ふえのおもいで

冬の日本で予定を立てる時は忘れがちだが、ベトナムは高温多湿である。フエに到着した日はクーラーの効いたプライベートツアーの車で移動していたが、翌日以降は自力で移動するしかない。天気予報を見ると午後に雷雨が発生することが多いらしく、涼しい早朝のうちに観光することにした。

しかし期待通りに行かないのが天気である。

翌朝、ちょっと早めに起きたら曇りだった。写真的には晴れている方が良いに決まっているが、気温は朝の方が涼しいし、しかも曇っている方が体感的に楽だろう。その時点でも午前の天気予報は晴れになっており、午後から雷雨との事だった。涼しい間に移動できるし、しばらく待てば天候も好転する筈である。

がんばって早起きした事もあり、ベストなタイミングだろうと判断し、市場を見てから、フエ王宮へ向かった。市場見学も入れて1時間ほど徒歩だったが、早朝の曇天ながら、フエ王宮に着いた時には既にゲンナリするほど体力を消耗していた。

しばらく王宮を見ているうち、なぜか雷雨になった。雨が降るのは午後ではないのだろうか。傘を持たずに出てしまったので、1時間以上も雨宿りを余儀なくされた。小雨になったところで王宮を出て、近隣のカフェでGrabを呼んでホテルに戻った。写真的にはイマイチだったが、いかんともしがたい。ふてくされて昼寝することにした。

正午過ぎに起きると、何故か晴れていた。天気予報とは真逆の展開である。もう一度、フエ王宮の撮影をトライすることにした。

さすがに再び王宮まで歩いて行く気にはならず、タクシーを利用した。雨上がりで湿度が高いせいもあり、天気予報アプリによると体感気温は43度もあった。良識あるベトナム人なら外出しないような気候条件である。僕は不良外国人なのだろうか。

実際に行ってみると、意外にもベトナム人で混んでいた。週末だったせいだろうか、宮廷衣装で撮影大会をしているグループが多い。良識の有無は分からないものの、僕が不良外国人とは言えないのではないだろうか。

下らない事を考えて気を紛らわせてみたものの、とにかく蒸し暑く、尋常ではない発汗をしていた。脱水症状を起こす前に、どこかで休憩が必要だろう。

フエ王宮の入場料は高めであり、再入場は不可らしい。午前中に王宮出口付近のカフェを利用したが、一旦そこに行くとなると、1日3回も入場料を払う羽目になる。2回目の入場料を払った時点で朝の判断ミスを後悔しているので、さすがに3回目はないだろう。先刻の雨宿りの成果として施設内のベンチの場所は把握しており、日陰で休憩することにした。

ところで日本語で苦手なものに「万」という単位がある。1万円札は好きだが、3桁おきにカンマをつけていくとズレるのである。金銭の感覚として1万というのは分かるのだが、数字だけを見ると1万というよりも10千という方が分かりやすい。

1,000ドンが6円くらいなので、ベトナムドンと日本円は感覚的に3桁か4桁違う。ちょっと自慢をすると、2桁かける2桁の掛け算までは暗算できる数学的才能を持っている。厳密には100 x 100も暗算で分かるので、3桁かける3桁の暗算もこなせる男である。この能力を持ってすれば、1000ドンを5円と考えれば大して難しくない日本円換算だと思うのだが、なぜか以前から極めて苦手である。ベトナムで現金を扱っていると、貨幣価値の感覚がおかしくなってしまう。

フエ王宮内には僅かな台数ながら飲料自販機があって、500mlのペットボトルの水が1.5万ドンだった。街中では同じ製品を1万ドンくらいで売っているのだが。水を持たずにホテルを出てしまった判断ミスを後悔しても遅い。

1万ドンの1.5倍が1.5万ドンというのは分かるが、1.5万ドンを日本円換算する時点でギブアップである。いずれにしても観光地価格だと思ったものの、3回目の入場料を考えると、やむを得ない選択だろう。諦めて自動販売機に手持ちの5千ドン札3枚を入れようとしたが、なぜか1枚も使用できなかった。

しょうがないので少し歩いて、店先に冷蔵庫がある土産物屋へ向かった。こういうのは施設内で値段が決まっていると思いきや、同じ水が3万ドンとの事である。観光地価格だと思った先程の倍額である。もう暴利と言っていい。まったく納得のいかない顔をしていたのだろう。凍っているから、と説明された。

確かにペットボトル内の水は半分くらい凍っていた。キンキンに冷えた水である。経済学の教科書的には、コモディティ化から脱却した、高付加価値なビジネスモデルということなのだろう。ただし僕の需要には合わない。飲用水が固体化している必要はなく、衛生的であれば、そもそも冷えている必要すらない。経済学的には、むしろ寡占市場の弊害に思えた。

嫌々ながら3万ドンを受け入れるか、お釣りを諦めて2万ドンで自販機を使うか。まったく悩むこともなく、早々に自販機まで戻る事にした。文字通りの無駄足である。

よくよく自販機を見ると、英語の説明書きがあった。小額紙幣にはなるが、お釣りが出るらしい。さっさと買えば良かった。今度は1万ドン札を1枚いれたところ、機械が動き出して商品が出てきた。意味不明である。機械の価格設定が間違っているのか、僕の直前に返金問題でトラブった利用者がいたのだろうか。

僕としては結果的に市場価格で水を手に入れることができた。満ち足りた気持ちでベンチに座って休憩したが、指折り数えて試算すると100円程度の違いである。そもそもが観光地値段ということを考慮すれば、誤差の範囲だろう。

結局のところ、問題なのは「万」の単位ではなかった。桁数が多くて高額そうに見える紙幣が苦手なのである。貧乏性という事だろう。そう思うと、先程の掛け算自慢も桁数が少なくて小物感しかない。この日の行動を振り返ると、どうやら判断力もなさそうである。

酷暑のフエで体力と入場料、更に自信を喪失した。

べとなむのおもいで

カレンダー上の祝日に関わらず月末・月初は仕事が入るサラリーマン人生を歩んでおり、年末年始とゴールデンウィークは存在しないに等しかったが、ここ数年で風向きが変わってきた。それでもGWを計画的に休むまでには至らず、ソワソワし始めたのは今年になってからだった。さすがに4月末から通しで休むわけにはいかないが、5月だけでも4連休ある。4連休あればヨーロッパに行けると信じていた時代もあったが、僕の肉体は老化し、飛行機はシベリア上空を飛行できないし、円の価値は下がり続けている。欧州は諦めるとしても、東南アジアは視界に入るだろう。

それでも日程的にはタイトである。羽田を5/2深夜に出て、夜行便で羽田へ5/7早朝に戻る、航空料金が一番高そうなスケジュールしか選択し得ない。

時すでに遅し。シンガポールもバンコクも、それなりに高い。空席があるだけマシなのだろうか。諦めずに探すと、なぜかホーチミンシティが相対的に激安だった。距離が短いせいもあるのだろうが、シンガポールやバンコクの半額くらいである。早急にホーチミンシティ往復を予約し、それから最終目的地を考えることにした。

天候で絞ってみると、どうやら中部ベトナムだけが雨季に入っていないらしい。すでにホイアンには行ったことがあり、探してみるとフエという古都があった。

ここまで何故か既視感があったが、やっていることは去年と大して変わらなかった

5/2は適当に会社をこなし、荷物を取りに帰宅してから羽田へ向かう。大した荷物でもないので、家の近くから路線バスに乗ろうとするものの、目の前で乗り損なってしまった。どうせバスは遅れて来るだろうと高を括っていたのだが、GWで道路状況が良いらしく定時運行だった模様。結局JR駅まで歩く羽目になったが、横浜駅から空港までの高速バスには間に合った。それでも最初の最初でケチが付いたことは間違いなく、幸先の悪いスタートという事になるのだろう。ウジウジしながら旅立った。

幸先が悪いのは僕だけだったのか、幸先の良かった大多数の乗客のおかげなのか、飛行機は予定通り早朝のホーチミン空港に到着した。寝ぼけたままのベトナム入国だが、例によって上手く機能しているとは思えない入国審査である。昨年は到着日の初便だったらしく速攻で通過できたが、今年は2便目だったようで、既に入国審査場には行列が出来ていた。どこに並ぶべきか案内がないので、良く分からないまま短そうな列の最後尾に並ぶ。こういう時に限って、やや攻めたスケジュールの乗継便を別予約で取っており、ちょっとビビって目も覚める。フーコック島へ行くらしい隣の客は、既に絶望していた。

前夜のようにバスに乗り遅れて歩く程度なら問題ないが、飛行機に乗り遅れるのは勘弁してほしい。最初からケチが付いたことを思い出し、暗い気持ちで列に並んでいた。それでも並んでいる間に入国審査官が続々と出勤し始めたようで、徐々に稼働している窓口が増え、結果的には余裕で通過できた。フライト到着を入国審査官の出勤時間に合わせるか、フライト到着に合わせて入国審査官が出勤するか、どちらかにしてくれた方が精神衛生上よいのだが。

ともあれ無事にフエまでの国内線に乗れた。スムーズにフエ市内のホテルに到着したが、チェックイン時刻までは時間があり、アーリーチェックインは別料金との事。時間調整も兼ねてGrabで車を4時間くらいチャーターして郊外の観光地へ行こうと思っていたのだが、アプリからのチャーターは出来なくなっていた。普通に片道の配車依頼しようかとも思ったが、街に戻ってくる車がいないのも困る。ホテルの人にタクシーチャーターを相談したところ、結局どこかの旅行会社に電話されて、プライベートツアーを紹介された。20分後にはピックアップ可能とのことで、そのまま依頼。

プライベートツアーを依頼したのは良いが、支払いは現金だけだそうである。乗り継ぎがタイトだったのと、あまりにもスムーズにホテルに着いてしまったので、ベトナム到着後にATMへ行けていなかった。ホテルには銀行のオフィスが入っていたが、営業店というよりも事務所らしくてATMは1台しかなく、しかも壊れていた。ホテルの周辺を歩き回ってATMを見付けたが、そういう時に限って通信エラーで引き落としできない。昨夜の路線バスの一件を思い出し、また暗い気持ちになる。今回の旅は上手くいかないのではないだろうか。

結局ピックアップ時間までに現金は用意できず、観光前に銀行へ行ってもらう所からスタート。ドライバー兄ちゃんは英語が通じたが、当初は意図が通じなかった模様。たしかに現金を全く持たずにツアーの依頼をする奴なんていないだろう。

しばらくしたら銀行の店舗を見付けたので、車を止めてもらった。ドライバー兄ちゃんのおかげで、警備員が駐車場から機械まで付き添ってくれるVIP待遇だった。こちらのATMは正常に動作し、やっと安心して観光をスタートできた。

まずはカイディン帝廟へ行ってもらった。ここを見たくてフエに来たようなものなので、初日に行っておくべきだろう。フランス文化に大いに影響されたベトナム王様の、豪華絢爛な墓所である。見に来て正解と思える、素晴らしい場所だった。有名観光地とはいえ結構な僻地にあり、戻りのタクシー空車などは見かけず。チャーター車で来て正解だった。

別の王様の墓所と仏教寺院を見てから、フエ市内に戻った。なぜか最後の仏教寺院から市内までは船で戻らされるのだが、結局のところ土産物屋の代わりだった。川の上なので逃げることは不可能、しかも空港値段である。大量生産の土産物を買うくらいなら、暴利でもビールが欲しかったが、そういう選択肢はないらしい。先程は僕がATMを探していたが、今や僕の方がATMなのだろう。それでも川風は涼しいし、猛暑の中を道に迷うこともない。

概ね成功と言って良い一日だった。

最初の路線バスに乗り遅れたのでケチが付いたと思ったが、むしろ羽田からの飛行機に間に合ったことを重視すべきだった。本筋の結果が良ければ、全て良しと思うべきだろう。枝葉末節に関わる無駄な心配は、するだけ無駄である。

はこだてのおもいで

昨年末くらいから調子が良くない。当初は人生にありがちな不運サイクルに入ったのだと思ったが、なかなか上向かず、体調も芳しくなかった。諸悪の根源は不眠にあると思われ、定期的に通っている鍼灸院で指摘されたのだが、どうやら安静時の心拍数が高いらしい。検診の結果、心臓自体には問題ないので、自律神経系の問題なのだろう。とりあえずApple Watchを購入して経過観察することにした。

2月に3泊4日で台湾へ行った後、状況は改善した。心拍数は落ち、不眠も多少は改善。しかしゴールデンタイムも3週間で終わった。花粉症がきっかけで再び不調になり、あとは毎週のように襲来する低気圧、気温変動などの要因で悪化の一歩をたどった。体調が弱り気味のところで不眠が悪化するので、更に不調は酷くなる。

自律神経系の問題は、たぶん会社を辞めれば改善するだろうというのが鍼灸師と僕の共通認識なのだが、さすがにハードルが高いし、もっと生々しい別の問題が生じる可能性が高い。効果的な対処療法としては、やはり旅に出るのが良いようだ。

弱りきった時には既に3月末だったが、GWまで待てそうもない。晩秋に再訪しようと思っていた、函館市の外れにある「ホテル恵風」へ行くことにした。ただし対処療法が目的なので、1泊では短いと思われる。調べてみたところ、同じく函館郊外の「ホテル函館ひろめ荘」と連泊すると、宿泊施設間の送迎をしてくれるらしい。旅の最後に函館で高級寿司店に寄れるし、北海道には花粉症がないと聞いた事もあり、ちょうどいい避難先になるだろう。

春休み期間を外したとはいえ、土曜朝に羽田を出るフライトの特典航空券には空席がなかった。むしろ飛行機自体が満席に近い。定価に近い運賃で3列席の真ん中に座るくらいなら、乗車時間4時間半でも北海道新幹線に乗ることにした。ほぼ同料金でグリーン車に乗れる。どうせ夜は不眠なので、ゆっくり寝ていけば良いだろう。

東京駅で寝酒にビールを購入したものの、飲み切る前の上野あたりで意識が途切れ、数秒後に目を開けたら既に新青森だった。乗客の出入りが少ないせいか、途中の仙台や盛岡すら気付かず。気の抜けた常温の液体を飲みながら、意識が途切れがちなまま青函トンネルを抜けた。これだけ寝ればグリーン券の元は取っただろう。

ウトウトしながら函館に着いたら、抜けるような快晴である。しかも暑いくらいの気温だった。前回は吹雪で凍えていたのが嘘のようだ。

函館駅前から市電に乗って十字街へ向かう。レトルト製品を愛用している「五島軒」の本店でカレーを食べ、ホテルの送迎車に乗り込む。この日は津軽海峡も穏やかな海の風景だった。

ホテルに着いてから、カメラを持って近隣の椴法華漁港と灯台を見に行った。海霧が出て幻想的な雰囲気である。2時間ほど歩き回ったせいで疲れが出たのか、対処療法の効果なのか、夜は早々に寝た。

翌朝、やっぱり不調である。対処療法の効果は幻想だったのだろうか。不調でグズグズするのは自宅でも出来るので、撮影がてら散歩に出た。この日も暖かい。

歩いていると、ふと木に目が行った。不穏な茶色をした杉の木である。

この日の不調は花粉症が原因だろう。まったく予想外の事態である。北海道は白樺くらいしか花粉症にならないと聞いていたが、道南では違う話なのかもしれない。たしかに津軽海峡を挟んで20キロちょっとで本州である。杉くらい生えていてもおかしくないだろう。花粉の飛散が終わりかけだった関東と違い、むしろピークなのではないだろうか。

僕が花粉症になるのは杉だけで、ヒノキや白樺は問題ない。ゆえに花粉症はないだろうと思って、鼻炎薬を持ってきていなかった。しかも近隣にドラッグストアなど無い。

それでも杉の木が少ないせいか、空気中の汚染物質が少ないせいか、あまり悪化はしなかった。自分で自分を誤魔化しながら最終日の午後に函館へ戻り、街を歩いているとドラッグストアが目に入った。セイコマと並ぶ北海道の雄、サツドラである。

ここまで来たら薬なしで帰京しても問題なさそうだが、最後かつ最大のイベントである高級寿司店が控えていた。なにかのアレルギー反応なのか、日本酒を飲むと鼻水が止まらなくなることがあり、万全を期したい。

一目散にサツドラへ駆け込んだ。鼻炎薬の棚はあったが、関東で見るような花粉症対策コーナーはなかった。やはり全体的に需要は少ないのだろうか。それでも薬は同じである。

鼻水を垂れ流すこともなく、無事に寿司店で今回の旅の仕上げをした。帰りのフライトは特典航空券に空席があり、最終便で東京に戻る。天候にも恵まれ、極めて満足して帰京。

羽田空港から横浜駅前に戻る高速バスで座っていたところ、横浜市に入ったあたりのベイブリッジ手前でApple Watchが鳴った。僕のApple Watchは安静時の毎分心拍数が120を超えるとアラームが鳴る設定にしているので、経過観察の賜物だろう。横浜駅に着くまでには落ち着いて100程度になったが、そんな状態で帰宅しても眠れるわけがなく、早々に不眠が復活した。

不眠の対処療法としては2泊3日では足りなかったのだろうか。それとも対処療法にはパスポートが必要なのだろうか。そもそも旅行を対処療法とすること自体が幻想だった可能性もあるが、生々しい問題はパスしたいので、別の対処療法を編み出したい。

新たな対処療法を考えるためには、新しい視点で自分の生活を再検証する必要がある。心機一転を図るため、まずは旅に出ようと思った。