あついなつ

今年の夏は異様に暑かった。基本的には朝晩しか出歩かないサラリーマン人生を送っているが、それでも夏はニンジンをぶら下げておかないと、乗り切るのが難しい。

ニンジンとは、すなわちイベントである。昨年は出羽三山羽黒山で厄除けをし、隅田川で屋形船に乗った。成功体験に縛られやすい性格をしているため、今年も屋形船に参加し、出羽へ御礼参りに行くことにした。

今年の屋形船は川崎から横浜方面だった。夕方の京浜工業地帯を抜ける。隅田川と違って華やかさには欠けるが、ハードボイルドぽくて良い。浅草でも川崎でも屋形船は屋形船なので、出てくるものは天ぷらとビール飲み放題くらいであり、乗っている限りは大差ないのだが。予報に反して天気は良く、写真という面ではありがたい。昨年の厄除けの効果だろう。

例年通り隅田川の花火の夜に母親の友達が集合するので、出羽には7月の最終週に行くことにした。屋形船の2週間後である。これくらいのペースでニンジンがあれば、夏は余裕で乗り切れるはずである。

予定としては、土曜日早朝の飛行機で庄内空港に行き、鶴岡で一泊。土曜か日曜の朝に羽黒山へ行き、あとは土門拳の美術館を見る。そして日曜日夕方の特急に乗って、日没を見ながら新潟経由で帰る。

ほぼ完璧な予定のつもりでANAの航空券を取り、JRの指定席も取っていたが、その週末に台風が日本に接近した。関東直撃との予報。しかも北上して新潟方面に抜けるらしい。なんなんだ。

木曜日の午後にはANAから航空券キャンセル無料のお知らせが届き、隅田川の花火も延期が決まり、母親友達大集合もキャンセルする方向とのことである。羽黒山で階段を上っている間に雨が降ったらイヤだし、新幹線が止まって帰ってこられなくなるのも困る。そもそも大集合がなくなったので、出羽に行く必要すらなくなったのだ。行かなくて済むのなら、敢えて行かなくてもいいか。御礼参りの必要性には気付かないふりをしつつ、早々にキャンセルした。

翌金曜日の昼休み、台風の予想進路を見て愕然とする。関東の手前で西方向に急カーブする予報になっていた。なんなんだ。朝一の飛行機は台風接近前の出発だし、そもそも新潟から山形は完全に晴れらしい。

追い打ちをかけるように、母親の友達集合は隅田川の花火にあわせて日曜日に延期になったとのこと。なんなんだ。母親の友人と言えば一般的に老人に分類される人々であり、時間の融通はきくらしい。結局、日曜の夜は家にいられなくなった。

せっかちすぎて判断を誤ってしまった。台風の動静も、老人の動静も分かっていない。もうちょっと冷静な分析をしてからアクションを取るべきだった。

結局、その後はニンジンのないまま8月が終わってしまった。隔週でニンジンがぶら下がっているはずだったのだが。ニンジンのない僕は、次第に夏に負けた。思いのほか仕事は忙しく、ついにスペイン語を挫折した。

御礼参りをドタキャンした罰だろう。神は神様だけに、何でもお見通しらしい。

ねんがじょう

いつの間にか昨年は終わり、気付くと正月になっている。成長を見守る必要があるのは自分の腹回りだけの独身オッサンになると、一年こんな風に無意味に過ぎる。

日本の正月には年賀状が届く。子供じみているかもしれないが、毎年、年賀状の枚数から僕の価値を推計していた。2016年には実質的に2枚の年賀状だったので、僕の価値は104円相当と推計された (ブログを書いた後に1枚届いた)。オッサン人生デフレ状態である。

年賀状の受取が減る過程を分析すると、年賀状とはギブアンドテイクではないかとの仮説に至った。返信を出さないでいると、いつの間にか年賀状は来なくなる。年賀状の損益分岐点は人によって異なるものの、どこかの時点で僕が不良債権化したと判断され、送付リストから漏れる。一枚、また一枚と、四谷怪談のように年賀状が減っていく。これこそデフレスパイラルである。

こうなると景気浮揚策を講じる必要があり、リーマンショック時のように積極的な財政出動が求められる。投資によって僕の価値を上昇させたい。そして、昨年は11枚の年賀状を出した。住所を知っている人の全てである。11枚 x 52円 = 572円相当だ。自分自身の価値の5倍以上である。野党からはバラマキ政治と批判を受けそうだ。

その11枚を投資と考えると、受け取った枚数はリターンということになる。昨年の投資の答えが出るのが今年である。割引率や償却期間を考えない場合、(2018年に受け取った枚数 – 2017年に出した枚数) x 52円によって、2018年1月現在の僕の価値が分かるはずである。

ハイリターンなオッサンでありたい。そんな思いで元旦を迎えた。

郵便箱を見ると年賀状は4枚だった。そのうち3枚は飲食店からで、これらは僕の価値というよりも、広報宣伝活動に類するものである。故に僕自身の価値を示す指標としては、1枚ということになる。1月3日以降にも1~2枚は届くだろうが、昨年の投資にも関わらず、結局のところ枚数的な増加はなかったと言っていいだろう。むしろ僕自身としては、過剰な投資のため簿価はマイナスである。もっと慎重に投資すべきだった。技術力やキャッシュフローのある大手企業も、こうやって潰れていくのだろう。

新たな問題として、今年は返信を出すべきだろうか。

こんな投資効率の悪い僕に、更に無駄な投資をすべきではないという立場からは、年賀状の返信を出すべきではない。出しても出さなくても結果は大して変わらないのだ。むしろ、返信を出さなければ僕の簿価がマイナスになることはない。二期連続して僕の簿価がマイナスになるリスクは避けるべきである。ここは無意味にリスクを取る場面ではなく、規律ある財政が必要なのだ。

一方、僕自身の価値の下支えが必要という立場からは必要最小限の投資が必要で、つまり返信くらいは出すべきである。これまでの知見によると、返信を出さない限り年賀状は減り続ける。このままではゼロになってしまう。無価値なオッサンとは、抗うことすら叶わない、飼い殺しのような状況ではないだろうか。ある意味、マイナスより悪い。

さらに無駄な事業からは早急に撤退すべきという説も出てくる。たしかに簿価はマイナスのオッサンである。昨年の過剰投資を考えなかったとしても、104円程度の価値しかない。しかも改めて指摘するまでもなく、大して世の中の役には立っていない。とは言うものの、いくらなんでも人生から撤退するには早すぎるのではないか。

正月早々から悩ましい。

しかも1月7日までに年賀状を出さないと、郵送料が10円高くなるそうである。10円と言われると大したことはないが、単価20%増と言われると、脆弱な収益基盤においてはコスト的に重大なインパクトがある。

早めに決断すべきか、単価増のリスクを受け入れても熟考すべきか。人生のファイナンシャルプランナーが欲しい。

冬休み特別読み物:語学学習

いまどきは小学校から英語を学ぶらしい。その昔、小学校でローマ字を覚えさせられたときには、漢字以外にも文字を覚える必要があることに衝撃を覚えたのだが。

いずれにしても学校では半強制的に英語を勉強させられ、それはそれで人生における現実的な選択肢である。

複数の言語を操るのは難しい。語学学習とは人生における長期的な投資のようなものである。人生を豊かにするという側面から、英語以外に何語を学ぶべきかを考えたい。

とりあえずは中国語が無難であろう。転職サイトをみると「中国語スキル尚可」などと書かれていることが多く、有利そうである。生活力という面からは悪くないと思う。

趣味の面から考えてもいい。快楽主義的な僕の場合には、学ぶべき言語は旅行先の傾向と同じになるだろう。フランス語、スペイン語、もしくはイタリア語だろうか。

フランスに行くと、レストランには英語のメニューがないことが多く、フランス語の必要性を痛感する。昔、羽田に国際線がなかった時代から、22時頃に成田を出るエールフランスの深夜便を活用しており、パリのドゴール空港に降りたった回数は半端ない。これだけパリに行っていれば自然に言語くらい習得できるかと淡い期待を持っていたが、結果的にフランス語は習得できていない。空港に降りたつだけではダメだった。

バル好きとしてはスペイン語は欠かせない。バスク地方のバルであれば、目の前の皿を指さすだけで十分なので、大して話す必要はない。しかし、それ以外の地方では料理を注文する必要があり、黒板が読めないと、ありきたりのものしか食べられない。学生時代にはヒスパニック系住民が多いカリフォルニア州に住んでおり、しかも僕は見た目がメキシカンぽい。極めて自然に使用できたはずではあるが、まったくと言っていいほど話せない。見た目だけではダメだった。

イタリア語も微妙である。フランス語もスペイン語も数語程度の語彙力だが、それだけでも手一杯である。ある日、アマルフィでカフェに入ったが、そんなところでは英語で何とかなるのである。しかし、それに甘えてはいけない。イタリア語をしゃべってみようと思った。エスプレッソが出てくる前に必死で思い出し、最後に歌舞伎の見得のように「グラシァス」と言った。ツケが打たれるかと思いきや、カフェのオヤジに苦笑された。たぶん僕には歌舞伎座よりも鈴本演芸場、ツケよりも出囃子の方が似合う。

やっぱり言語習得はハードルが高い。すでに40歳台に突入しており、脳の柔軟性も、記憶力も弱くなってきている。努力せずに言語を習得する方法はないものだろうか。