あいづのおもいで

2月のある夜、バーで飲んでいると知人から焼肉の写真を見せられた。薄い肉を囲炉裏で軽く焼き、しゃぶしゃぶのタレで食べるらしい。昨年、この知人の紹介で行った会津の温泉旅館だった。

囲炉裏と日本酒と会津牛、そして温泉。悪くない組み合わせである。僕も会津へ行こう。

冬の会津は寒い。囲炉裏だから寒い時期がふさわしいのだろうが、寒いのはイヤだ。しかも冬にはSLが運転されていない。

たぶん会津はゴールデンウィーク前後にならないと暖かくならないのではないか。しかしゴールデンウィーク前の会津は桜の時期で混んでおり、ゴールデンウィークそのものも避けたい。結局、梅雨前の5月中旬に行くことにした。

そういえば会津に行ったのは去年も5月中旬だった。1年たっても同じことをしている。

この1年を改めて振り返ってみると、毎日毎日が判で押したような生活である。

朝起きてイヤイヤながら会社へ行き、昼休みにはデスクで昼寝をし、夕方に帰宅して本格的に昼寝をする。なんとなく起きだして夕食を食べ、ウダウダとネットを見ていると深夜になっている。そして翌日もイヤイヤながら会社へ行く。

木曜日には近所のバーに行き、金曜日には実家近くのバーに行き、土曜日には銀座のバーに行く。日曜日には二日酔いしており、気付くと笑点の時間になっている。そして気が重くなる。

そんなこんなで一週間が終わり、気付くと次の週も終わり、再び気付くと翌月になっている。メリハリも緊張感もない日々。

そして1年後、同じ時期に同じ会津の旅館に行っている。しかも会津では同じ蕎麦屋を再訪しており、同じ鉄橋へ撮影に行き、そして去年と同じくSLに乗って新潟経由で帰った。

これからの一年間も同じような日々を過ごし、たぶん来年も5月に会津へ行って同じことをするのだろう。向上心も緊張感も進歩もないオッサンの、判で押したようなダラダラ人生。

ここまでくると様式美の世界である。歌舞伎、庭園に続く日本の美として、ダメオッサン人生を極めてみよう。

おっさんじんせい

近所の集いで花見に行ったところ、準備中、ぎっくり腰になった。とはいうものの、直後には痛いながらも立てており、しかも花見会場から20分ほど歩いて帰った。

思えばこれが悪かった。軽く考えすぎていたのである。

帰宅後、ふてくされて寝ようと思い、その前に風呂に入ったところ、風呂から出られなくなってしまった。しゃがんだのが悪かったようである。何度か失敗した後、死にかけたカエルのような格好で風呂から出た。そして全裸で部屋まで這って戻ったが、どうにもパンツがはけない。

悪戦苦闘してパンツをはいた後、人生の当面の諸課題を検討したところ、トイレに行けないことが判明した。這ってトイレまで行くことはできたが、用を足す体勢になれなかったのである。結局、母親に頼み込んで尿瓶を買ってきてもらった。

ぎっくり腰になって、70を過ぎた母親に尿瓶を買ってきてもらう独身中年男。

こんな人生で良いのだろうか。

人生が低空飛行になって久しい。それでも最低高度で飛行しているつもりだったが、気付かないうちに沼地に不時着していたのではないか。そしてズブズブと沈みつつあるのではないか。

2月に風邪を引いたが、その前後から不調である。

家に帰っても大してやることがないので早めに寝ているが、平日は1日10時間くらい寝ている。成人としては過剰な睡眠時間である。IKEAで買ったベッドを使用しているが、どうにも柔らかすぎで腰が痛くなる。おそらく毎日10時間も寝るようにはできていないのだろう。

ベッドにダンボールを敷いて、ベッドを硬くしてみた。アイデアとしては悪くないが、睡眠に適正なダンボールは世の中には存在しない。柔らかめのダンボール箱は概してサイズが小さくて睡眠には不向きだし、身長をカバーできるようなサイズのダンボールは概して硬い。しばらく硬め段ボールのベッドで過ごしてみたところ、腰痛はなくなったが、睡眠が快適ではない。眠りが浅いし、途中で何度も起きる。いい年こいて段ボールを敷いたベッドに寝るのもどうかとも思う。止むを得ずベッドを買い換えた。身体的ダメージは軽減されたものの、経済的ダメージは大きい。

ベッドを買いに家具店のショールームへ行き、寝たり起きたりしていたところ、靴がボロボロになっていることに気付いた。いい年こいてボロボロの革靴を履いているのもどうかと思う。新しい靴に替えたところ、靴擦れができてしまった。傷口としては小さいが、僕の体重という過大な負荷がかかり、ダメージが大きい。会社に行くと思うだけで精神的に暗くなるが、靴を履くと思うと更に暗くなった。

そうこうしているうちに口内炎もできてしまった。こちらも傷口としては小さいが、起きているうちは常に痛いし、食欲も失われる。肉体的にも精神的にもダメージが大きい。

そんなダメージの大きい生活を送っていたところ、人生最大のぎっくり腰が発生してしまったのである。

ぎっくり腰になった日の夕方、買ってきてもらった尿瓶で用を足し、仮眠をとったところ、症状は悪化していた。飲食のために起き上がるどころか、寝返りさえもできなくなっていた。しかも、ぎっくり腰とは何の脈絡もなく、38度の熱まで出ていた。

吸飲みと尿瓶とで暗澹たる一夜を過ごした後、翌日の午後にかかりつけの鍼灸師が往診に来てくれた。15分ほどブスブスと針を刺されていたところ、なんとか歩けるようになった。ありがたいことである。

その後、一週間程度で回復した。人生の沼地から這い出したのか、最悪期は脱したようだ。

オッサン人生に効く鍼灸はないものだろうか。

ねんがじょう

何年も年賀状を出さず、返信すらしない状況が続いていたところ、年賀状を受け取る枚数が減り続けた。2015年の正月で4枚だった。

2016年の正月には年賀状を出そうとは思ったものの、2015年中は実行力のないまま、気付くと元日になっていた。受け取った年賀状は4枚から更に減って2枚になってしまった (ブログを書いた後で1枚届いたのだ)。

いまや104円の価値しかないオッサンである。このままでいいのだろうか。

昨年で40歳になった。よくよく思い出してみると、最後に年賀状を出したのは20歳の時である。20年目の節目の年。

2017年こそは年賀状を出そう。

固い決意のもと、郵便局に行って年賀状を購入した。そして日本郵便のサイトから年賀状ソフトをダウンロードした。準備万端である。

年賀状を作るにあたり、改めて住所録を見た。基本的に社交性のない性格をしているため、そもそも住所録に記載されている人数が少ないが、住所を知っている人は更に少ない。

現住所が正しいか心もとない人を含めて、こちらから出せる年賀状の枚数は11枚しかない。こんなことなら、出そうと思わなかった方が良かったのではないか。

とは言うものの、既に年賀状を購入しており、年賀状を出す行為自体が大事であると自分に言い聞かせる。

本文を書き、写真を選び、いよいよプリントである。普通に印刷すれば何とかなると思っていたが、何度やっても宛名の印刷位置がズレる。郵便番号枠のせいである。11枚しか出さないのに、4枚も無駄にしてしまった。なんとも不効率なオッサンである。

どこかで見た統計によると、男性の平均寿命は80.75歳とのことである。統計的には人生の半分が終わってしまった。

子供の頃、「不言実行」が男の美徳であると言われ続けていた。裏を返せば「有言不実行」な子供だったのである。そのままオッサンになってしまった。

後半の人生、不効率でもいいから、せめて「有言実行」を目指そうと思った。