人生には転機というものがある。その時には気付いていなくても、その転機を境にして、人生は変わる。
初めてパリを訪れたのは2001年夏だった。20代半ばの事である。それまではウイスキー好きの好青年であり、酒を飲み、たまに美味しいものを食べられれば、人間というものは幸せだと思っていた。
その年、たまたま友人がドイツに短期留学することになった。当時は僕も学生をしており、夏はヒマである。友人を口実にドイツへ行こうと思った。フランクフルトからドイツ鉄道のICEでハンブルクまで行き、そこから更にローカル線で北上。ドイツ北部で数日を過ごし、それからパリに行ったのだった。
初めてパリへ行って何をするのだろうか。
凱旋門、エッフェル塔、ベルサイユ宮殿あたりを訪ねた後、ルーブル、オルセーといった美術館に行くのではないだろうか。しかし、僕のパリ滞在中、たまたま国立美術館職員がストをしており、美術館を訪ねるチョイスは無くなった。
ならば高級レストランにでも行ってみようと思った。世の中にはクレジットカードという便利なものがあり、請求書の心配は後日で構わないはずである。
たまたま持っていたガイドブックにミシュランで星を取っているGuy Savoyの電話番号が載っており、路上の公衆電話から電話をかけたところ、キャンセルでも出たのか、たまたま当日のディナーに空席があった。
デパートに行ってネクタイを買い、ボロホテルに戻り、着替えてGuy Savoyに出かけた。それはそれは素晴らしい夜だった。
翌日は昼過ぎまで寝ていた。やや痛い頭、膨満感という言葉がふさわしい胃、壊れ気味の腸を抱えて、やっと昼過ぎに起き出した。シャワーを浴び、薬局に行って胃薬を買った。ホテルに戻り、再びガイドブックに載っている高級レストランに電話をかける。何度か電話をしているうちに空席が見つかった。その夜もネクタイをしめてレストランに行った。
こんな具合でパリの数日を過ごした。午前中は苦しみながら寝て過ごし、午後からシャワーを浴びた後、何本か電話をかける。そしてネクタイをして食事。こうして妙な快楽主義に目覚めてしまった。
あっという間に数日が過ぎ、帰る日になった。ドゴール空港に向かう途中、現実に戻ると、手元には数枚のクレジットカード利用控えがあり、来るであろう請求書に怯え始めた。パリは夢のような夢を見せてくれるが、夢とは儚いものである。悶々としながらパリを去った。
帰国後、請求書問題は親からの借金で何とか解決した。
喉元を過ぎた熱さは忘れやすく、忘れた頃にはサラリーマンになっていて、定期収入があった。しかも実家に住んでいたので、家賃というものを考えなくても済まされる身分である。
休みを強引に捻出し、胃薬を持って旅に出ることが、この頃から徐々に常態化した。貯金も将来設計もないが、血中コレステロール値と尿酸値は高い。快楽主義ダメ人生である。
思い起こせば、あのパリの夜が人生の転機だった。あれさえなければ、家庭を持ち、多少の貯金もあり、そして有能なビジネスマンになっていたかもしれない。
胃薬を手放せない一人旅を続けていると、しばしばシェフにキッチンを見せてもらうことになった。そして、野菜の話であるとか、フライパンやらナイフやらの話であったりとか、そんな会話をシェフと交わしていた。そういえば、あの夜、Guy Savoy本人にもキッチンを見せてもらったのである。
数年前、パリで小さなレストランを発見した。テーブルに通されると、その席からはキッチンがよく見えた。料理が出てくるまでの間、ボケーっと、キッチンを、そしてシェフが働く様を見ていると、そういえば近年はキッチンを見せてもらっていないことに気付いた。
そこで思い至ったのである。
Guy Savoyは約20年前の僕にシェフ志望の若者の姿を見たのではないか。そうであるのなら、あのパリの転機は別な形になり得たかもしれない。
人間は安直な方向に流されがちであり、僕は転機を活かしきれていなかったのではないか。
人生における転機は少ない。活かしてこその転機である。既にオッサンであり、もう次の転機は訪れないのかもしれない。このまま快楽主義ダメ人生を送るしかないのだろうか。
パリは夢のような夢を見せてくれるが、夢とは儚いものである。再び悶々としながらパリを去った。