夏休み特別読み物:沿岸急行船

もう10年くらい前になるが、ある日、テレビを眺めているとノルウェーの貨客船の番組をやっていた。沿岸急行船と呼ばれる航路である。南部のベルゲンから北部のキルケネスまでのノルウェー海沿岸を片道6日程かけて航行している。冬に乗るとオーロラが見られることで有名らしい。

僕が興味を引かれたのは、ノルウェーの厳しい自然の美しさ、そしてノルウェー海沿岸の小さな街である。船でグダグダしながら、その美しい自然や小さい街を眺められる。

船旅をしたことはなかったが、往復の航空券と船の予約さえ取れれば、あとは船に乗っているだけの筈である。寄港地ごとにエクスカーションがあったりするので、興味があるコースを適当に申し込めばいい。目的を持たない旅行をしがちな僕に相応しい。

貨客船と書いたが、船の1つの側面は地元の重要な生活路線である。ハードボイルド小説に出てくるような最果ての町に、人や物資を運んでいる。停泊中には下船できるので、一生のうち二度と行かないような街をフラフラと散策もできる。

そして、クルーズ船でもある。船にはレストランの他、ラウンジやバーもある。レストランではコース料理が出てくる。

とはいうものの、豪華なレストランやバーがある訳ではない。レストランのコース料理は、サーモンだったり、トナカイだったりと、ノルウェー料理が中心である。たまにイベントが行われるほかは、全体的に極めて地味なクルーズ船である。

目の前にはノルウェーの海岸と荒々しい自然が広がっており、ジャガイモが主原料のアクアビットというスカンジナビアの蒸留酒を片手に景色を見ていれば、飽きることはない。

基点のベルゲンは古くからの港町である。埠頭の一角には、ブリッゲンというハンザ同盟のオフィス・倉庫街が残っている。

終点はキルケネス。北極圏にあるロシア国境の町だ。沿岸急行船はキルケネスで折り返してベルゲンに戻る。

僕は5月にキルケネスからの南航便に乗った。キルケネスあたりでは雪が降って冬の様相だったが、南に下るにつれて春になっていった。ベルゲンに着く頃には、山の緑が美しい。気候が穏やかになると共に、地形も穏やかになっているようだ。

航路の途中にロフォーテン諸島という美しい島がある。船を降りて数日滞在したいような美しい場所なのだが、日程の関係でそうもいかず、バスツアーに参加した。

ロフォーテンではタラ漁が有名だそうである。行った時は漁の時期ではなかったのだが、海沿いにはタラを干す棚がいくつも設置されていた。主な輸出先はポルトガルであり、その貿易のルーツはハンザ同盟時代に遡るらしい。

北欧の最果ての島で高校の世界史で得た知識がよみがえった。授業中に寝ていただけではなかったようである。そして、その北欧の島で、思いがけずポルトガルでの塩辛い記憶がよみがえった。

GW特別読み物:味覚

もう10年以上前になるが、大した理由もなくポルトガルに行った。なんとなく「大航海時代」という言葉に惹かれたのもあるが、当時、マスターカードのテレビ広告にリスボンのケーブルカーのシーンがあったのだ。サンフランシスコを筆頭に、ケーブルカーのある町は魅力的に思える。

以前に働いていた会社を退職した直後だったので、1月だったと思う。ロンドン経由で遅い時間にリスボンに着いた。

早速、ホテル裏の丘を走っているケーブルカーを見に行った。写真を何枚か撮り、とりあえず初日は終了。ホテルに戻った。

ポルトガルまで行けば冬でも暖かいと思い込んでいたが、1月のポルトガルは寒かった。幸か不幸かホテルは重厚な石造りの建物である。しかもオフシーズンのせいか客が少なく、閑散としていた。そういう建物は良く冷える。

翌朝、といっても昼頃に起きると、スチーム暖房を全開にしていたにもかかわらず、体の芯まで冷えきっていた。とりあえず部屋でコーヒーでも飲もうかと思ったが、部屋にコーヒーメーカーは付いていなかった。

暖かいものを飲み、ブランチをしようと思い、街へ出た。ポルトガル人で混雑していたカフェに入る。メニューはポルトガル語のみであり、なんとなくメニューが解読できたパスタを食べた。これが妙に塩辛い。飲食店には当たり外れがあり、知らない街では失敗する確率は高い。

午後から街歩きを始めた。リスボンにはケーブルカーが数路線あり、一通り見に行った。

街を歩いていると、スーパーがあった。ちょっと覗いてみると、干しタラが目につく。スペインの生ハムみたいに、天井から吊るして売っている。この店は干しタラで有名なスーパーなのだろうか。よくよく街を眺めると、食料品店には多かれ少なかれ干しタラが置いてある。

夕食は「本格的ポルトガル料理」とガイドブックに出ていた店に行ってみた。ここには英語のメニューがあり、ウェイターも英語が話せる。おすすめ料理は干しタラとの事だった。

街中で干しタラを売っているのである。干しタラを食べねば済まないだろう。しかし、この店も妙に塩辛い。何を食べても塩味が濃いせいか、食後には塩味しか残っていない。それ故なのか、デザートが妙に甘い。あまり満足できないまま、冷えきったホテルに戻った。実質的な初日にして、既にポルトガルが嫌いになっていた。

その後、田舎町を経由しながらポルトまで北上した。どの店に入っても塩辛いし、どのホテルに泊まっても寒い。食事が苦痛になった。早くポルトガルから脱出したい。

ある日、外食を諦め、食料品店に夕食を買いに行ったところ、そこでも干しタラが山積みになっていた。山奥の田舎にもかかわらず、食料品店の軒先は潮の香りがした。

そして気付いた。ポルトガルの味覚の根源は干しタラではないかと。バカラオと呼ぶらしい、塩漬けにして干したタラである。本格的ポルトガル料理の食材である干しタラ (と塩味)。スープの出汁にもなる干しタラ (と塩味)。ポルトガル人のDNAの中に組み込まれた干しタラ (と塩味)。

結局、ポルトガルの思い出は塩辛いまま終わってしまった。文字通り塩辛いだけでなく、まさに塩辛い旅だった。

冬休み特別読み物:語学学習

いまどきは小学校から英語を学ぶらしい。その昔、小学校でローマ字を覚えさせられたときには、漢字以外にも文字を覚える必要があることに衝撃を覚えたのだが。

いずれにしても学校では半強制的に英語を勉強させられ、それはそれで人生における現実的な選択肢である。

複数の言語を操るのは難しい。語学学習とは人生における長期的な投資のようなものである。人生を豊かにするという側面から、英語以外に何語を学ぶべきかを考えたい。

とりあえずは中国語が無難であろう。転職サイトをみると「中国語スキル尚可」などと書かれていることが多く、有利そうである。生活力という面からは悪くないと思う。

趣味の面から考えてもいい。快楽主義的な僕の場合には、学ぶべき言語は旅行先の傾向と同じになるだろう。フランス語、スペイン語、もしくはイタリア語だろうか。

フランスに行くと、レストランには英語のメニューがないことが多く、フランス語の必要性を痛感する。昔、羽田に国際線がなかった時代から、22時頃に成田を出るエールフランスの深夜便を活用しており、パリのドゴール空港に降りたった回数は半端ない。これだけパリに行っていれば自然に言語くらい習得できるかと淡い期待を持っていたが、結果的にフランス語は習得できていない。空港に降りたつだけではダメだった。

バル好きとしてはスペイン語は欠かせない。バスク地方のバルであれば、目の前の皿を指さすだけで十分なので、大して話す必要はない。しかし、それ以外の地方では料理を注文する必要があり、黒板が読めないと、ありきたりのものしか食べられない。学生時代にはヒスパニック系住民が多いカリフォルニア州に住んでおり、しかも僕は見た目がメキシカンぽい。極めて自然に使用できたはずではあるが、まったくと言っていいほど話せない。見た目だけではダメだった。

イタリア語も微妙である。フランス語もスペイン語も数語程度の語彙力だが、それだけでも手一杯である。ある日、アマルフィでカフェに入ったが、そんなところでは英語で何とかなるのである。しかし、それに甘えてはいけない。イタリア語をしゃべってみようと思った。エスプレッソが出てくる前に必死で思い出し、最後に歌舞伎の見得のように「グラシァス」と言った。ツケが打たれるかと思いきや、カフェのオヤジに苦笑された。たぶん僕には歌舞伎座よりも鈴本演芸場、ツケよりも出囃子の方が似合う。

やっぱり言語習得はハードルが高い。すでに40歳台に突入しており、脳の柔軟性も、記憶力も弱くなってきている。努力せずに言語を習得する方法はないものだろうか。