道の移動は意図的に調整できたものの、観光目的の旅行としては、たぶん歩き過ぎということになる。

移動労力の削減を目指したが、僕がプランニングする以上、旅のスタイルは変えられないようだ。しょせんワガママなオッサンである。ちなみに母親は今年80歳に達しており、同じ鍼灸院に行っているが、鍼灸師いわく僕よりも健康らしい。

余計なことを考えず、自分自身を何とかしろということなのだろう。

きゅうふんのおもいで

昨年12月にインフルエンザのような風邪で寝込んでいたところ、救援物資を持って母親が来てくれた。その際に話したところ、台湾の九份に行きたいとのことである。

台湾の気候を調べたところ、概ね4月以降は半年ほど雨季になるようだ。僕は旅行をシリアスに捉えており、迅速に行動することにしている。来シーズンまで待たずに行ってしまう事にした。カレンダーを眺めると今年2月は3連休が2回あったが、そのうち1回は旧正月と絡むのでパス。さすがに母親を連れて弾丸旅行も無理があると思い、有給を1日取って4日間の日程とした。

僕は今回で2回目の台湾訪問だが、以前から九份は異様に混むと聞いていた。金曜午後から週末2.5日の予定だった前回は、敢えて九份と故宮博物院には行かなかった。週末を避けるべく、今回は平日に九份で1泊することにした。

旅行初日は正午頃に台北の松山空港に着いた。この空港は台北市内にあるので、そのままUBERで九份まで行ってしまう事にした。台北を出発した時は曇天だったが、徐々に小雨が舞い始めた。九份に着いた頃には、完全な雨になっていた。

宿泊するB&Bは公共駐車場の奥にあるのだが、その駐車場は既に観光バスで溢れかえっていた。宿の前まで車で行くのは諦め、雨の中を徒歩で向かう。どうにも良くない気がする。こういう時に限って傘はスーツケースの中なのだが、問題の本質はそこではない。

荷物を置いて街へ出ると、やはり混んでいた。観光客を見に来たような混雑である。その時点で14時過ぎなのだが、夜景が有名な街なので、夕方になるにつれて更に人が増えるのだろう。しかも狭い路地で傘をさしているので、極めて歩きにくい。どうにも良くない。見晴らしの良い喫茶店があったので、逃げ込んで様子を見ることにした。

しばらく喫茶店で時間を潰しても雨は上がらず、眼下の道路はバスで渋滞している。どうにも良くなる兆しは見られず、諦めて宿に戻ることにした。

九份から台北に戻る路線バスがなくなる20時頃を過ぎると人出が急に減ると聞いていたので、19時になって再び街に出た。雨は止まず、まだ混雑している。14時頃と比べて、多少マシという程度だろうか。九份は急坂の街であり、坂の下にある宿に戻るのも面倒くさいし、体力も使う。別の喫茶店に入って再度の時間つぶし。どうにも良くない。

20時になって喫茶店を出ると、ついに人出が減っていた。雨は止まないが、ようやく観光名所である茶屋の前まで到達できた。この有名茶屋の前に、別の茶屋があってビューポイントと聞いており、撮影がてら入ってみた。槍ヶ岳に登ると槍ヶ岳が見えないのだから、借景にこそ意味がある。

日本では喫茶店に入ることは滅多にないが、台湾に着いて半日で3回目だ。水分摂取量が半端ない割に、アルコール類はビールすら口にしていない。どうにも良くない。

この日は喫茶店と買い食いばかりで、食事らしい食事はANAの機内食だけである。空腹を覚えたが、既に茶店の食事タイムは終わっていた。どうにも良くない日である。

夜景を眺めながらお茶を飲んでいたら、どうやら母親が店の老板に気に入られたらしい。しばらく日本語で色々と話した挙句、弁当をもらった。どこかの団体旅行の残りなのだろうが、なかなか美味しい。取り分ける食器まで貸してくれるサービスぶりだった。ありがたい。最後に耐えきれなくなって「老板、ビールください」と言ってしまった。日本語が通じるのは素晴らしい。

雨は翌朝まで降り続け、出発前には霧雨程度になったが、いずれにしても曇天である。それでも午前中は人出が少ないので、宿から15分ほど坂を駆け上がり、例の茶屋の前まで行って撮影。

この日に限らず九份は雨が多いらしいし、あまりにも観光地化しすぎていて写真も撮りにくい。どこで写真を撮っても、どこかで見た写真にしかならない。撮影ポイントを探すにしても、人間が多すぎて気力が萎える。写真メインの観光地としては、どうにも良くない場所である。

結局、九份の良かった思い出は弁当だけという、なんとも複雑な場所だった。どうにも良くない場所が、どうでも良い場所にならずに済んだのは、あの老板のおかげである。真是謝謝你。