やくどし

今年が本厄である。

よくよく考えてみると、今年はトラブルが多い。冬は風邪で高熱を出し、しばらく正体不明の体調不良になり、そしてギックリ腰になった。

そんな危機を乗り越え、5月はロシア温泉に出かけ、6月は比較的安穏に過ごしていた。

そして再び風邪をひいた。夏風邪である。

基本的に日曜日の夕方以降は精神的にブルーな時間を過ごしており、体調もすぐれない。月曜日も同様である。

そんな月曜日、会社にいると違和感があった。基本的に会社にいると違和感があり、しかも月曜日は通常よりも違和感が強い。それでも通常の月曜日とは異なる違和感だった。

帰宅して熱を測ると風邪をひいていた。バファリン2錠を飲んでも38.5度に達したが、翌日の午前中には急激に熱が下がった。火曜日は一日休んでグダグダと過ごした。

馬鹿がひくのが夏風邪である。ここで話は終わったと思った。

一日休んだ後の水曜日、会社にいると違和感があった。基本的に会社にいると違和感があるが、通常とは異なる違和感だった。

風邪は治ったはずなのに、喉が痛い。しかも疲労と関係あるのか、夕方にかけて痛みが増している。

喉の痛みにはぺラックという薬が効くらしいが、しかし喉の痛みくらいは喉飴で治るのではないか。とりあえず会社の帰りにドラッグストアに寄ってみたが、ぺラックを買うべきか、喉飴を買うべきか分からない。そもそも喉飴は単なる食品である。普通の飴でもいいのではないか。しかもドラッグストアにはトローチという選択肢もあり、こちらは医薬品である。決めきれないままレジを見ると行列ができており、面倒くさくなって何も買わずに帰ってしまった。

自宅に帰ると普通の飴すらなかった。しかも時間が経つごとに喉が痛くなる。痛さのあまり眠れない。後悔しても遅すぎる。午前3時に眠れない頭を抱えて風邪薬のパッケージを見ると、風邪薬にはぺラックと同じ成分が入っていた。風邪は治ったはずだが、それでも風邪薬を飲んだところ、やっと午前4時半過ぎに寝られた。明日はぺラックを買おう。

木曜日、ぺラックを買って帰り、満を持してぺラックを飲んだ。前夜は数時間しか寝ていないので早々に寝たが、それでも2時間後には起きてしまった。この日も喉が痛くて眠れない。ぺラック飲んだのに。午前3時に眠れない頭を抱えて風邪薬のパッケージを見ると、ぺラックの鎮痛効果は低いようである。風邪は治ったはずだが、残っていたバファリンを飲んだところ、1錠では効かず、2錠目を飲んだ後、やっと午前4時半過ぎに寝られた。明日はロキソニンを買おう。

金曜日、2日間たいして寝ていないまま会社に行った。ここまでくると会社にいても違和感を感じない。毎日この状態だと、会社に行ってもストレスが減って健康的なのではないか。しかし夕方になると耳の付け根のあたりが痛くなってきた。週末に近所のクリニックに行った方がいいのではないか。

事態の深刻さを認識したのは金曜の夜だった。週末なのでバーに行ったところ、あまりにもアルコールがきつすぎてウイスキーのストレートが飲めない。薄めの水割りにしてもらって、やっと飲用可能な液体になった。毎日この状態だと、酒量が減って健康的なのではないか。しかし香りも味もわからない。明日は耳鼻科に行こう。

専門医に診てもらったところ、かなりひどい状況らしい。鼻からカメラを入れられて画像を見せられたが、膿がたまっていた。耳には水がたまっていて、中耳炎だそうである。大量に薬を処方されて帰った。

最近、どうも病気になりやすい。睡眠は十分にとっており、ストレスも大してなく、病弱でもないつもりだが、かなりのペースで病気になり、怪我もする。

あまり意識したことはなかったが、これが本厄ということなのだろうか。

春にギックリ腰になったあたりから、知り合いのオッサン達と厄年の話をしているが、そもそも本厄の定義が人によって違う。本厄になる誕生日からカウントする説と、誕生日を迎える年の1月1日からカウントする説がある (しかも1月1日の定義も、カレンダー説と旧暦説がある)。

11月が誕生日なので、前者の説では本厄は始まってもいないが、後者の説では本厄は半分終わっている。どちらが正しいのだろうか。オッサン達を問いただしても、人生は長いので半年位どうでもいいだろうと言われ、あるいは気に病むほどの違いでもないと言われる (こういう無責任な発言をするのは後厄まで終わったオッサンである)。

本厄の真実についてはわからないままだが、コップに半分しか水がないと思うか、コップに半分も水があると思うか、という話に似ている。僕の場合、基本的に後ろ向きな性格をしており、コップに半分しか水がないと思いがちである。

災厄はこれからだ。

あいづのおもいで

2月のある夜、バーで飲んでいると知人から焼肉の写真を見せられた。薄い肉を囲炉裏で軽く焼き、しゃぶしゃぶのタレで食べるらしい。昨年、この知人の紹介で行った会津の温泉旅館だった。

囲炉裏と日本酒と会津牛、そして温泉。悪くない組み合わせである。僕も会津へ行こう。

冬の会津は寒い。囲炉裏だから寒い時期がふさわしいのだろうが、寒いのはイヤだ。しかも冬にはSLが運転されていない。

たぶん会津はゴールデンウィーク前後にならないと暖かくならないのではないか。しかしゴールデンウィーク前の会津は桜の時期で混んでおり、ゴールデンウィークそのものも避けたい。結局、梅雨前の5月中旬に行くことにした。

そういえば会津に行ったのは去年も5月中旬だった。1年たっても同じことをしている。

この1年を改めて振り返ってみると、毎日毎日が判で押したような生活である。

朝起きてイヤイヤながら会社へ行き、昼休みにはデスクで昼寝をし、夕方に帰宅して本格的に昼寝をする。なんとなく起きだして夕食を食べ、ウダウダとネットを見ていると深夜になっている。そして翌日もイヤイヤながら会社へ行く。

木曜日には近所のバーに行き、金曜日には実家近くのバーに行き、土曜日には銀座のバーに行く。日曜日には二日酔いしており、気付くと笑点の時間になっている。そして気が重くなる。

そんなこんなで一週間が終わり、気付くと次の週も終わり、再び気付くと翌月になっている。メリハリも緊張感もない日々。

そして1年後、同じ時期に同じ会津の旅館に行っている。しかも会津では同じ蕎麦屋を再訪しており、同じ鉄橋へ撮影に行き、そして去年と同じくSLに乗って新潟経由で帰った。

これからの一年間も同じような日々を過ごし、たぶん来年も5月に会津へ行って同じことをするのだろう。向上心も緊張感も進歩もないオッサンの、判で押したようなダラダラ人生。

ここまでくると様式美の世界である。歌舞伎、庭園に続く日本の美として、ダメオッサン人生を極めてみよう。

おっさんじんせい

近所の集いで花見に行ったところ、準備中、ぎっくり腰になった。とはいうものの、直後には痛いながらも立てており、しかも花見会場から20分ほど歩いて帰った。

思えばこれが悪かった。軽く考えすぎていたのである。

帰宅後、ふてくされて寝ようと思い、その前に風呂に入ったところ、風呂から出られなくなってしまった。しゃがんだのが悪かったようである。何度か失敗した後、死にかけたカエルのような格好で風呂から出た。そして全裸で部屋まで這って戻ったが、どうにもパンツがはけない。

悪戦苦闘してパンツをはいた後、人生の当面の諸課題を検討したところ、トイレに行けないことが判明した。這ってトイレまで行くことはできたが、用を足す体勢になれなかったのである。結局、母親に頼み込んで尿瓶を買ってきてもらった。

ぎっくり腰になって、70を過ぎた母親に尿瓶を買ってきてもらう独身中年男。

こんな人生で良いのだろうか。

人生が低空飛行になって久しい。それでも最低高度で飛行しているつもりだったが、気付かないうちに沼地に不時着していたのではないか。そしてズブズブと沈みつつあるのではないか。

2月に風邪を引いたが、その前後から不調である。

家に帰っても大してやることがないので早めに寝ているが、平日は1日10時間くらい寝ている。成人としては過剰な睡眠時間である。IKEAで買ったベッドを使用しているが、どうにも柔らかすぎで腰が痛くなる。おそらく毎日10時間も寝るようにはできていないのだろう。

ベッドにダンボールを敷いて、ベッドを硬くしてみた。アイデアとしては悪くないが、睡眠に適正なダンボールは世の中には存在しない。柔らかめのダンボール箱は概してサイズが小さくて睡眠には不向きだし、身長をカバーできるようなサイズのダンボールは概して硬い。しばらく硬め段ボールのベッドで過ごしてみたところ、腰痛はなくなったが、睡眠が快適ではない。眠りが浅いし、途中で何度も起きる。いい年こいて段ボールを敷いたベッドに寝るのもどうかとも思う。止むを得ずベッドを買い換えた。身体的ダメージは軽減されたものの、経済的ダメージは大きい。

ベッドを買いに家具店のショールームへ行き、寝たり起きたりしていたところ、靴がボロボロになっていることに気付いた。いい年こいてボロボロの革靴を履いているのもどうかと思う。新しい靴に替えたところ、靴擦れができてしまった。傷口としては小さいが、僕の体重という過大な負荷がかかり、ダメージが大きい。会社に行くと思うだけで精神的に暗くなるが、靴を履くと思うと更に暗くなった。

そうこうしているうちに口内炎もできてしまった。こちらも傷口としては小さいが、起きているうちは常に痛いし、食欲も失われる。肉体的にも精神的にもダメージが大きい。

そんなダメージの大きい生活を送っていたところ、人生最大のぎっくり腰が発生してしまったのである。

ぎっくり腰になった日の夕方、買ってきてもらった尿瓶で用を足し、仮眠をとったところ、症状は悪化していた。飲食のために起き上がるどころか、寝返りさえもできなくなっていた。しかも、ぎっくり腰とは何の脈絡もなく、38度の熱まで出ていた。

吸飲みと尿瓶とで暗澹たる一夜を過ごした後、翌日の午後にかかりつけの鍼灸師が往診に来てくれた。15分ほどブスブスと針を刺されていたところ、なんとか歩けるようになった。ありがたいことである。

その後、一週間程度で回復した。人生の沼地から這い出したのか、最悪期は脱したようだ。

オッサン人生に効く鍼灸はないものだろうか。