ぼすとんのおもいで

出来心でボストンに行くことにした。カレンダーを眺めていると、アメリカの感謝祭の週末が日本では三連休になっていた。3連休に1日足して4日間を捻出すると、ボストンで2泊できる。ビジネス客が少ないタイミングなので飛行機も空いてそうだし、丁度いいのではないだろうか。

そんな軽い気持ちでボストンに行くと決めたものの、出発前に天気を調べると異様に寒い。東京は暖かめの晩秋だが、ボストンは完全に冬である。しかも到着日はボストンの観測史上で最も寒い感謝祭になる予報だった。風も強いようで、体感気温は更に寒い。到着時間帯の体感気温予想は4度。これだけでも十分に寒そうだが、アメリカの予報なので華氏である。摂氏にするとマイナス15.5度。軽い気持ちで行く気温ではない。慌ててヒートテックとダウンを取り出した。

感謝祭の木曜日の昼過ぎにボストン着。外に出て駐車場まで行くと、どうにも寒い。風が吹き込んでくると、耳がちぎれるように感じる。来なければよかったと後悔したが、既に来てしまった。後悔先に立たずである。

翌日の金曜日はボストンの観光に出かけた。しばらく歩いていると、頭が痛くなるほどの寒さである。周りを見渡すと、ほとんどの人が帽子をかぶっている。この寒さでは必需品なのだろう。極寒用のヒートテックとダウンがあれば万全かと思ったが、帽子は思いつかなかった。準備が甘かったと後悔したが、ないものはない。後悔先に立たずである。

とりあえず目の前の安売りデパートに入って帽子を探すが、15ドルくらいだった。あまり気に入ったデザインではない。東京で通勤時には被らないだろう、毛糸の帽子である。数時間のために15ドル払うべきか、やせ我慢で耐えるべきか。悩ましい。

予報によると極寒状態は前日の感謝祭当日がピークであり、金曜日の午後からは改善傾向との事である。やせ我慢で耐えることにした。何はともあれ目先の15ドルを無駄にしたくない。

帽子を被らずに街を歩くが、あまりにも寒すぎて観光する気にもならず、とりあえず公共市場を目指して歩く。途中にボストン公共図書館マサチューセッツ州議会議事堂があったので中を覗いてみる。

あまりの寒さで、市場に着いた所で観光は挫折。アメリカの古い都市なので、他にも見るべき場所はあるのだろうが、とにかく寒い。

あとはショッピング。感謝祭の翌日はブラック・フライデーである。街中が大バーゲンだ。

今回はブリーフケースサングラスを買いに行った。ブリーフケースは35% off、サングラスは30% offのセール品が更に20% off、靴は30% offになっていた。総額で300ドル以上安くなっている。さっきの帽子の15ドルと合わせると、350ドル近く出費を節約できた。前日からの後悔を帳消しにできる金額である。

金さえあれば何とかなると思うのは寂しい人生だと言われるが、かなりの程度までは金の力で前向きになれる。僕の人生にはブラック・フライデーが必要だ。

わりと前向きな気持ちで、土曜日の夕方には帰路についた。ロサン経由で羽田行きの深夜便に乗り、羽田に月曜日の午前5時頃に到着。一度、荷物を置きに自宅に戻って、9時から会社である。しかも、その日に限って忘年会第1弾があり、帰宅したのは火曜日の午前2時くらいだった。

オッサンになると筋肉痛が出るのに時間がかかるが、睡眠不足と二日酔いが出るのも時間がかかるようで、火曜日は単に気持ち悪いだけであり、水曜日が疲労のピークだった。それでも何とか月末の一週間を乗り切った。

週末には元気な気分になっており、軽い気持ちで土曜日の朝にインフルエンザの予防接種を受けた。予防接種前の検温では異常なかったものの、その夜には、腕の腫れ、悪寒、嘔吐、発熱など、重篤ではない副作用が一通り出てしまった。

39度の発熱で朦朧とした頭で考えると、おそらくボストンで風邪をひいてしまったのだろう。あの日、目先の15ドルをケチらずに帽子を買えばよかったと後悔した。まさに後悔先に立たずだ。朦朧としつつ更に考えると、35% offだったのなら、ブリーフケースと一緒にスーツケースも買えば良かったのではないだろうかと後悔した。やっぱり後悔先に立たずである。

ブラック・フライデーで諸々の後悔を解消したかと思いきや、翌週には更なる後悔を抱えてしまった。まだ12月になったばかりであり、来年の感謝祭まで丸一年ある。

僕の人生には年1回のブラック・フライデーでは不足である。毎週とは言わないまでも、せめて月に1回、ブラック・フライデーがないものだろうか。

(次回のボストン記事 こちら)

あついなつ

今年の夏は異様に暑かった。基本的には朝晩しか出歩かないサラリーマン人生を送っているが、それでも夏はニンジンをぶら下げておかないと、乗り切るのが難しい。

ニンジンとは、すなわちイベントである。昨年は出羽三山羽黒山で厄除けをし、隅田川で屋形船に乗った。成功体験に縛られやすい性格をしているため、今年も屋形船に参加し、出羽へ御礼参りに行くことにした。

今年の屋形船は川崎から横浜方面だった。夕方の京浜工業地帯を抜ける。隅田川と違って華やかさには欠けるが、ハードボイルドぽくて良い。浅草でも川崎でも屋形船は屋形船なので、出てくるものは天ぷらとビール飲み放題くらいであり、乗っている限りは大差ないのだが。予報に反して天気は良く、写真という面ではありがたい。昨年の厄除けの効果だろう。

例年通り隅田川の花火の夜に母親の友達が集合するので、出羽には7月の最終週に行くことにした。屋形船の2週間後である。これくらいのペースでニンジンがあれば、夏は余裕で乗り切れるはずである。

予定としては、土曜日早朝の飛行機で庄内空港に行き、鶴岡で一泊。土曜か日曜の朝に羽黒山へ行き、あとは土門拳の美術館を見る。そして日曜日夕方の特急に乗って、日没を見ながら新潟経由で帰る。

ほぼ完璧な予定のつもりでANAの航空券を取り、JRの指定席も取っていたが、その週末に台風が日本に接近した。関東直撃との予報。しかも北上して新潟方面に抜けるらしい。なんなんだ。

木曜日の午後にはANAから航空券キャンセル無料のお知らせが届き、隅田川の花火も延期が決まり、母親友達大集合もキャンセルする方向とのことである。羽黒山で階段を上っている間に雨が降ったらイヤだし、新幹線が止まって帰ってこられなくなるのも困る。そもそも大集合がなくなったので、出羽に行く必要すらなくなったのだ。行かなくて済むのなら、敢えて行かなくてもいいか。御礼参りの必要性には気付かないふりをしつつ、早々にキャンセルした。

翌金曜日の昼休み、台風の予想進路を見て愕然とする。関東の手前で西方向に急カーブする予報になっていた。なんなんだ。朝一の飛行機は台風接近前の出発だし、そもそも新潟から山形は完全に晴れらしい。

追い打ちをかけるように、母親の友達集合は隅田川の花火にあわせて日曜日に延期になったとのこと。なんなんだ。母親の友人と言えば一般的に老人に分類される人々であり、時間の融通はきくらしい。結局、日曜の夜は家にいられなくなった。

せっかちすぎて判断を誤ってしまった。台風の動静も、老人の動静も分かっていない。もうちょっと冷静な分析をしてからアクションを取るべきだった。

結局、その後はニンジンのないまま8月が終わってしまった。隔週でニンジンがぶら下がっているはずだったのだが。ニンジンのない僕は、次第に夏に負けた。思いのほか仕事は忙しく、ついにスペイン語を挫折した。

御礼参りをドタキャンした罰だろう。神は神様だけに、何でもお見通しらしい。

ねんがじょう

いつの間にか昨年は終わり、気付くと正月になっている。成長を見守る必要があるのは自分の腹回りだけの独身オッサンになると、一年こんな風に無意味に過ぎる。

日本の正月には年賀状が届く。子供じみているかもしれないが、毎年、年賀状の枚数から僕の価値を推計していた。2016年には実質的に2枚の年賀状だったので、僕の価値は104円相当と推計された (ブログを書いた後に1枚届いた)。オッサン人生デフレ状態である。

年賀状の受取が減る過程を分析すると、年賀状とはギブアンドテイクではないかとの仮説に至った。返信を出さないでいると、いつの間にか年賀状は来なくなる。年賀状の損益分岐点は人によって異なるものの、どこかの時点で僕が不良債権化したと判断され、送付リストから漏れる。一枚、また一枚と、四谷怪談のように年賀状が減っていく。これこそデフレスパイラルである。

こうなると景気浮揚策を講じる必要があり、リーマンショック時のように積極的な財政出動が求められる。投資によって僕の価値を上昇させたい。そして、昨年は11枚の年賀状を出した。住所を知っている人の全てである。11枚 x 52円 = 572円相当だ。自分自身の価値の5倍以上である。野党からはバラマキ政治と批判を受けそうだ。

その11枚を投資と考えると、受け取った枚数はリターンということになる。昨年の投資の答えが出るのが今年である。割引率や償却期間を考えない場合、(2018年に受け取った枚数 – 2017年に出した枚数) x 52円によって、2018年1月現在の僕の価値が分かるはずである。

ハイリターンなオッサンでありたい。そんな思いで元旦を迎えた。

郵便箱を見ると年賀状は4枚だった。そのうち3枚は飲食店からで、これらは僕の価値というよりも、広報宣伝活動に類するものである。故に僕自身の価値を示す指標としては、1枚ということになる。1月3日以降にも1~2枚は届くだろうが、昨年の投資にも関わらず、結局のところ枚数的な増加はなかったと言っていいだろう。むしろ僕自身としては、過剰な投資のため簿価はマイナスである。もっと慎重に投資すべきだった。技術力やキャッシュフローのある大手企業も、こうやって潰れていくのだろう。

新たな問題として、今年は返信を出すべきだろうか。

こんな投資効率の悪い僕に、更に無駄な投資をすべきではないという立場からは、年賀状の返信を出すべきではない。出しても出さなくても結果は大して変わらないのだ。むしろ、返信を出さなければ僕の簿価がマイナスになることはない。二期連続して僕の簿価がマイナスになるリスクは避けるべきである。ここは無意味にリスクを取る場面ではなく、規律ある財政が必要なのだ。

一方、僕自身の価値の下支えが必要という立場からは必要最小限の投資が必要で、つまり返信くらいは出すべきである。これまでの知見によると、返信を出さない限り年賀状は減り続ける。このままではゼロになってしまう。無価値なオッサンとは、抗うことすら叶わない、飼い殺しのような状況ではないだろうか。ある意味、マイナスより悪い。

さらに無駄な事業からは早急に撤退すべきという説も出てくる。たしかに簿価はマイナスのオッサンである。昨年の過剰投資を考えなかったとしても、104円程度の価値しかない。しかも改めて指摘するまでもなく、大して世の中の役には立っていない。とは言うものの、いくらなんでも人生から撤退するには早すぎるのではないか。

正月早々から悩ましい。

しかも1月7日までに年賀状を出さないと、郵送料が10円高くなるそうである。10円と言われると大したことはないが、単価20%増と言われると、脆弱な収益基盤においてはコスト的に重大なインパクトがある。

早めに決断すべきか、単価増のリスクを受け入れても熟考すべきか。人生のファイナンシャルプランナーが欲しい。