ごのうせんのおもいで

毎年それなりの数の弾丸旅行をこなし、かつブログにつなげている秘訣はプランニングに尽きる。以前、国内旅行の日程を知人に見せたときに「これが余暇の過ごし方か」と言われたが、ちょっと温泉に行くだけでも閣僚の視察旅行なみにプランニングされている。行きあたりばったりの僕の人生とは大違いである。

実際、強引な日程の旅行を繰り返していても、日本への帰国便に乗り遅れそうになるような危機は一度だけだ。

2018年にメキシコ・テキーラ村からの帰路、グアダラハラからロサンゼルスへのメキシコ系LCCが2時間40分ほど遅れ、ANA羽田行き深夜便に乗り遅れそうになったのだ。例によって早朝の羽田空港から会社に直行の予定だった。

このときはスケジュールのバックアップも兼ねて、ロサンゼルスで乗り継ぎに5時間半も取っていた。結果、史上最速でアメリカに入国してANAにチェックイン、ブラッディ・メアリーを飲んでから深夜便に乗れた。
プランニングの賜物である。

今冬の東北旅行のメインは温泉だったが、もう一つ目的地があった。五能線である。青森から秋田北部にかけての日本海沿いを走る、沿線の景色が良いと評判のローカル線だ。ハードボイルドな僕に似合う厳しい冬の風景を求め、夕方の列車に乗ることにした。

冬の日本海側の気候は荒れやすい。海沿いを走る五能線の運行は、厳しい風雪との戦いらしい。しかも単線区間なので、列車の行き違いで更にダイヤが乱れやすいとのことである。

五能線をメキシコ系LCCと比べるとJRには怒られそうだが、同程度のリスクで運休や遅延を考慮に入れておくべきだろう。僕はプランニング至上主義なので、Plan AからPlan Dまで考えた。

Plan Aは14時半に弘前を出る五能線に乗る。秋田には定刻だと18時56分に着くが、19時10分の東京行き最終新幹線は敢えて見送る。秋田駅から19時20分のバスに乗って、秋田空港20時50分の最終JALで羽田着22時。たかが10分、されど10分。

Plan Bは秋田駅から秋田空港までタクシー利用である。秋田駅からのバスは空港にJAL出発50分前に着くスケジュールになっているが、そんなに早く空港に着く必要はない。しかも所要時間を10分くらいサバ読んでいそうだ。タクシーに乗れば、五能線が50分くらい遅れても間に合いそうである。

Plan Cは五能線挫折。弘前で五能線の乗車を諦め、そのまま新青森から新幹線で東京に戻る。こうなった場合に備え、当日でもキャンセルできる航空券を買っておく。

最後のPlan Dは、急きょ風邪をひいて翌日の午前中休んでしまう、高校時代からの得意技だ。こういう時のために、職場では旅行の計画に関して口が堅いのが要諦である。もっとも秋田発20時14分の仙台行きの最終新幹線に乗れれば、仙台で1泊して翌朝8時7分には東京に着けるのだが。

そこまで考えて旅に出たが、今年は暖冬だった。荒れやすい冬の日本海の筈が、嵐はおろか、積雪すらない。冬というより、晩秋の風情である。結局、五能線の運行に支障をきたすような障害はなく、秋田には定刻に着いた。

僕は色々と考えすぎなのだろう。意味もなく予定を複雑化しすぎている可能性は高いが、しかしプランニング至上主義者なので、そうは考えない。当初の計画通りに旅程を済ませた満足感に浸りながら、JALの最終便に乗った。

計画通りに旅行は終えたが、本場の冬の日本海沿岸を体験しそこねてしまった。来冬以降に持ち越しである。やっぱり僕は旅行の計画はできるが、人生の計画はできないようだ。

短期的な計画性の権化のような僕にとって、今年のGWは苦痛だろうか。

今年は極めて良い祝日配置となっており、月末・月初にも関わらず、まったく休日出勤を必要としていない。5/2から5/6まで普通に5連休である。土曜だけ通院の予定があったが、電話再診という便利な制度を利用した。ゆえに5日間、Stay Homeが唯一の計画である。

Stay Home期間中はアル中にならないよう、飲酒を制限する必要がある。一方、休みに仕事をしないのがサラリーマンとして唯一の矜持であり、これは維持したい。

第一の趣味である旅行が制限されているにも関わらず、第二の趣味である飲酒も制限されている。しかも第一の義務を果たすのは自分自身のポリシーに反する。

つまり何もできないのである。無計画にダラダラしているしかない。

いまのところGWは苦痛ではない。しかし僕は何かを間違えている気がする。残り数日で間違いに気付けるだろうか。

たぶん気付いた頃には手遅れだろう。行きあたりばったりの僕の人生のように。

とうほくのおもいで

僕のブログを分類するとすれば、旅行系ブログということになるだろう。副分類は「海外その他」。一般的な旅行記ブログと称するには、実用的な情報が少なすぎるからである。

いま世界はCOVID-19で危機的な状態にある。現時点での効果的な対処法は感染リスクを下げることだけなので、外出を減らすしかない。

感染リスクの管理といえば、勤務先では海外旅行が届出制という名目で実質禁止になった。禁止されるまでもなく、訪問先で概ね14日程度、さらに帰国後にも14日間隔離されるので、サラリーマンである限り実質的にはどこにも行きようがない。

海外旅行系 (その他) ブログなのに、旅行に行けない事態である。人が無意味に死ぬリスクよりはマシだが。

ちょっと時間軸を戻すと、COVID-19危機が日本国内で深刻化する前、今年の1〜2月は出張も含めて国内旅行が多かった。僕には珍しい。当面は国内旅行について書いていこうと思う。

さて「避寒」という言葉がある。あまり馴染みのない言葉だが、クリスマスにドバイで散財する北半球のセレブをイメージすると分かりやすいだろう。

しかし僕はセレブではないせいか、ドバイで避寒したいとは思わない。散財できないせいもあるのかもしれないが、むしろ僕は寒さを楽しみたい

日本の冬を楽しむため、寒さと温泉を求めて旅に出たいと思った。

友人オッサンと温泉に行こうとすると、必ず争点になるのが移動距離である。移動には金も時間もかかるので一般的には避けたいようだが、しかし僕は遠くに行きたいタイプだ。いくら寒い場所に温泉があるにしても、北関東では妥協できない。冬の寒さと温泉といえば東北である。それも山奥に行きたい。

まず思いついたのが、4年くらい行っていない後生掛温泉である。地理的には秋田と岩手の県境だ。一方、秋田と青森の県境には日景温泉というのがあるらしい。いずれにしても秋田県の外れであれば、申し分のない山奥だろう。一昨年には果たせなかった、秋田経済への貢献をしてみたい。

そんな大志を抱き、東北新幹線で旅立った。盛岡で花輪線に乗り換え、秋田県方面に向かう。花輪線の鹿角花輪駅から後生掛温泉へ。翌日は花輪線で更に進み、大館駅を経由して日景温泉に向かう。東北横断の意欲的なスケジュールである。

冬の東北の温泉は良い。

何が良いのかを考えていると、要は人間が少ないのだ。客が多い温泉というのは苦手である。そもそも人が多い場所がキライだ。

都市を離れ、山奥で温泉につかる。サラリーマンをしていると週末しか休みにくいが、それでも冬の温泉地は空いている。

ただし日本の温泉には露天風呂があり、冬の東北の山奥は掛け値なしで寒い。ヒートショックのリスクが玉に瑕である。

寒さを求めて旅に出たと思えば、不可避なリスクだろう。甘んじて受けよう。残念ながらドバイで散財できるセレブではないのだ。

と、ここまで書いてみたが、いまいちキレがない。国内旅行をテーマにした昔のブログを読み返してみたが、やっぱりイマイチである。

たしかに日本にいる限りは、市場でバイクに轢かれかける事も、現金を持っていないのに電子マネーが使えない事もない。海外旅行を書きためてきたのとは、別の発想が必要そうである。

今回のCOVID-19危機を奇貨として、新たな方向性を模索したいと思う。幸か不幸か自宅で原稿を書く時間は普段よりも多く取れそうである。

ふっけんしょうのおもいで

福建省・厦門では世界遺産であるコロンス島に滞在したのだが、福建省には他にも気になっている所があった。それは世界遺産になっている福建土楼だ。福建省の山岳地帯にある客家の巨大集合住宅である。巨大集合住宅といっても、高島平団地のような所ではない。

福建省には多くの土楼があり、どの土楼に行きたいかを事前に調べる必要がある。観光地化された土楼には興味がなかった。保存状態が良く、客が少なく、できれば上階に上がりたい。しかも元々が山岳地帯の集落のようなものなので、移動距離も考慮に入れる必要がある。結局、大型ながら比較的マイナーな初渓土楼と南渓土楼の二箇所に絞った。

自力での移動は困難そうだったのでツアーを探してみたが、マイナーな場所を組み合わせてしまったせいか、行きたい二箇所を回るツアーが見つからない。しかし妥協もしたくない。

結局、中国ビジネスをしている友人に泣きつき、乗用車をチャーターすることになった。

ドライバーは英語と日本語ができない。僕は中国語ができない。つまりコミュニケーション問題が発生する。

僕のiPhoneにGoogle翻訳を入れ、ドライバーのスマホにも翻訳アプリを入れてもらい、しかもWeChatでドライバー、友人、僕というグループを作ってバックアップしてもらった。1月2日のことだった。他人の迷惑も顧みず、正月から大騒動である。

おかげで何とかなった。希望通りの福建土楼が見れたし、余った時間で田舎の村を散歩できた。

福建省といえば烏龍茶の産地である。実際、土楼に出ていた土産物店では地元産らしい茶葉を売っていた。

そんな福建省には飲茶の文化がある。

初めて香港へ行ったときにカルチャーショックだったのが、飲茶は完全に朝の文化だったことだ。お茶と点心なのである。

一方、オッサンとしては点心にはビールである。深夜まで飲茶ができるシンガポールの中華街に行く機会が多かったせいもあるが、点心とビールは相性が良いのではないかと思う。

福建省では夜でも飲茶ができた。メニューにビールもある。素晴らしい。早速、点心と青島ビールをオーダーした。

しばらくすると点心が運ばれてきたが、黒酢ではなく、チリソースがついてきた。これもシンガポールと同じである。

福建の飲茶文化は広東とは少し異なるようだ。

ビールを飲みながら文化的な差異について考えていると、シンガポールの華僑は福建省出身の客家が多いという話を思い出した。福建土楼に住んでいた人々の子孫である。シンガポールの華僑文化には福建の影響が強く、それゆえにシンガポールの飲茶は福建的なのかもしれない。

今年は年始から文化的な思考をした。年末年始に年賀状以上のことが考えられるとは、我ながら驚きである。