びえいのおもいで

なんとなく不満の残った熊野の旅だったが、なんとなく諦めがつくわけもない。

夏になるとCOVID-19は再び猛威をふるい、Go To Travelの再開は吹き飛んだ。そして感染拡大のせいで、世間では旅行のキャンセルが続出しているとの事だった。そもそも僕自身も感染してしまい、8月上旬の旅行をキャンセルしていた。こうなると熊野の恨めしい思い出がよみがえる。誰かのキャンセル枠を探し出し、熊野の判断ミスを取り返そう。

あの時に行けなかった美瑛・富良野の宿をチェックしていると、たしかにパラパラと空きが出ている。数日おきに何回かチェックしたところ、希望の日程に空きがでた。

美瑛・富良野へのゲートウェイは旭川だが、直前にも関わらず、往路の羽田〜旭川には無料航空券の空席があった。復路も新千歳~羽田の最終便には特典航空券でも空席があり、旭川〜新千歳は鉄道で3時間ほどの移動で済む。これでピークシーズンにあたる8月の週末である。奇跡に近い。しかも出発3日前には復路の旭川〜羽田の最終便に無料航空券の空席が出たので取り直すことができた。

礼文島の時と同じく、北海道の神様が来いと言っているのではないだろうか。そう信じることに決め、あたふたと北海道に向かうことにした。

「策士策に溺れる」を地でいった熊野の反省を生かして、あえて今回は天気予報をチェックしないことにした。変わりやすい週間予報を見て一喜一憂するのも、予報に怯えて無駄に策を練るのも止めよう。どっしり構えて、あるがままに楽しむのだ。

そうは思ったものの、やっぱり出発の数日前には天気予報が気になって見てしまった。昭和の名言によると、反省だけならサルでもできるらしいので、僕はサル以下という事だろうか。やはり自らの策に溺れるような、器の小さい小物である。

到着日の予報は晴れか曇り、2日目は崩れるものの、最終日は晴れの予報だった。滞在期間中、少なくとも丸一日は晴れるようで、北海道らしい美瑛の風景を楽しむことが出来るだろう。わりと大らかな気持ちで快晴の東京を飛び立った。

旭川空港に着くと曇りだった。ラベンダーのシーズンは終わってしまったが、まずは花畑を見に富良野へ向かう。午後から晴れそうな予報だったので、僕の中でメインの美瑛は後回しにした。

期待通り、午後からは晴れた。行きたい場所の目星は大まかにつけておいたので、地図を見ながら美瑛をレンタカーで走る。半日あれば回りきれた。さらに探せば写真的に良い場所は見つかるだろうが、美瑛も富良野も想像以上に人が多い。美瑛は満足できたので、2日目以降は別の場所を探すことにした。

翌日は小雨まじりの曇りだった。風景写真は諦め、旭山動物園に行くことにした。さすがに夏休み中の週末という混み方である。

そして3日目は予報通り晴れた。まずはロープウェイで旭岳に行った。その後、美瑛に戻り、新栄の丘という夕日スポットへ向かった。

新栄の丘の夕景は、どこかで日本最高の日没風景と読んだことがある。太陽が高い位置で山の陰に入るせいか、光量が多くて撮影条件としては厳しいが、美しい光景を撮影できた。日本最高ではないかもしれないが、確かに素晴らしい夕景である。新千歳経由での帰路だったら時間的に間に合わなかったが、旭川からの最終便が取れたので訪問することができた。

今年の夏は北日本で豪雨が多く、北海道も気候が安定しないようだった。それでも効率の良い回り方ができ、美しい北海道の景色を楽しむことができた。

あの時、熊野に行ったのは間違いではなかったかもしれない。策士は策に溺れたと見せかけて、じつは水面下に隠れていたのだろうか。

なにせ僕は器量に乏しい小物だから、そんな忍者みたいな事はないだろう。そんな僕にも北海道の神様がセカンドチャンスをくれたことは間違いない。

まらっかのおもいで

5月くらいから日本も出入国規制が緩和され、現実的な日程で海外に出られることになった。そうは言っても、これでも会社員なので浮世の制約もあり、諸般の事情により7月までは見送っていた。

所用もあったので、まずは旅慣れたシンガポールへ行くことにした。シンガポールには何度か行っているが、残念ながら旅行のワクワク感からは遠い場所である。ワクワクしなければ旅に出る価値はないに等しいので、前から興味のあった隣国マレーシアのマラッカにも行ってみることにした。

シンガポールとマレーシアはワクチン接種さえしていれば入出国は実質的に無制限だが、当時の日本政府は、日本行き飛行機搭乗前のPCR検査で陰性であることを課していた。日本に戻る飛行機に乗れないと困るので、出発前夜と出発直前に自宅で抗原検査を行った。そして最悪の状況に備え、会社の仕事ができる体制を持って旅に出た。

シンガポールからはバスでマラッカに向かった。旅行ガイドブックなどでは日帰りも可能と書かれているが、往路は6時間以上かかってしまった。これだけで十分に旅をしたと思えるほどの移動時間だ。

マラッカの名物はチキンライスである。チキンライスはシンガポールでも有名だが、マラッカではライスボールが付いてくる独特の形態らしい。バス遅延のせいで、行こうと思っていたチキンライス店には間にあわず。繁華街の観光客向け有名店に閉店ギリギリで飛び込んだ。

食べてみた結果としては、米飯がボール状になっている必要性が分からないし、やや米の味が薄い。ご飯に鳥スープ味がしみこんだ、シンガポール風チキンライスの方が僕は好きである。

食事後、有名なピンク色の教会と旧市街を見てから、マラッカ海峡モスク (水上モスク) に夕陽を見に行った。僕が未だに読了していない『深夜特急』に出てくる、マラッカ海峡の「とてつもなく大きく赤い夕陽」というやつである。

一般的には水上モスクから見る夕陽が美しいらしいが、それでは夕景の水上モスクを撮影できない。モスク敷地の外に出て、カメラを持った人々で溢れている撮影スポットに向かった。

この日は太陽の沈む位置が水上モスクの裏になってしまい、サンセットそのものは見られなかった。水上モスク横の海域に夕陽が沈む写真も見たことがあるのだが、人生そうそう上手くいかないものだ。それでも天候は晴れ、しかも少し雲があって、美しい夕景になった。人生そこまで悪くはないらしい。

翌日、バスでシンガポールに戻った。飛行機搭乗前のPCR検査は無事に通過し、予定通り日本に帰国。

その数日後に神戸へ出張だった。用事は適当に済ませて、以前に友人オッサンが絶賛していた三宮の『もん』 に行ってみた。神戸の正しい洋食屋さんである。この店はビーフカツレツが有名で、もしくはカツサンドの持ち帰りも良いのだが、この日は迷うことなくチキンライスを注文した。

『もん』のチキンライスは、海南鶏飯と呼ばれる、鳥の出汁で米を炊き込んだシンガポール形式や、ボール形状ご飯のマラッカとは全く異なるチキンライスである。すなわち、トマトソースの赤さにデミグラスソースが効いている、日本の正しい洋食屋さんのチキンライスだ。

これに対して、ケチャップライスとか、卵のないオムライスとか、そういうのは不当な表現だろう。正統なチキンライスとして敬意を持って接するとともに、もっとチキンライス側にも主張して欲しい。

数年ぶりにシンガポールとマレーシアへ行き、チキンライスの偉大さに改めて思いを致した。

いまや日本食レストランが溢れているシンガポールだけでなく、マラッカの夜市でもタコ焼きを売っている時代になっている。洋食屋さんチキンライスには、日本鶏飯として東南アジア市場に攻勢をかけ、かの地のチキンライス勢力図を書き換えてもらいたい。

くまのこどうのおもいで

6月に入ったあたりから、Go To Travelの復活とか、県民割の利用拡大の話が聞こえてきた。COVID-19の陽性件数が低い、平和な時代だったのだ。景気刺激策としては良いと思うのだが、僕にとっては今までのように自由な週末旅とはいかなくなる。最後の最後で捻じ込もうと思い、行き先を検討開始。

6月中をターゲットとしたので、梅雨が一番のネックになる。6月下旬だと沖縄は梅雨明けしてそうだが、そもそも梅雨のない北海道も良さそうである。

もう一回、礼文島に行ってみたい気もするが、昨年の滞在は完璧に近かった。それを超えるとは思えないのでパス。ちょっとラベンダーの季節には早いかもしれないが、北海道らしい景色を求めて美瑛・富良野に行ってみたい。ゲートウェイとなるのは旭川で、往復の特典無料航空券に空席もあった。

しかし北海道には蝦夷梅雨というものがあるらしい。10日前から天気予報を毎日のように見ていたが、訪問予定期間中には晴れ予報の片鱗もなかった。北海道に行って、すべて雨天というのはどうかと思う。数日前の深夜にキャンセルすることを決断。

もちろん本州以南は基本的に梅雨である。会社の休みを取っていたが、潔く出社に戻すべきではないだろうか。

そんな真面目オッサンである筈もなく、全力で雨の降らない場所を探した。さすがに直前なので沖縄は航空券が高く、行ってみたかった竹富島は宿が満室だった。沖縄以外で天気が良さそうだったのが、伊豆諸島、紀伊半島である。

伊豆諸島へは、羽田から八丈島にANAが飛んでおり、特典無料航空券の空席もあった。やや心が動きかけたが、良さそうな宿泊施設は既に満室で断念。

昨年は高野山に行ったが、それが僕唯一の和歌山県滞在である。もう少し和歌山県に関する見聞を広めても良いだろう。前から気になっていた、紀伊半島の熊野古道を訪ねることにした。行きは朝一のJALで南紀白浜空港、帰りは天気次第で予約変更が可能なJRで帰ることにした。

もっとも熊野古道が気になっていたと言っても、それは熊野地鶏がメインの焼鳥店に行くからであり、それ以上の知識はない。急遽ほぼ徹夜で熊野について調べた。

当日は早朝に羽田空港へ。北海道は悪天候のため条件付き運航とアナウンスしている。正しい選択をしたかもしれないと思いつつも、ニュースでは翌日と翌々日の旭川は晴天の予報になっている。これから北海道の天気は劇的に改善するのだろうか。選択を誤った可能性が脳裏をかすめる。

寝ぼけたまま南紀白浜空港に着くと、東京よりも雲が多い、本格的な曇天である。昨日までは晴天の予報だったのに。選択を誤ったかもしれない。「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

空港からバスで熊野本宮大社に向かった。直通バスがあるのだが、紀伊半島は思いのほか大きく、移動に時間がかかる。途中でウトウトしてしまい、目覚めると大雨だった。紀伊半島の天気は劇的に悪化しているようだ。選択を誤ったに違いない。このままでは策に溺れるというよりも、溺死に近い。

結局、熊野本宮大社に着いた頃には雨が上がっていたが、晴れたかと思うと雨が降ったりと、大気の状態は不安定である。それでも熊野古道を歩き始めた。

冷静に考えると、ここ最近では国東半島出羽・羽黒山神社を訪ねており、山深い寺社仏閣ばかりである。実際、羽黒山参道の写真も熊野古道の写真も大差はない。どちらも曇りだったし。再び「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

それでも2日間で熊野古道2か所を訪ねた。天気は曇りか小雨である。写真的にはフラットなグレーの世界ばかり。選択を誤ったかもしれない。

2日目の夕方になって、ようやく太陽が顔を出した。やや心も晴れた。

3日目は元々曇り予報だったので、早目の列車で帰ることにしていた。それでも最後の最後にチャンスがないかと思い、JR西日本サイトで予約したチケットは引き取らずにいた。

最終日の早朝、ものすごい雷鳴が轟いて目が覚めた。まったくの大雨である。そそくさと熊野を後にする事にした。

帰りは名古屋まで特急「南紀」で約4時間、そこから新幹線に乗り換え。名古屋での乗り継ぎ待ち時間に味噌カツでも食べようと思ったが、日曜日13時の名古屋駅は異様に混雑しており挫折。普段なら東海道新幹線はネット予約なので直前でも変更可能なのだが、今回は新幹線乗継割引を利用したので紙の切符である。指定券変更の為に窓口に並ぶのも面倒で、駅構内で無為に時間を潰した。

ふてくされて自宅に戻って旭川の天気を調べると、初日が大雨だったほかは、2日目と3日目は晴れていたようである。完全に選択を誤った。

やっぱり策士は策に溺れた。