まかお

写真: 記憶の片隅にあるマカオ (イメージ)

昨年11月に有効期限をむかえたANAのマイルがあった。特に何をしたいというのはないが、しかしマイルを使わなくてはいけないので、なんとなく今年5月の香港往復チケットを取った。たいしてマイルがないので、東南アジアへ行くには不足で、韓国・中国あたりまでしか行けない。ソウルでも北京でも台北でも良かったのだが、なんとなく香港である。フライトも多いし。香港で過ごすもよし、フェリーでマカオに行くという手もあるし、電車で広州に行くこともできる。タダなのである。自由に過ごせばいい。

しばらく考えた末、マカオに行こうと思った。マカオには数年前に一日だけ行ったことがある。ローカルな市場、ボロいドッグレース場、そしてレトロな飲茶屋。香港と比べると、かなり地味ではあるものの、いい雰囲気の町である。ような記憶がある。

年末年始の休み中、あれやこれや考えていると、5月のマカオは雨季との事である。せっかく日本が梅雨入り前の気候が良い時期なのに、何故、敢えて雨季の場所に行くのか。よくよく考えると数年前のマカオも5月だった。日中はムシ暑かったし、夜は雨の中をタクシーを求めて彷徨い歩いたのだった。苦い思い出は忘れやすい。

調べてみると、どうも3月までが乾季ということらしい。ならば乾季のうちに行こうと思った。特典航空券だけに、土日に空いているフライトは見つけにくいが、3月最後の週末、日曜深夜に香港を出て、月曜朝に羽田に着くフライトに空席を見つけた。タダであるから妥協が肝心である。

そうこうしていると、2月末に常夏の島ハワイに出かけた。極寒の日本に帰ってくると、気温差と花粉症で弱ってしまっていた。時差ボケにもなった。その3週間後にマカオは厳しい。深夜便での帰国はさらに厳しい。タダのものをキャンセルしてもタダなので、悩んでいるうちに面倒くさくなってキャンセルしてしまった。税金相当額は戻ってくるし、ホテル代を払わなくて済む。

無料航空券で行くマカオも、普通の航空券で行くマカオも、同じ飛行機であり、同じマカオである。しかし無料航空券のマカオはあっさりとキャンセルしてしまった。判断の根源にあるものは、タダだからいいというよりも、タダだからどうでもいいという価値観である。タダより安いものはないはずであるが、タダのものには価値を見出しにくい。

結局のところ、僕の価値観はカネに縛られている。醜いオッサンである。

しんねん

写真: 美しい夜明け (イメージ)

虚礼廃止とペーパーレスな人生をつきつめたところ、昨年、僕宛に届いた年賀状は7枚だった。バーと旅館を除くと、4枚である。つまるところ人生とはギブアントテイクであり、年賀状を返信しない人生によって、僕の真の価値は税込み208円と推定された。

正直ちょっと寂しい。

今更、僕自身の真の価値を高めるのは困難である。見た目の価値を上げるべく、アナログな習慣を再開し、人生をアベノミクスしてみようと思い至った。昨年の抱負である。

気付くと2016年になっていた。時が過ぎるのは早い。そして年賀状は書いていない。

昨年、年賀状に全く思いを致さなかったかと言われれば、そうではない。郵便箱には年賀状のチラシが入っていたし、どこかのタイミングで年賀ハガキを購入し、写真を選び、住所を印刷することは可能であった筈である。しかしアナログも虚礼も世間の習慣も人生のアベノミクスもないまま一年が終わった。

根本にあるのが、何かをスタートすることの難しさである。

今に始まったわけではないが、極めて社会性のない生活をしており、いまや年賀状を出すような相手の心当たりがない。全くないわけではないが、住所を知っているというだけの理由で、急に年賀状を送りつけるのも無粋である。なにせ送付先全員、10年以上のブランクがある。知っている住所が正しいかすら定かではないし、年賀状を出すにも言い訳が必要となってしまった。これでは、年賀状というより、年賀手紙になってしまう。

それに、年賀状の作り方も分からない。猿の写真はないが、初日の出を連想させるような写真を用意することはできる。実際には日暮れかもしれないが、おめでたいような雰囲気を醸し出している。余白に「謹賀新年」と書く。それ以上、何をすればいいのか。センスのある年賀状の作り方がわからないし、宛名印刷の方法も不明である。プリンターはあるが、センスがない。

今年、1月3日の夜までに届いた年賀状は3枚。そのうち2枚はバーからである。いまや僕の真の価値は税込み52円になってしまった。

深刻なデフレ人生である。

おはらい

11月下旬あたりから、どうも人生が芳しくない。オッサンたる者、人生は芳しくないものと相場が決まっているが、それを割り引いてもダメである。ロクでもないことばかり起きる。よくもこれだけ災難が発生したと思う。

僕には謹賀新年の心がわからない。謹賀新年の心はわからないものの、しかし、このまま年を越していいのかという気にはなる。テレビのコマーシャルでも、今年の汚れは今年のうちにキレイにしろと言っていたし、悪い流れは断ち切っておかないといけないのだろう。

苦しい時は神頼み。

お祓いに行こうと思った。近所の神社のホームページによると、厄除け、家内安全、商売繁盛などを随時受け付け、一件につき5千円から3万円とのことである。

厄年でもないのに、悪いことが重なったというだけで、お祓いをしてくれるのだろうか。しかも5千円から3万円という価格設定は幅が広すぎる。実際の値段は依頼内容によるのだろうか。悪いことが重なったと申告すると、カスタムお祓いなので3万円とか言われそうである。年齢詐称して、通常の厄年のお祓いに混ぜてもらうことも考えたが、神主には年齢詐称がバレなくても、神には年齢詐称がバレそうだ。なんといっても神は神様なのである。

決心のつかぬまま、それでも1万円札を1枚だけ握りしめて神社に向かった。足元を見られて3万円と言われても、ないものはない。ぼったくりバーではないので、見知らぬ借用書を書かされるとか、実はクレジットカードが使えるとかいうこともなさそうである。

近所の神社といっても、それなりに大きい神社であり、ちょっとした観光地でもある。社務所に行くと、お札やらお守りやらの販売が盛況だった。社務所の隅の方にはお祓いの申込書があったが、申込書の記載台はないし、ボールペンすら置いていない。神社の人は販売で忙しそうであり、雑踏の中、お祓いの相談と料金交渉をするには気がひける。

社務所を出て本殿に戻り、通常の参拝でなんとかしてくれるよう神様に依頼した。本来であれば懇願すべきであったが、観光客で混んでいたので、頼み込む時間がなかったのだ。

ちょっと奮発して御賽銭200円。なんとか手を打ってもらえないだろうか。