はぐろさんのおもいで

出羽三山のうち、羽黒山と湯殿山には2017年に行った。この年は本厄だったので、羽黒山で厄除の御札をもらってきた。その後、とりたてて人生がウハウハだったとは思えないが、ひどい厄を背負い込むこともなかった。あれから5年も経ったので、そろそろ感謝の心で御札を返しに行く頃合いだろう。

前回は日帰りだったが、今回は一泊して日本海の夕陽を楽しんでも良いのではないか。羽黒山に近くてメジャーなのは「湯の浜温泉」だが、ちょっとマイナーな温泉を探したい。Google Mapで日本海岸の地図を見ること数度。山形県遊佐の「鳥海温泉」と秋田県象潟にある「さんねむ温泉」を見つけた。土曜朝一のANAで鶴岡に行き、出羽山を含む鶴岡市、そして近隣の酒田市を歩き回り、帰りは日曜17時頃に酒田駅を出発する特急「いなほ」に乗って新潟まわりで戻るプランである。

そんな計画を練りつつ週間予報を見たところ、降雨はなさそうだが、どうも天気が良くないようだ。今年はゴールデンウィーク後の五月晴れが少なく、天気が安定しない。あまり待つと梅雨に入ってしまうし、鬱蒼とした森で石段の写真を撮る分には曇りでも問題ないだろう。と思う。

一方、鶴岡の「加茂水族館」を見に行こうと思っていたのだが、よくよく調べるとクラゲがメインとのこと。フォトジェニックな展示をしているらしいが、クラゲはクラゲである。中華の前菜なら興味があるが、リアルに水中を動いている実物は苦手に違いない。水族館はパスすることにした。

水族館に行かないとすると、美術館とカフェには足が向かない僕が、曇天の鶴岡・酒田で丸二日を潰すのは困難である。初日に夕陽を見られないこともあり、温泉をキャンセルして、日帰りすることにした。

早朝に起きて、羽田からANAで庄内空港へ向かう。鶴岡駅でバスを乗り継いで羽黒山随神門へ。

前回は湯殿山行きバスの前に御札の祈祷を済ませる必要があり、鶴岡駅から随神門まで所要30分と聞いてタクシーに乗った。都内の感覚でタクシー代を想像していたのだが、信号や渋滞がないせいか、結果的にタクシー代はかなり高く、ちょっと後悔した。

今回は俗世の部分を手堅く路線バスで済ませ、心に呵責のない状態で随神門から神様の領域に入った。前回は石段の上りが辛かった思い出しかないので覚悟してきたが、心が軽いせいか、今回は随分と楽に感じた。いつの間にか途中の茶屋に到着。ここまでで半分ちょっと終わった感じだろう。

茶屋で一服し、朝食の代わりに力餅を食べる。ちょっと元気になったところで後半へ。

石段の上りも先が見えたので、ゆっくりと写真を撮りながら進む。市場など意図した被写体を除くと、僕の写真に人が映り込むことは少ない。ゆえに石段での撮影は人が途切れるまで待たなくてはならず、結果的にペースダウンしてしまう。そういえば前回はタクシーのおかげで随神門到着が1時間半くらい早かったせいか、人が少なかったように思う。あのタクシー代も無駄ではなかったのだろう。と思いたい。

調子の良いまま山頂の羽黒山神社に到着。なかなか清々しい心持ちである。今回は御札を返すだけにしようと思ったが、羽黒山に戻ってくる口実が欲しくなり、新たな御札をもらうことにした。前回は「厄除」という受け身な願望だったが、今回は「心願成就」と攻めの姿勢に転じた。

そのまま徒歩で下山することにした。たしかに肉体的には上りよりも楽なのだが、下りが予想外に厳しい。石段は等間隔ではないし、段の幅が狭かったり、急で怖かったりと、一歩一歩にコントロールが要求される分、足腰は下りの方がきつい。ストレッチ不足が如実に出てしまう。歩きだして5分後に後悔し始めたのは内緒である。

徒歩での下山は今回が初めてだったが、同じ石段道でも、上りとは違った景色が見えた。チャレンジすることによって、違う見方が出来るのである。

出羽三山の信仰は生まれ変わりがテーマである。こんなオッサンでも新たなチャレンジによって、生まれ変われるのだろう。ちょっと前向きな気持ちになって羽黒山を後にした。

旅の記録:羽黒山

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

羽田 0705 (ANA393) >> 庄内 0805

庄内空港 0815頃 (空港バス) >> 鶴岡 0845頃
鶴岡バスターミナル 0940 (路線バス) >> 随神門 1019

・羽黒山頂まで往復

随神門 1443 (路線バス) >> 鶴岡駅前 1520
鶴岡バスターミナル 1615 (空港バス) >> 庄内空港 1643

庄内 1745 (ANA400) >> 羽田 1850

1日目Tips
・随神門から羽黒山頂までは僕のペースで上り80分、下り60分。途中には茶屋が1軒あるだけで、休憩用のベンチなどはない。信仰の山なのである。
・2017年に利用した、羽黒山から湯殿山に向かう臨時バスは運行されないようだが、今年は高速バスと送迎サービスを組み合わせることで湯殿山へ向かえるらしい。
・この日は新潟駅の大規模工事で、特急「いなほ」が全列車運休。直前でもマイレージ利用の航空券が取れたので、帰りも庄内空港からANAを利用。本来であれば、帰りは夕方の特急に乗って日本海の夕陽を見ながら帰りたい。

くにさきのおもいで

昨年は初めて大分県を訪問した。以前から話には聞いていたのだが、大分空港は不便そうな場所にあった。別府までバスで50分、大分市内だと1時間を超える。まったく知らなかったのだが、大分空港は国東と書いて「くにさき」と読む半島に位置しているとのこと。 九州北東部、周防灘に面して丸く突き出ている部分である。

その国東半島は古い石仏や寺院で有名なところらしい。ちょっと興味が湧いてきたが、公共交通機関だけで国東半島をまわるのは難しそうだった。紅葉の時期がベストシーズンらしいが、車の運転が嫌いな僕は、グジグジと悩んでいるうちに機会を逃してしまった。

今年に入って改めて調べてみると、大分交通の定期観光バスが運行されていることが判明。朝一番に羽田を出るソラシドエアに乗ると、その日のうちに途中のバス停から参加できる。新緑の時期は関アジのシーズンでもある。かなり心が動いた。

オッサンはワガママなので、前向きに心が決まると、観光バスでの集団行動がイマイチに思えてきた。撮影がメインの旅なので、訪問する場所の数よりも滞在時間を重視したい。しかも羽田発が1時間半ほど遅いJALにすると、定期観光バスには間に合わないものの、特典航空券に空席があり、しかも座席配置が好きなボーイング767だった。

結局、定期観光バスの利用は止め、北海道以外で初めてレンタカーを借りることにした。

普段であれば公共交通機関のダイヤを調べる必要があるので、事前のリサーチは欠かせない。しかし今回はレンタカーの予約をした時点で満足してしまい、出発の数日前になっても国東半島について分かっていないままだった。

せっかくの休みを無駄にしそうになり、慌ててリサーチを開始。旅行系サイトから行きたい寺院の目星をつけ、地図をプリントアウトして丸をつける。おおまかなルートが完成したのは、出発前日のことだった。

大分空港で車を借り、あとはカーナビに言われるがまま車を運転し、国東半島をまわった。ちょっと足をのばして、臼杵石仏や耶馬渓も見ることができ、かなり効率がいい。

ところで国東半島にある豊後高田の名産は蕎麦らしい。つなぎなしの十割蕎麦を売りにしている店が多いとのこと。そういえば今まで西日本・九州で蕎麦を食べたことがないが、僕自身は東京下町育ちの蕎麦喰いである。短気せっかちなのは美徳ではないが、蕎麦好きは美徳である。と思う。

せっかくなので豊後高田で蕎麦を食べてみよう。新たな発見があるかもしれない。

一軒目は山の中にある旅館が経営している蕎麦屋さん。週末は行列になることもあるらしいが、金曜だったせいか無難に入店できた。 ちょっと小粋な店構えで、本来であれば昼酒といきたいところだが、そういうわけにはいかない。運転というのは本質的に自由ではないのではないか。ブツブツ言いながら、せいろを一枚注文。

さっそく食べてみると、なんとなく違和感がある。ちょっと太めの田舎蕎麦ふうだからだろうか、食べ慣れない十割だからだろうか。それだけではない気がするが、せいろ一枚だけでは釈然としない。二枚目を食べて謎の解明にあたりたいが、酒を飲めないハンデもあり、謎の解明は二軒目に持ち越し。

二軒目は泊った宿の夕食だった。最初は蕎麦の付かない食事プランにしていたのだが、ここでも豊後高田の蕎麦が食べられると分かり、食事プランを変えた。この店の蕎麦は細くてコシがある。僕が食べ慣れた二八と似ており、違和感が分かりやすかった。

結局のところ、蕎麦つゆが甘いのである。それも角が取れてマイルドな仕上がりになっているというレベルではない。蕎麦の前に刺身を食べて分かったのだが、地元の醤油がかなり甘い。これに随分と影響されているように感じた。

九州の醤油が甘いのは知っていたが、経験があるのは福岡あたりである。これが大分まで来ると更に甘くなり、新たな発見というか、違和感になってしまったようである。

昨年、北海道でレンタカーを借りたとき、車の運転だけで移動時間が終わってしまい、ボケっと何かを考えるヒマがないと思った。それはそれで事実だが、定期観光バスを利用していたら豊後高田で蕎麦を食べようとは思わなかっただろうから、大分県で醤油について考えることもなかった。今回の蕎麦経験はレンタカーを借りたおかげだろう。

一方、レンタカーを利用すると、昼酒を楽しめない。これはボケっと何かを考える時間よりも大きな代償と言える。さすがにレンタカーで運転代行を頼むわけにもいかないだろう。

レンタカーを借りたとしても、昼酒を楽しむ方法はないものだろうか。

きたとうほくのおもいで

今年の冬は、山形の蔵王で樹氷、北海道のオホーツク海沿岸で流氷を満喫したが、やや心残りだったのが北東北である。正月休みに一泊だけ青森の酸ヶ湯温泉に行ったが、もうちょっと東北の冬を楽しみたい。冬の名残に、前々から気になっていた、岩手県花巻の鉛温泉に行ってみることにした。

ちょうどCOVID-19が落ち着きを見せ始めた時期だった。観光客が戻り始めたら、混んだ温泉が苦手な僕には難関になるであろう、黄金崎不老ふ死温泉にも改めて行っておきたい。

4月上旬に休みをとって、冬の締めくくりとして北東北をまわることにした。

ところで、オッサンになってから気圧の変化に対応できず、台風が来ると頭痛に悩まされている。季節の変わり目も苦手になってしまった。適応力が落ちたと言うか、自律神経の調和に難があるようだ。

今年の関東は3月に入って急に暖かい日が続いたり、かと思うと真冬のように寒くなったりと、寒暖の差が激しかった。

オッサンはオシャレではないせいか、基本的な防寒をダウン1着で済ませている。しかも、旅行先の週間天気予報は何度もチェックするが、自宅周辺の天気予報は基本的に見ない。暖かいのにダウンを着続け、数日後に懲りて春物ジャケットを出したら寒くて凍えるなど、寒暖差を自ら助長する日々が続いた。しかも数年ぶりに花粉症を発症してしまった。

おかげで3月末には自律神経の失調に起因すると思われる、諸々の体調不良に悩まされることになった。いわゆる春バテである。

なんとも言えない不振に2週間も苦しんでいたら、4月上旬になって、わずかながら改善されてきた。いくらなんでも順応しつつあるのだろう。

3月16日の大地震による新幹線運休もあったが、そこで諦めないのが、僕が僕たる所以である。代替交通手段を確保し、北東北に向かった。

旅行初日の朝、青森空港に着くと気温は3度だった。空港周辺には雪も残っている。せっかく春に慣れたのに、冬に逆戻りである。冬の名残を求めて青森までやってきたのだ。計画時点の本望ではあるが、理想と現実が異なることは多い。

五能線に乗って、黄金崎不老ふ死温泉を目指す。海側に行くと雪はなくなったが、それでも気温は大して上がらない。1着きりのダウンを着てきたが、それでも寒いものは寒い。関東の暖かい気候に慣れてしまったので、寒さが堪える。

翌日は快晴。早朝に海岸の露天風呂へ行ったが極寒だった。風が強くて体感気温は更に低い。着てきたダウンも露天風呂では役に立たない。早々に退散して室内の温泉に向かったが、風邪をひきかけた可能性が高い。

朝食を食べてから再び五能線に乗り、秋田経由で花巻へ向かう。この日は昼前から気温がグングン上昇。到着時の花巻は23度になっていた。ちょっと汗ばむ位だ。

五能線での移動中から、全身に疲労感があった。喉も痛い。夜になって、くしゃみも出始める。本格的に風邪をひいてしまったのだろうか。普段なら葛根湯とプロポリスだが、旅行中ということもあり、秋田駅での待ち時間に風邪薬とユンケルを購入。

いまはCOVID-19時代なので、あちらこちらで検温されるが、幸いにも発熱の兆候はない。くしゃみは出るが、咳ではない。味覚もある。鉛温泉で1泊して自宅に帰り、葛根湯、プロポリス、のど薬、それに花粉症の薬を飲んで早々に寝た。これだけ飲めば間違いないだろう。

翌日、喉の痛みは少し改善していた。痛みがピンポイント化しており、風邪とは明らかに違う痛み方である。

鏡で見てみると、たしかに喉は腫れていない。念入りに見たところ、舌下の中心あたりに巨大な口内炎があった。のど薬は口内炎にも効くらしいが、原因が分かったので口内炎用の塗り薬に切り替え。

くしゃみも止まっていた。こちらは花粉症だったのだろう。低温の青森では花粉の飛散が少なく、薬なしでも無症状だったのが、高温の岩手は花粉が大量飛散していた可能性がある。完全に油断していた。こうなると全身の疲労感は湯あたりだったかもしれない。

あの日は一日で約20度の寒暖差があった。なんとか回復してきた自律神経は危機的な状態だったと思われる。結局、風邪ではなかったのだ。

オッサンになると季節の変わり目は過酷である。