てきーらむらのおもいで

メキシコのテキーラ村に行ってきた。

リュウゼツランが主原料であるメキシコ産の蒸留酒がメスカルであり、そのなかでも原料や産地などの条件を満たしたものがテキーラと呼ばれる。テキーラの蒸留所はハリスコ州に多く、なかでも中心となるのがテキーラ村だ。

昨年、グアナファトに滞在した際、同じグアナファト州内にあるCORRALEJO蒸留所に行った。事前のメール問い合わせには返事がなく、ほぼ行き当たりばったりで行った結果、スペイン語のガイドしかいなかったという悲しい結末になった。蒸留所に行くという「手段」が「目的」化しがちな、僕の旅行に典型的なパターンである。

今回はテキーラ村で蒸留所併設のホテルに泊まった。このホテルがある蒸留所にも事前に問い合わせを入れたが、やっぱり返事はない。テキーラ村に行きつくこと自体が難関だったが、真の旅行目的はテキーラ蒸留所の見学である。今回こそは手段を目的化したくない。

結局、ホテルがある蒸留所には英語ガイドのオッサンがいた。ホテルのフロントおねいさんの一人も英語が堪能で、英語ガイドがいる別のテキーラ蒸留所を教えてもらえた。グアナファト州の蒸留所では見学中にスペイン語を理解しているマネのフリをしていたが、英語ツアーであれば多少なりとも学ぶことがある。

まずはテキーラ原料の質という話である。テキーラの主原料はピニャと呼ばれるリュウゼツランの根の部分だ。良いピニャになるには、それなりの年数が必要らしいのだが、一方でテキーラの生産量は急激に伸びているため、良質なピニャの確保が難しいらしい。一部で見切り的に若いピニャを使っているという話もある。

このあたりは僕にとって馴染みのあるモルトウイスキーの世界では聞かない話である。大麦はリュウゼツランよりも格段に収穫サイクルが早いせいもあるが、そもそも麦に対するこだわりを前面に出している蒸溜所は少ない気がする。大半のモルトウイスキー蒸溜所で聞く話は経済性の話であり、近年になって、麦の産地や無農薬農法にこだわりを見せる蒸留所が出始めたくらいだろう。

一方、ウイスキーでは仕込み水として、水について語られることが多い。テキーラの場合だと、ピニャを蒸す工程とか、蒸したピニャを搾汁して糖化する工程で使っている水が仕込み水になりそうだが、特に話がない。というか、別の会社で聞いたところ、昔は近くの山の水源を使っていたようだが、近年は水質に問題があり、その水源の水を使うことは出来ないらしい。

ウイスキーは熟成が鍵になる。スコットランドの場合は最低でも3年熟成しないとスコッチウイスキーとは呼べないし、そもそもニューポットと呼ばれる蒸留直後の新酒は (アルコール度数は別にしても) 味覚的に荒々しすぎて飲むには厳しい。テキーラは熟成期間が短い、というよりもニューポットの状態でも普通に飲める。5〜7年も熟成すれば相当な長期熟成である。この違いは何だろうか。

樽については、アメリカン・オークの新樽を使う蒸留所あり、バーボンを熟成した樽を再利用する蒸留所もある。ワインで使った樽や、スコッチで使用した樽も見かけた。樽の使い回しの試行錯誤はウイスキー蒸溜所と同じだ。熟成年数が短いので樽の影響は少ないのだろうが、バリエーションは面白い。

そして、どの蒸留所もテキーラの飲み方、テイスティングを盛んに話していた。ショットで一気飲みして悪酔いする酒からの脱却がテキーラ業界共通のテーマらしい。

などなど。今回のテキーラ村では発見が多かった。やっぱり酒造をメインにした旅行は楽しい。内容が理解できると、もっと楽しい。やっぱり蒸留所に行く過程は手段であって、それ自体を目的化してはいけないのである。

ついにテキーラ村に行ってしまったので、次の目的地はラム蒸留所だろうか。好きな産地としてはキューバ、南米ガイアナのデメララ川流域、フランス領マルティニーク島である。キューバの蒸留所は見学ができず、ガイアナは英語圏だが治安的なハードルが極めて高い。残るはフランス領マルティニーク島だ。もっともスペイン語を挫折したばかりなので、なかなかフランス語を学ぶ気にはなれない。すでに手段が目的化しそうな予感がしている。

とりにだーのおもいで

今回のキューバ旅行では、首都ハバナを出て、数日ほど地方に行ってみた。本当は鉄道でサンティアゴ・デ・クーバという街に行ってみたかったのだが、鉄道のダイヤは不安定らしく、旅行者にはチケットが取りにくい。しかもスペイン語を習い始めたばかりであり、ローカル感あふれる移動ルートはハードルが高そうである。

結局、ハバナからアクセスしやすいトリニダー (トリニダード) に行くことにした。スペイン統治時代の街並みが残っている世界遺産の街である。この街の路地を歩き、写真を撮っていた。

旧市街を歩いていると、古い建物の中に国営商店があった。国営商店というより、配給所と呼ぶべきなのかもしれない。通りがかりの僕に、店のオヤジがHola!と声をかけてきた。どうやらヒマらしい。

国営商店はハバナでも見ている。キューバ人で行列ができているせいもあったが、どうにも入りにくい。例えば蛇口のパーツの一部だけをショーケースに入れて売っていたり、店で売っている商品自体が少ないせいもあるが、そもそも国営商店での作法が良く分からないのだ。

共産圏の国営商店というと、冷戦時代に生まれたオッサンには、NHKで見たソ連の配給所のイメージしかない。寒そうなモスクワの街角で、パンを買うのに行列している映像である。国営商店と呼ぶか、配給所と呼ぶかは別にして、この類の店では配給券とか配給手帳がないと買い物ができないのではないだろうか。札束だけでは解決できない経済制度である。

しかもキューバには2種類の通貨がある。キューバ人が一般的に使うのが「人民ペソ (CUP = Moneda Nacional)」である。一方、外国人は外貨から両替した「兌換ペソ (CUC = Peso Cubano Convertible)」を使う。過去のキューバ滞在時には人民ペソを手に取る機会はなかった。兌換ペソでも国営商店で買い物ができるのだろうか。

トリニダー旧市街の国営商店は小さな店だった。さっきのオヤジにつられ、外の道路から店を覗いてみると、棚にラムが置いてあった。僕にはハードルが高そうな国営商店だが、ラムには抗えない。ちょっと逡巡した後、店に入ってみることにした。

ダメ元でラムを買ってみよう。オヤジは僕が店に入ってくるとは思っていなかったのだろうが、それでもオヤジの方から声をかけてきているし、個人商店のように小さな店なので、なんとか融通がきくかもしれない。たいした成果は上げていないものの、スペイン語を学んだのが心強い。合理的な裏付けのない自信である。

国営商店にあったラムは輸出用の銘柄ではなく、キューバ人が飲む国内消費用のラムである。ホワイトラムで、ラベル記載のアルコール度数が34度だった。輸出品は40度くらいなので、それより低めの設定である。ストレートで飲むには丁度いいくらいだろうか。

この店には3銘柄のラムがあったが、ラベル以外の違いが分からない。国営商店の商品は、効率重視の計画経済の下で生産されている筈である。そもそも品質的な違いがあるのだろうか。 逆に資本主義的なブランディングとかマーケティングが必要ないとすれば、わざわざ銘柄を分ける必然性はないかもしれない。

いずれにしても悩むだけ時間の無駄であり、ラベルを見て適当に選ぶ。計画経済下でのラムの生産と流通は興味をそそられる問題ではあるが、この場においては僕がラムを買えるか否かの方が本質的に重要な問題である。

国営商店なので、やっぱり表示価格は人民ペソ建てだった。兌換ペソしか持っていないので、どうやって支払っていいのか分からない。とりあえず少額の兌換ペソをわたすと、オヤジが公定レートで換算してくれ、お釣りも兌換ペソで出してくれた。

ラムを抱えて店を出た。通りすがりのオッサンに「いいものを買ったな」と冷やかされる。

その翌日、トリニダーを出てハバナに戻った。ハバナの繁華街に、普段は行列になっている大型の国営商店がある。夕方に通りかかると、たまたま行列がなかった。僕は既に国営商店の経験者である。案ずるより産むが易し、だろう。今回は悩まず店に入った。

店の中を探すと、果たして別のラムがあった。しかもダークラムである。なんとしても買いたい。カウンターで待っていると、店のおねいさんがウインクしてくる。ナンパされているのではなく、僕の番ということだろう。

スペイン語学習が役に立っていないことを如実に示しているような、大げさな身振り手振りでのやり取りの後、ここでも兌換ペソで支払い、ラムを入手できた。値段はトリニダーの店と同じ。国定価格なのだろう。日本円に換算すると1本250〜300円くらいだった。高級ウイスキーを買った時のように厳重な梱包をして、安いラムを大事に日本へ持って帰った。

一般的に語学学習は人生を豊かにすると言われる。異文化を知ることができるとか、新たな友人ができるとか、そんな意味だろう。

オッサンになってスペイン語を始めてみて分かったことは、語学を学ぶと根拠のない自信が生まれ、ちょっとした勇気も生まれるということである。授業料相当の語学力を習得した自信はないが、授業料相当の勇気を得た自信はある。

帰国後にトリニダーの国営商店で撮った写真を見なおしたところ、客のオバチャンが帳面のようなものを持っていた。その帳面が配給手帳らしい。たまたま二軒とも、配給手帳を持っていない僕にもラムを売ってくれたのだろう。ラッキーだった。スペイン語のできない僕に販売を断るのが面倒くさいと思われたのだろうか。大げさな身振り手振りが役に立った。授業料相当の語学力を習得していなくて良かった。

はばなのおもいで

何故なのか自分自身でも理解できないが、これで3回目のハバナである。今回は5月中旬に行ったのだが、既に雨季の始まりであり、なんとも天気が安定しない。日中には気温30度くらいで、晴れると刺すような日差しだが、基本的には一日中どんより曇って、時々雨が降っている。しかも湿度が70〜90%位と異様に高い。

相変わらず大気汚染がひどく、街を歩いていると喉が痛くなる。そして相変わらず夜は街灯が少なく、暗がりの朽ちかけたビルに人が住んでいる。

前回、バーを基準にホテルを選んだところ、クーラーは壊れており、シャワーの湯が出なかった。今回はTripadvisorを参考にして別のホテルを取ったが、相変わらず湯が出ない。他の客がシャワーを使っていないと思われるタイミングの時だけ、温水プールのような液体がシャワーから出てくる。クーラーは動いていたが、コントローラーが壊れていて部屋が妙に冷えた。ロンドンに行くと値段相応のホテルが無い街に来たと思うが、現地の物価を考慮に入れると、たぶんハバナはロンドンよりヒドい。

過去2回は各3〜4泊程度、それもハバナだけの滞在だったが、今回はハバナ4泊+田舎2泊と長めの滞在だった。日中は高温多湿に蝕まれ、夜はホテルのシャワーと空調のせいで疲れが取れず、最後の方は疲労困憊である。最終日には、飲みすぎた翌朝のような、ひどい胃もたれで起きた朝のような感覚だった。人生に効く胃薬が欲しい。

美術館や博物館には興味がなく、過去2回も熱意を持ってハバナ観光していたわけではないが、3度目ともなると観光する意欲は失われている。実際のところ、ハバナにリピートしたくなるような観光スポットはない。おそらく最高の建築物は国会議事堂ハバナ大聖堂だろうが、国会議事堂は最初に来た時から修復工事が続いている。かなり進捗していたものの、未だ終わっていなかった。未完の建築物といえばサグラダファミリアが思い浮かぶが、それですら完成したら再訪したいという程度ではないだろうか。一方、ハバナ大聖堂には一度行けば満足できる。もっとも中に入れないことも多いらしく、一度だけでは満足できない可能性もあるが。

前回の滞在時に見つけた野菜市場を再訪してみたが、小奇麗に改装されていた。チェ・ゲバラの絵が描かれていた壁は塗りなおされており、赤土の土間も舗装されている。市場で使用している秤は、以前には昔ながらの天秤だったのだが、今やデジタル式である。残念ながらキューバらしいディテールの風情は失われてしまったようだ。

多少の進歩は見られるものの、この街に劇的な変化はない。むしろ全体としては緩やかに朽ちていっているように思える。ここまでの話をまとめると、暑くて湿度が高く、全体的に不便でボロけているし、何が良いのか分からない街だ。しかも日本からだと地球の裏側のような場所である。そんな街に僕は腐れ縁のように3回も行っている。

しかし、よくよく見ると、そんなハバナにも評価すべきポイントはある。過去のハバナ訪問では二軒の素晴らしいバーに巡りあった。

仕事が細かいモヒートを出すバーには大きな変化はなかった。バーテンダーは変わっていたが、前のバーテンダーの時から変わらずにモヒートを丁寧に作っているし、良い雰囲気も変わらない。食事も美味しい。このバーに今回も入り浸り、砂糖抜きモヒートを飲んでいた。

地元キューバ人用のハードボイルドなバーは世代交代していた。渋い爺さんバーテンダーは週1回位しか来ていないとのことである。

店には小さなラジカセが設置され、CDやラジオが流れるようになっていた。商売的にも変化があり、ジュースや水も扱うようになっている。冷蔵庫にはビールもあるようだ。飲料のほかにも、タバコや葉巻もあった。多角経営の時代である。ミニマリストなバーとしての良さは失われてしまったが、キューバ庶民の正しい酒場という感じである。

もっとも客の側には大した変化がない。タバコは1本売りしているようで、そこそこ需要があるらしい。それ以外は何も変わっていない。営業時間は朝7時からなのだが、昼前からラムをストレートで飲んでいる。ジュースも水もビールも全く売れていない。陽気な新バーテンダーにタバコ (キューバ国内流通用のフィルターなしの安煙草) を吸わさせられ、葉巻 (キューバ国内流通用の安葉巻) を1本もらって帰った。

別の日に再訪すると、例の爺さんバーテンダーがいた。この店では30mlのメジャーカップを使って、ラムのストレート1杯60mlの量り売りをしているのだが、爺さんは隙あらば、そのメジャーカップにラムを注いで、そのまま自分で飲んでいる。ハードボイルドなバーテンダーというよりも、単なる酔いどれ爺さんになっていたが、それも悪くない。

この二軒をハシゴして酔っ払う以外は、ハバナ旧市街にあるCafe Parisというバーに行き、ライブを聴きながら、そこでも砂糖抜きのモヒートを飲んだくれていた。

よくよくハバナを見た結果、この街の評価すべき点は酒場関係しかない。ハバナの酒場は相変わらず素晴らしい。これこそが腐れ縁が切れない理由である。

いまのところ野菜市場をまわって満足した気分になっているが、数年後には禁断症状のような衝動にかられ、またハバナに行くのだろう。