びんたんとうのおもいで

僕にとってインドネシアはハードルが高い。

5年以上前になるが、オッサン2人でバリに行くという非理性的な思いつきを、理性的に計画段階で挫折した。バリのビーチにいると言われている、ジゴロやら物売りやらボッタクリやらの有象無象に恐れをなしたのである。

その後、知人がジャカルタに住んでいたのだが、どれだけ話を聞いても、一向にハードルは下がらなかった。むしろ話を聞けば聞くほど、インドネシアのハードルは上がったのかもしれない。

一方、ベトナムを挫折して行ったシンガポールというと、飛行機の乗り継ぎか仕事で行く所だし、イメージ的には香港がテーマパーク化した場所という程度である。ハードルは低いが、飽きてしまいそうだ。

シンガポールでの予定を考えていたところ、ふと「ビンタン島」という島の話を聞いた。シンガポーリアンが週末に出かける島らしい。シンガポールから高速フェリーで1時間くらいとのこと。

調べたところ、ビンタン島はインドネシア領である。バリ島の有象無象の話が頭をよぎるが、ビンタン島はインドネシア政府とシンガポール政府が共同でリゾート開発しているような場所らしい。そうであるならば、インドネシアとはいえ、テーマパーク化しているのではないだろうか。インドネシア初心者には丁度いいように思えた。

ホテルを何軒か調べてみると、基本的にフェリー乗り場からの送迎がついている。これで、インドネシアの難関の一つと思われる、地元タクシーを回避できる。あとは海でも眺めながらビールを飲んでいれば良い筈だ。時期的には雨季の終わりなのだが、とりあえず行ってみることにした。

シンガポールの立派なフェリーターミナルから、ビンタン島に向かった。やや格落ち感のあるフェリー乗り場に到着である。インドネシア入国にはアライバルビザを取る必要があった気がしたのだが、実際にはアライバルビザは不要で、入国審査もあっさり終了。結果的にビザ代が浮いたのだろうか。

その後、テロ対策なのか、税関で金属探知機を通り抜けさせられた。ロシアの駅の検査くらいだろうとタカを括っていたところ、iPhoneが引っかかった。アライバルビザはクリアしたのに、金属探知機で引っかかるとは。

イチャモンをつけられて賄賂を要求されるような、東南アジア的な事態にはならず、無事にインドネシアに入国した。温泉地の駅前にいるようなハイエースでホテルに向かう。フェリー乗り場を出ると、そこは東南アジアの普通の島であり、ジャングルの広がる田舎である。

田舎道を進んで山を越え、ホテルに着いた。周囲は特色のない田舎町であり、ホテルの外に出かける要素は無い。セキュリティー面からもホテルは周囲から隔離されており、ホテルの中だけは別世界のシンガポールのようだ。英語も通じるし、クレジットカード決済もできるし、ビールも飲めるが、物価も高めである。好事魔多し。

そのままでは飽きてしまうので、散歩にでかけた。Google Mapによると、10分くらい歩くとスーパーがあるらしい。ちょっと地元の文化に触れてみたい。

うだるような午後の暑さの中を歩いて着いた先は、僕のスーパーの定義を覆すようなスーパーだった。これがインドネシア基準なのか。スーパーというよりも、上半身裸のオッサンが惰性で営業している、田舎の小さい商店である。地味すぎて買うものがないし、特徴がなさすぎて写真も撮れない。これがインドネシアの普通の田舎なのだろう。更に15分くらい歩くと、ショッピングモールと称するものがあるらしいが、想像しただけで挫折してしまった。

スーパーへの路上には物売りオバチャンがいた。スクーターで通りかかる地元の人を相手に、ビニール袋に入った食品のようなものを売っている。行きは無視したのだが、帰りはNo moneyといって、売り物を渡そうとするオババである。つられて手に取ると豹変する手口だろう。バリ島のビーチにいるらしい有象無象と大差ない。バリ島とビンタン島における有象無象の差は、カモになる観光客の数の差でしかないのだろう。

結局、ホテルの外に出ても大して見るべきものはなく、有象無象にカモにされかかっただけだった。それならばホテルに籠ったまま、海でも眺めながらビールを飲んでいれば良かった。

ビンタン島もフェリー乗り場やホテルの外に出ると、そこはテーマパーク化されていない、本物のインドネシアだった。やっぱり僕には本場のインドネシアは敷居が高そうだ。

たいのおもいで

毎年、年末年始は仕事になり、1月に代休を取って旅に出ている。

今年はベトナムのダナンに行こうと思った。マイルを貯めることを前提に航空会社を選ぶが、しっくりこないスケジュールになった。ダナン滞在だけを考えると効率の良い日程なのだが、移動中あちこちで数時間ずつ無駄な待ち時間が出てしまう。休みに余裕があったので、行きをホーチミンシティー経由、帰りをバンコク経由にして、帰りのバンコクで一泊することにした。人生の大半を非計画的に過ごしているが、休みと旅行に関しては極めて計画的であり、昨年の秋には航空券の予約も済ませていた。

思い起こせば、初めて海外へ一人旅に行った先がタイだった。水上マーケットを見に行ったのだ。いまから25年ほど前のことである。

ところで僕のブログではタイに関する記述は極めて少ない。中国語圏を除くと、アジアの訪問先としては、ベトナムマレーシアシンガポールスリランカくらいだろう。飛行機の乗り継ぎにしても、シンガポールか香港にしている。旅行には頻繁に出かけているが、今回が人生で二回目のタイである。実際のところ、僕は注意深くタイを避けてきたのだ。

タイを避けていたのには理由がある。

そもそもタイ料理が苦手である。辛いものは得意ではないし、酸味の強い味付けは嫌いだ。甘酸っぱいという感覚は、味覚にしても、恋にしても、青春の思い出にしても、理解できない (表記上も「甘酢」の後に小さい「っ」を入れるべきなのか分からない。やはり理解できない感覚である)。

タイ料理についての知識がないままタイに行ったので、約25年前のタイ訪問時には初日の屋台で挫折し、結局、タイでの食事の大半をケンタッキーとハードロックカフェで済ませていた。

ケンタッキーでは二回目の食事の後にトイレを詰まらせ、逃げるように店を出た。ハードロックカフェは三回くらい行っても失敗なかったが、ハンバーガーばかり食べていてはアジア旅行をしたと言えないと思い、最終日は別の店にチャーハンを食べに行った。あの頃は未成年であり、チャーハンやカレーにグローバルな多様性があると知る前だった。今から思えば無駄な努力である。結局、ナンプラーもパクチーもイヤだった思い出を最後に、タイを去った。

その約25年前、タイに行ったのは9月くらいだったのだが、タイに着いて分かったことは、タイには雨季というものがあり、雨季は水上マーケットが休みとのことだった。僕の非計画的な人生において、この失敗が計画性の重要さを認識する第一段階になった。その後、休みと旅行に関しては計画的なオッサンに成長したが、それ以外の分野には計画性は拡大しないままである。

その後、改めて調べたところ、水上マーケットはバンコクから遠いので早朝から出かける必要があり、交通が不便なせいもあって、苦手な現地ツアーに参加しなくてはいけないらしい。約25年前の水上マーケットはローカル感の残る観光地だったのかもしれないが、既に水上マーケットは完全に観光地化されてしまっていた。旅行先で地元の市場に行くのは好きだが、観光地になった市場は最悪である。

つまるところ、僕にとってのタイとは、料理は苦手で、見たい所も実質的に無くなってしまった国である。故に僕はタイを避け続けていた。

今回、ベトナムからはスワンナプーム国際空港に着く予定である。この空港は約25年前には存在していなかった。前回は、成田から以遠権を使って飛ばしていたユナイテッド航空に乗ってドンムアン空港に着いたのだ。ノースウエスト航空と並んで、当時の直行便の最安だった思う。今時ならアジア系のLCCに乗っている筈だが。

当時からバンコクのタクシーは悪名高く、そもそも旅行自体がバックパッカーだったので、空港脇からボロい国鉄に乗って、バンコク市内のフワランポーン駅 (バンコク中央駅) に行った。バンコクには地下鉄もスカイトレインも無い時代であり、フワランポーン駅から歩いて宿に向かったのだろうか。そのフワランポーン駅には廃止の話があるようなので、今のうちに僕のタイの原点を見ておきたい。

こうやって思い出してみると、やっぱりアジアの25年は変化が大きい。

そんなブログを書こうと思っていたのだが、去年の11月末あたりから会社が異様に忙しく、結局、代休ダナン計画を挫折することになってしまった。休みと旅行に関してだけ計画的なのも考えものである。そのまま休まないのも癪なので、半日休みを捻出して建国記念日と組み合わせ、3.5日間の休みを創出した。この日程では元々の予定のダナンとタイは厳しい。ダナンは春くらいに仕切りなおすことにして、今回は行き先をシンガポールに変更した。タイは・・・このまま挫折だろうか。

僕にとってタイへの道程は遠い。

きたぐにのおもいで

夏が猛暑だったせいか、去年は10月上旬から体調が悪かった。こういう時の日本のオッサンには温泉が必要である。冬だし寒い所へ行こうと思い立ったのは、晩秋にあたる11月の事だった。寒暖の差が激しかったために暖かい日もあり、極寒のボストンに行く前でもあり、僕が寒さに対して寛容だった頃である。

寒い所といえば東北であり、東北に行くなら東北新幹線という思い込みで温泉地を探した。何度か秋田県の後生掛温泉に行った事がある。岩手県との県境に近い山の中で、東北新幹線の盛岡駅からも遠いので旅に出た満足感はあるが、冬は雪深い記憶しかないのでパス。その他の温泉地に関する知識はない。

よくよく考えると今や北海道新幹線の時代であり、新幹線で函館まで行くことができる。どうやら北海道新幹線は営業的に不振らしく、JR北海道の経営を圧迫しているらしい。経済系ブロガーとして北海道新幹線が有益なのか見極めたいし、できることならJR北海道の経営に貢献したい。

そういえば、同じ津軽海峡のマグロでも、大間の漁船に釣られると「大間のマグロ」になって高価だが、北海道の漁船に釣られたマグロには名義料がないのでコスパが高いと寿司屋のオヤジが言っていた。しかも漁船が大きいせいか、北海道側のマグロの方が状態がいいことが多いらしい。能書きは全くの受け売りだが、それでも道南か青森の温泉に行き、函館でコスパの高いマグロを食べることにした。

どこに行こうかと地図を見ていると、秋田北部に大館能代という空港があった。Wikipediaによると、道の駅が空港ビルになっているらしい。ということは、駐車場が駐機場も兼ねているのだろうか。前の道路が滑走路だったりするのだろうか。

東京からはANAが1日2便。出発1ヶ月前の予約なのに、新幹線で行くより安い。大館能代経由で青森までワープしても、JR北海道には悪影響がないだろう。

東京から秋田県経由で北海道に行く必然性が良く分からないが、土曜日の朝なのにガラガラのANAで大館能代空港に着いた。バスで大館駅に出て、そのままJRで青森県へ。搭乗率の向上に貢献しただけマシなのか、地元バス会社にバス代を払っただけマシなのか、僕の秋田県への貢献具合は良く分からないまま、秋田を去った。

翌日、青森から北海道新幹線で函館に行った。寒い。さすがに北海道である。

猿も馬鹿も僕も高い所が好きなので、例の函館の夜景を見に行った。いわゆる100万ドルの夜景であり、いわゆる世界三大夜景だが、その裏付けについては聞いたことがない。

ところで、函館の夜景というと、両側から迫る海岸の湾曲部である。函館に行く前々日まで、あの湾曲部は北海道南部、渡島半島の湾曲部だと思っていた。やっぱり北海道は雄大である。さすが世界三大。さすが100万ドル。すげぇな。

その話を母親にしたところ、そんな馬鹿に育てたつもりはないとのことだった。猿でも馬鹿でも僕でも見れば分かるだろうから、とりあえずロープウェーに乗って見てこいとのことである。

たしかに湾曲部は渡島半島ではなく、函館の市街地だった。一般的には百聞は一見にしかずと言うのだろうが、そもそも映像として見ていたわけで、むしろ猿も木から落ちるだろう。

それでも40年間ほどの誤解が解けたわけであり、北海道に来た意味があったと言える。北海道新幹線の経済的なメリットについては議論の分かれるところかもしれないが、北海道に対する理解を深めるという文化的側面において、北海道新幹線は有益なツールと言えるのではないだろうか。

長年の誤解が解けた後、函館の街に戻って寿司屋へ行き、津軽海峡のマグロを食べた。その他にも地元の海産物を色々と握りにしてもらい、地酒をたらふく飲んだ。タクシーに乗ってギリギリで空港に着き、最終便で東京に戻った。バス代の支払いだけで終わった秋田県とは比べ物にならない貢献具合である。

たった半日の滞在だったが、文化的にも経済的にも北海道に貢献できた。やはり北海道新幹線は有益である。

(地図の出典: 国土地理院・地理空間情報ライブラリー)