びんたんとうのおもいで

今年7月に沢木耕太郎さんの「深夜特急」に出てくる夕陽を求めてシンガポールからマラッカに向かったが、あの本に思い入れがなければ、マラッカはマレーシアの地方都市である。首都クアラルンプールほどの大都市ではなく、のんびりビーチで過ごすような田舎でもない。たしかにマラッカ旧市街はエキゾチックな世界遺産だが、それはそれとして、なんとなく物足りなさが残ってしまう。

せっかくの夏休み、しかもCOVID-19の影響で久々の海外旅行だ。愉快な夏休みを満喫したいと思い、シンガポールからフェリーに乗ってビンタン島に出かけた。シンガポール在住者をターゲットにした、インドネシア領のリゾートアイランドである。

一般的にリゾートアイランドといえば、マリンアクティビティにプールサイドバーが相場だろう。僕は全く興味ないが、エステやゴルフという選択肢もあるし、ビンタン島では銃も撃てるらしい。これが世間でいう「夏休みらしい夏休み」ではないだろうか。

しかし、それでは満足できないのが僕である。ホテルのサイトを見ていると、滞在中のアクティビティとして、マングローブの森へのツアーが紹介されていた。これを機会に東南アジアの大自然にふれるのも良いかもしれない。

他にも何かないかと思いGoogle Mapでビンタン島を丹念に見ていったところ、なかなか美しそうなモスクを2か所も発見した。大自然の次は異文化交流だろうか。

ところで異教徒にとってモスク見学は難しい。僕が行ったことのある場所だと、トルコは自由に出入りできたが、マレーシアでは立ち入り可能エリアが明示されている。中東やモロッコはモスクにすら入れない事が多い。

インドネシアでモスクを見学できるかは分からなかった。ホテルに問い合わせたところ、明確な回答はなかったが、レンタカーの手配はできるらしい。車を借りるとドライバーがついてくる、東南アジア方式のレンタカーである。

どう考えてもモスクとマングローブは「夏休みらしい夏休み」の過ごし方ではないが、一通りの手配を終えてビンタン島へ向かった。

ビンタン島に到着すると、まずは送迎車でホテルに向かった。チェックインだけ済ませてから、マングローブ・ツアー開始。快晴とまではいかないが、それなりに晴れていた。近隣の漁村からボートに乗って川を遡る。村から少し出ただけで、鬱蒼としたマングローブの森である。わざわざ見に行くような物好きは、都会に毒された変わり者だけなのではないだろうか。

気の良さそうな船頭の兄ちゃんと約2時間、マングローブの森に船で入ったり、川辺で動物を探したり。晴れて暑いが、川面の風が涼しくて気持ちいい。ちょうど干潮時だったので、マングローブの根の様子などを観察できてよかった。最後に漁村を回ってツアー終了。他に乗客はおらず、貸し切り状態だった。かなり楽しかった。

翌朝は早めにドライバー付きレンタカーで出発。まずは最初のモスクに到着。現地人のドライバーが連れてくる位なので、モスクに入れないということはないだろうが、どこまで許容されるかは不明である。しかもドライバーはドライバーなので、駐車場で待機している。こうなったら自分で何とかするしかない。

とりあえず靴を脱いでモスクに入った。さっさと写真を撮って退散しようと思っていると、掃除のオッサンが登場。怒られるかなぁと思っていると、オッサンがニコニコして話しかけてくる。とりあえず追い出されることはなさそうなので、こちらもニコニコして話しかける。こういうときに限って、iPhoneの翻訳アプリが機能しないのだが。とりあえずニコニコしていれば友好的なのだろうと判断し、プラプラと内部を歩き回った。

その後、もう一か所のモスクを見に行った。こちらは無人であり、特にニコニコすることもなく、追い出されることもなく終了した。

帰りのフェリーまで時間が余ってしまった。どこかに連れて行ってとドライバーに頼んだところ、 Gurun Pasir Bintanというローカル観光地に連れて行ってくれた。元は鉱山の跡地らしいのだが、砂漠のような景色と青い湖が広がる不思議な場所だった。

リゾートアイランドで夏休みを過ごそうと思ったが、エステやゴルフはおろか、マリンアクティビティもプールサイドバーもなかった。そもそも水着すら持って行かなかったのだが。

それでも大自然と触れ合い、異文化交流と絶景、そしてニコニコ笑って愉快な夏休みだった。

びえいのおもいで

なんとなく不満の残った熊野の旅だったが、なんとなく諦めがつくわけもない。

夏になるとCOVID-19は再び猛威をふるい、Go To Travelの再開は吹き飛んだ。そして感染拡大のせいで、世間では旅行のキャンセルが続出しているとの事だった。そもそも僕自身も感染してしまい、8月上旬の旅行をキャンセルしていた。こうなると熊野の恨めしい思い出がよみがえる。誰かのキャンセル枠を探し出し、熊野の判断ミスを取り返そう。

あの時に行けなかった美瑛・富良野の宿をチェックしていると、たしかにパラパラと空きが出ている。数日おきに何回かチェックしたところ、希望の日程に空きがでた。

美瑛・富良野へのゲートウェイは旭川だが、直前にも関わらず、往路の羽田〜旭川には無料航空券の空席があった。復路も新千歳~羽田の最終便には特典航空券でも空席があり、旭川〜新千歳は鉄道で3時間ほどの移動で済む。これでピークシーズンにあたる8月の週末である。奇跡に近い。しかも出発3日前には復路の旭川〜羽田の最終便に無料航空券の空席が出たので取り直すことができた。

礼文島の時と同じく、北海道の神様が来いと言っているのではないだろうか。そう信じることに決め、あたふたと北海道に向かうことにした。

「策士策に溺れる」を地でいった熊野の反省を生かして、あえて今回は天気予報をチェックしないことにした。変わりやすい週間予報を見て一喜一憂するのも、予報に怯えて無駄に策を練るのも止めよう。どっしり構えて、あるがままに楽しむのだ。

そうは思ったものの、やっぱり出発の数日前には天気予報が気になって見てしまった。昭和の名言によると、反省だけならサルでもできるらしいので、僕はサル以下という事だろうか。やはり自らの策に溺れるような、器の小さい小物である。

到着日の予報は晴れか曇り、2日目は崩れるものの、最終日は晴れの予報だった。滞在期間中、少なくとも丸一日は晴れるようで、北海道らしい美瑛の風景を楽しむことが出来るだろう。わりと大らかな気持ちで快晴の東京を飛び立った。

旭川空港に着くと曇りだった。ラベンダーのシーズンは終わってしまったが、まずは花畑を見に富良野へ向かう。午後から晴れそうな予報だったので、僕の中でメインの美瑛は後回しにした。

期待通り、午後からは晴れた。行きたい場所の目星は大まかにつけておいたので、地図を見ながら美瑛をレンタカーで走る。半日あれば回りきれた。さらに探せば写真的に良い場所は見つかるだろうが、美瑛も富良野も想像以上に人が多い。美瑛は満足できたので、2日目以降は別の場所を探すことにした。

翌日は小雨まじりの曇りだった。風景写真は諦め、旭山動物園に行くことにした。さすがに夏休み中の週末という混み方である。

そして3日目は予報通り晴れた。まずはロープウェイで旭岳に行った。その後、美瑛に戻り、新栄の丘という夕日スポットへ向かった。

新栄の丘の夕景は、どこかで日本最高の日没風景と読んだことがある。太陽が高い位置で山の陰に入るせいか、光量が多くて撮影条件としては厳しいが、美しい光景を撮影できた。日本最高ではないかもしれないが、確かに素晴らしい夕景である。新千歳経由での帰路だったら時間的に間に合わなかったが、旭川からの最終便が取れたので訪問することができた。

今年の夏は北日本で豪雨が多く、北海道も気候が安定しないようだった。それでも効率の良い回り方ができ、美しい北海道の景色を楽しむことができた。

あの時、熊野に行ったのは間違いではなかったかもしれない。策士は策に溺れたと見せかけて、じつは水面下に隠れていたのだろうか。

なにせ僕は器量に乏しい小物だから、そんな忍者みたいな事はないだろう。そんな僕にも北海道の神様がセカンドチャンスをくれたことは間違いない。

まらっかのおもいで

5月くらいから日本も出入国規制が緩和され、現実的な日程で海外に出られることになった。そうは言っても、これでも会社員なので浮世の制約もあり、諸般の事情により7月までは見送っていた。

所用もあったので、まずは旅慣れたシンガポールへ行くことにした。シンガポールには何度か行っているが、残念ながら旅行のワクワク感からは遠い場所である。ワクワクしなければ旅に出る価値はないに等しいので、前から興味のあった隣国マレーシアのマラッカにも行ってみることにした。

シンガポールとマレーシアはワクチン接種さえしていれば入出国は実質的に無制限だが、当時の日本政府は、日本行き飛行機搭乗前のPCR検査で陰性であることを課していた。日本に戻る飛行機に乗れないと困るので、出発前夜と出発直前に自宅で抗原検査を行った。そして最悪の状況に備え、会社の仕事ができる体制を持って旅に出た。

シンガポールからはバスでマラッカに向かった。旅行ガイドブックなどでは日帰りも可能と書かれているが、往路は6時間以上かかってしまった。これだけで十分に旅をしたと思えるほどの移動時間だ。

マラッカの名物はチキンライスである。チキンライスはシンガポールでも有名だが、マラッカではライスボールが付いてくる独特の形態らしい。バス遅延のせいで、行こうと思っていたチキンライス店には間にあわず。繁華街の観光客向け有名店に閉店ギリギリで飛び込んだ。

食べてみた結果としては、米飯がボール状になっている必要性が分からないし、やや米の味が薄い。ご飯に鳥スープ味がしみこんだ、シンガポール風チキンライスの方が僕は好きである。

食事後、有名なピンク色の教会と旧市街を見てから、マラッカ海峡モスク (水上モスク) に夕陽を見に行った。僕が未だに読了していない『深夜特急』に出てくる、マラッカ海峡の「とてつもなく大きく赤い夕陽」というやつである。

一般的には水上モスクから見る夕陽が美しいらしいが、それでは夕景の水上モスクを撮影できない。モスク敷地の外に出て、カメラを持った人々で溢れている撮影スポットに向かった。

この日は太陽の沈む位置が水上モスクの裏になってしまい、サンセットそのものは見られなかった。水上モスク横の海域に夕陽が沈む写真も見たことがあるのだが、人生そうそう上手くいかないものだ。それでも天候は晴れ、しかも少し雲があって、美しい夕景になった。人生そこまで悪くはないらしい。

翌日、バスでシンガポールに戻った。飛行機搭乗前のPCR検査は無事に通過し、予定通り日本に帰国。

その数日後に神戸へ出張だった。用事は適当に済ませて、以前に友人オッサンが絶賛していた三宮の『もん』 に行ってみた。神戸の正しい洋食屋さんである。この店はビーフカツレツが有名で、もしくはカツサンドの持ち帰りも良いのだが、この日は迷うことなくチキンライスを注文した。

『もん』のチキンライスは、海南鶏飯と呼ばれる、鳥の出汁で米を炊き込んだシンガポール形式や、ボール形状ご飯のマラッカとは全く異なるチキンライスである。すなわち、トマトソースの赤さにデミグラスソースが効いている、日本の正しい洋食屋さんのチキンライスだ。

これに対して、ケチャップライスとか、卵のないオムライスとか、そういうのは不当な表現だろう。正統なチキンライスとして敬意を持って接するとともに、もっとチキンライス側にも主張して欲しい。

数年ぶりにシンガポールとマレーシアへ行き、チキンライスの偉大さに改めて思いを致した。

いまや日本食レストランが溢れているシンガポールだけでなく、マラッカの夜市でもタコ焼きを売っている時代になっている。洋食屋さんチキンライスには、日本鶏飯として東南アジア市場に攻勢をかけ、かの地のチキンライス勢力図を書き換えてもらいたい。