おたるのおもいで

北海道に行くのは3回目である。1回目は子供の頃にスヌーピー塗装のANAに乗るためだけに行った。記憶は全くない。2回目は青森旅行のついでに、半日ほど函館に寄っただけだ。

本格的な北海道旅行は今回が初めてと言っていいだろう。釧路が目的地ではあるのだが、一般的に北海道旅行の目的地と言えば、寿司屋と余市蒸留所ではないだろうか (たぶん)。

夏休みを1.5日取って週末と組み合わせ、トータル3.5日の旅行期間となった。釧路は移動を含めて2.5日。残る1日は北海道らしい北海道を満喫したい。

旅行時点で東京都民はGo To Travelの対象になっていなかったので、マイルで航空券を取りたかった。まずは土曜朝に千歳へ向かう飛行機を予約した。そして蒸留所見学を予約。ホテルを決める前に、寿司屋の予約をしなければならない。札幌の寿司屋にするか、小樽の寿司屋にするか。悩ましい。

大都会の札幌は高級寿司店が多いが、市内での移動が面倒くさそうだ。小樽は港町をブラブラすれば楽しめそうである。札幌に泊まるよりも、小樽に泊まる方が効率的かつ経済的であるとの結論に達した。

朝一のJALに乗って千歳、そこからJR快速の指定席を予約しておいて、小樽へ。ホテルに荷物を預け、余市蒸留所に向かった。

あちらこちらと蒸留所には行っているが、余市蒸留所は初めてである。以前は自由見学も可能だったらしいが、COVID-19の影響で完全予約制になっていた。

余市で見たかったものは、石炭焚きのポットスチルである。ツアーで蒸留棟を通った時が、ちょうど石炭をくべるタイミングだった。ラッキーである。

有料試飲コーナーと蒸留所限定ウイスキー購入も欠かせない。有料試飲は一人2杯まで、ウイスキー購入は一人3本まで。同行した母親は酒を飲まないが、幸いなことに一人カウントだった。試飲したいウイスキーが4種類、買いたいウイスキーが3種類で各2本。悩まなくて済む。母親に感謝の念を伝えたところ、こんな時くらいしか感謝しないだろうとのこと。

小樽と言われて思いつくものはルタオのチーズケーキである。せっかくなので本店に行ってみたい。しかし僕は糖尿病予備軍だった。寿司屋ではコメを大量に食べ、コメ由来の酒も大量に飲む予定である。その前にチーズケーキを摂取するのはマズいだろう。やむなくルタオ本店は断念した。

やることもないので、街へ散歩に出た。COVID-19のせいか観光客が少ない。ちょっと寂しくなってくる程である。人力車もガラス工芸店も暇そうにしていたが、どうにも観光地らしい店は苦手なのでパス。観光振興という政策に合致した行動は取れなかったが、そもそも数日の差でGo To Travel対象外なので、日本政府の政策なんてどうでもいい。

秋の気配を感じながら、釣人に紛れて夕刻の港を歩いてみる。天気が悪いせいもあるのだろうが、情景が寂しい。イメージ通りの、北の港町である。

きらびやかな札幌よりも、きれいな風鈴を売っているガラス工芸店よりも、寂しい港町が僕には似合う。と思う。それに寿司屋も美味しかった。

小樽に来てよかった。北海道らしい北海道 (たぶん) を満喫できた。

くしろのおもいで

夏休みの釧路には母親と出かけた。ちょっと前に写真をTwitterに投稿したのだが、焼鳥屋でタマネギを内側から食べる、僕のおかんである。僕自身が釧路に行く目的は釧路湿原とトロッコ列車だったが、母親は数年前から釧路に行きたがっていた。

母親は大学生の時に友人たちと釧路に行ったことがあるそうだ。いわゆる学生の貧乏旅行というやつで、ネットのない時代、だれかの伝手を頼って教会に無料で泊めてもらったそうである。そこを再訪したいとのことだった。

おかんが大学生の時と言うと、それは一昔前どころの騒ぎではない。50年以上も前の話である。調べてみたところ、釧路駅の近くにはカトリック教会があり、そのほかにも釧路市内には聖公会もあるし、日本基督教団もある。大手というか、老舗というか、50年前からありそうな教会だけでも数か所になった。もう少し絞り込む必要がある。しばらく話を聞いてみると、たぶん修道院だそうである。

さらに調べてみると、フランシスコ会の修道院が緑が丘という場所にあった。当時、謝礼の葉書を書いたのだろうか、釧路市緑が丘という地名には記憶があるそうである。50年前とはいえ、そしてキリスト教系の学校に行っていたとはいえ、うら若い女子たち (当時) がフランシスコ会の修道院に泊まれたのかは相当あやしいと思うのだが、他に決め手もない。なんとなく踏ん切りがつかなかったが、アポなしで訪問することにした。

釧路に着いてホテルに荷物を置き、緑が丘を目指す。しかしタクシーには乗らないとの仰せである。地元バス会社のサイトを見ると、修道院の近くにバス停があった。利用できそうな路線は複数あるものの、どの系統に乗れば良いのかは全く分からない。おそらくホテル近くのバス停から乗車できるはずなのだが、バス停に行って時刻表を見ても分からないままである。とりあえず来たバスの運転手さんにダメ元で聞いてみるが、そんなに上手くいく筈もない。

諦めて釧路駅前のバスターミナルまで歩いて行き、バス会社のおねいさんに聞いてみた。すぐ出るバスに乗ると、近くまで行けるらしい。待つよりも、少し歩いた方がいいとのこと。テレビ番組の蛭子さん気分でバスに乗った。

COVID-19のせいか、それとも釧路のバスの標準なのか、数人の乗客だけでバスが動き出した。バスはホテルの方向に戻りつつ市街地を抜け、それから川を渡り、丘を越えると、完全に地方都市の住宅街である。気付くとバスの乗客は我々だけになっている。

僕は蛭子能収ではない。太川陽介でもない。知らない場所でバスに乗るのは苦手である。不安な気持ちしかない。

おねいさんに指示されたバス停で下車。帰りのバス時刻を確認して、修道院まで歩く。降りた所は修道院から2つくらい手前のバス停である。

釧路の住宅地を歩きながら50年前の記憶を辿ってもらうが、まったく記憶に無いとのこと。軽く50年と言っているが、すなわち半世紀である。やむを得ないだろう。昔の釧路は田舎だったと3回くらい聞かされた後、やっと修道院に到着。

この修道院で正解なのか僕には確信が全くなかったが、安息すべき日曜日の午後であり、修道士を浮世の雑用に関わらせるのは心苦しい。あえて先方に確認することなく、50年ぶりに改めて謝礼を書き、献金と共に郵便箱に入れた。

おかん本人にも確信はないようだったが、それでも50年余りの懸案が解決したそうである。「これでいいのだ」とバカボンのパパのように思いながら、帰りのバスに乗った。

思いのほか早く釧路市街に戻ってこられた。釧路名物さんまんまを食べてから、JRに乗って釧路湿原の夕日を見に行った。雲の下から太陽が顔を出し、湿原を照らした。人間なんて小さく思えてしまうような夕景だった。

これでいいのだ。

(北海道の夏休み:前回)

くしろしつげんのおもいで

海外旅行という選択肢のない今年の夏休みは、どう過ごすべきか難しかった。僕の勤務先では夏休みを9月末までに取る必要がある。7月に富山へ行って夏休みを1日使ったが、ふと気付いたら8月末になっていた。

どこに行こうか迷いながらインターネットでニュースを見ていたところ、9月末に釧路湿原のトロッコ列車夕焼け時間帯に臨時運転されるとのこと。今年が初めての試みらしい。

既に指定券の発売開始日は過ぎていた。北海道の人気列車が絶好の時間帯に臨時運転されるのである。乗りに行ってみたいのだが、最大の障害は指定席の入手ではないだろうか。

その日の夜、どうせチケットなんて取れないだろうと絶望的な気分で駅に行った。しかしCOVID-19による旅行自粛のせいか、そこそこ空席があった。これは釧路に行くしかない。

列車のチケットを買ったところで、旅行スケジュールを考え始めた。神奈川と東京とで二重生活しているが、正式には東京都民なので9月末はGo To Travel非対応だった。ちょっと悔しいが、乗り越えられない障害という程ではない。日本国政府から旅行代金を補填してもらえないのであれば、マイルとLCCを使えばいい。行きのJAL千歳便にはマイル利用の無料航空券があり、帰りは釧路からのAirDoに格安チケットがあった。

ほぼ完璧な計画で全ての予約を済ませたが、数日後、AirDoから欠航の通知が来た。COVID-19による運航調整とのこと。その日の午前はJALの釧路〜東京便も欠航であり、釧路から東京に戻る便は午後しかない。実は午後から会社の予定が入っており、僕の旅行にありがちな羽田空港から会社直行のパターンだった。正午頃には羽田に戻っている必要がある。絶望的な気分になった。

この障害を乗り越えないと、釧路で夕焼けトロッコ列車には乗れない。困ったときは、十津川警部のように地図を眺める。

北に向かうと網走の近くに女満別空港があるが、需要減による欠航のリスクは釧路といい勝負だろう。東には根室中標津空港があるが、こちらは更に条件が悪いと思われる。南は太平洋。残るは西、帯広である。

釧路を6時半くらいに出発する朝一番の札幌行き特急「おおぞら2号」に乗ると、帯広に8時着。帯広駅前からバスで空港に向かうと、帯広空港には9時に到着。10:15発のJAL570便に乗ると、羽田着11:55。

容疑者のアリバイは崩れ去った。

しかし障害はこれだけではなかった。出発前週の日曜日、ギックリ腰になってしまったのである。再び絶望的な気分になった。

この障害も乗り越えないと、釧路で夕焼けトロッコ列車には乗れない。翌日に鍼灸院へ行って復活したものの、思いつきでストレッチをした結果、悪化させてしまった。出発前日は在宅勤務だったので、鍼灸院と会社のボスに泣きついて、ちょっと長めの昼休みを取って再診してもらいに行った。仕事より旅行である。

なんとか障害を乗り越え、北海道へ旅立った。

ここまで来ると、障害となりそうなのは当日の天気だけだ。午前中は曇りだったので心配になったが、昼くらいから快晴になった。絶好の夕焼け日和である。

満を持して釧路駅に向かった。釧路から終点の塘路まで片道40分ほど。釧路湿原の中を走る釧網本線は絶景だった。しかもトロッコ列車だけあって窓がない。非常に良い気分である。

この日の日没は17:10頃だった。塘路16:42発の復路がメインイベントということになる。

湿原の夕景は更に絶景である。列車内からの写真撮影は、窓がないトロッコ列車の本領発揮といったところだ。景色の良い場所では徐行もしてくれる。

しかし僕は気になってしまった。線路沿いの通信ケーブルが写り込んでしまって障害となる。ケーブルが写り込まず、かつ線路沿いの木々に湿原の展望を妨げられない場所というのは、意外に限られている。

最後の難関と思われた天気は全く問題ない。それにもかかわらず、写真撮影に障害があるとは予想外だった。

線路沿いとはいえ、国立公園の木を切るのは環境保護の観点から問題あるのだろう。鉄道の通信ケーブルを切るのも、安全運行上の問題があるだろう。冬季の積雪を考えると、通信ケーブルを地中化するのも大変なのかもしれない。仮に地中化が技術的に可能だとしても、資金難のJR北海道には難しそうである。

数日の国内旅行ではあったが、僕自身は幾多の障害を乗り越えて釧路まで来た。トロッコ列車そのものの障害は、僕個人には乗り越えられない壁であり、諦めるしかない。

通信ケーブルが写真に写り込む問題は残っているが、素晴らしい夕景に出会えたせいか、爽快な気分で列車旅を楽しむことができた。終わり良ければすべて良し、である。

(北海道の夏休み:次回)