すみだがわはなびのおもいで

東京の下町で最大のイベントというと、隅田川の花火ではないだろうか。そのせいで、数年に一度、7月末の土曜日に母親の友達が実家に大集合する。

昔はオバサンが集合している位の認識だったが、いまや僕がオッサンになってしまった。オッサンの幼児時代を知っているオババが集合するわけで、どうにも煩わしい。どうにか逃げ出そうと思った。

よくよく思い出すと、春にマカオ行きを挫折しており、8月までに使用しなければならないANAのマイルが残っている。これを使って、どこかに行こう。

飛行機に乗るのであれば、電車では行けないところに行くべきである。とは言うものの、花火の夜の脱出が目的であり、日帰りが望ましい。沖縄は遠すぎ、北海道か九州あたりが選択肢になる。

去年までの僕であれば余市蒸留所に行っていたと思うが、今年の僕は機関車男である。熊本にもSLが走っている。

調べたところ、朝一のANAではSLに間に合わない。当初の計画はANAのマイルを使うことだったが、朝はJALに乗らないといけない。JALにもマイルがあるので問題ないが、人生は一筋縄ではいかないということである。翼にしがみついてでも、帰りはANAに乗ろう。

いつもなら熟睡しているような時間に起き、ほぼ寝たまま羽田へ向かい、飛行機の中で熟睡し、寝ぼけたままバスで熊本駅へ。熊本駅に着くと、既にSLは入線していた。

出発後、車内販売のカウンターに焼酎と弁当を買いに行くが、弁当は売り切れていた。冷静に考えると、朝から一人で焼酎を飲んでるオッサンはヤバい。思い通りにいかない朝である。

やむをえず熊本地ビールのみ購入した。球磨川を眺めながらビールを飲んでいるが、どうにも腹が減っている。空腹でビールを飲んだせいで眠い。熊本から2時間半くらいの旅で人吉に着いた。

せっかく温泉のある街に来たが、日帰りなので宿泊はできない。このまま昼酒・昼寝がしたい。一筋縄でいかないのが人生である。
後ろ髪をひかれる思いで、帰りのSLに乗った。途中の駅で焼サバ寿司を買い、球磨川を眺めながら再び熊本地ビール。やや眠く、やや幸せな気分で熊本に着いた。

熊本駅で乗車前に朝食の弁当を買うこと、帰りの車中で焼酎ロックを飲むために保冷バックと氷を買うこと、人吉で温泉に泊まること。

この三点を次回の課題としつつ、ANAの最終便で羽田に戻った。

まかお

写真: 記憶の片隅にあるマカオ (イメージ)

昨年11月に有効期限をむかえたANAのマイルがあった。特に何をしたいというのはないが、しかしマイルを使わなくてはいけないので、なんとなく今年5月の香港往復チケットを取った。たいしてマイルがないので、東南アジアへ行くには不足で、韓国・中国あたりまでしか行けない。ソウルでも北京でも台北でも良かったのだが、なんとなく香港である。フライトも多いし。香港で過ごすもよし、フェリーでマカオに行くという手もあるし、電車で広州に行くこともできる。タダなのである。自由に過ごせばいい。

しばらく考えた末、マカオに行こうと思った。マカオには数年前に一日だけ行ったことがある。ローカルな市場、ボロいドッグレース場、そしてレトロな飲茶屋。香港と比べると、かなり地味ではあるものの、いい雰囲気の町である。ような記憶がある。

年末年始の休み中、あれやこれや考えていると、5月のマカオは雨季との事である。せっかく日本が梅雨入り前の気候が良い時期なのに、何故、敢えて雨季の場所に行くのか。よくよく考えると数年前のマカオも5月だった。日中はムシ暑かったし、夜は雨の中をタクシーを求めて彷徨い歩いたのだった。苦い思い出は忘れやすい。

調べてみると、どうも3月までが乾季ということらしい。ならば乾季のうちに行こうと思った。特典航空券だけに、土日に空いているフライトは見つけにくいが、3月最後の週末、日曜深夜に香港を出て、月曜朝に羽田に着くフライトに空席を見つけた。タダであるから妥協が肝心である。

そうこうしていると、2月末に常夏の島ハワイに出かけた。極寒の日本に帰ってくると、気温差と花粉症で弱ってしまっていた。時差ボケにもなった。その3週間後にマカオは厳しい。深夜便での帰国はさらに厳しい。タダのものをキャンセルしてもタダなので、悩んでいるうちに面倒くさくなってキャンセルしてしまった。税金相当額は戻ってくるし、ホテル代を払わなくて済む。

無料航空券で行くマカオも、普通の航空券で行くマカオも、同じ飛行機であり、同じマカオである。しかし無料航空券のマカオはあっさりとキャンセルしてしまった。判断の根源にあるものは、タダだからいいというよりも、タダだからどうでもいいという価値観である。タダより安いものはないはずであるが、タダのものには価値を見出しにくい。

結局のところ、僕の価値観はカネに縛られている。醜いオッサンである。

しんねん

写真: 美しい夜明け (イメージ)

虚礼廃止とペーパーレスな人生をつきつめたところ、昨年、僕宛に届いた年賀状は7枚だった。バーと旅館を除くと、4枚である。つまるところ人生とはギブアントテイクであり、年賀状を返信しない人生によって、僕の真の価値は税込み208円と推定された。

正直ちょっと寂しい。

今更、僕自身の真の価値を高めるのは困難である。見た目の価値を上げるべく、アナログな習慣を再開し、人生をアベノミクスしてみようと思い至った。昨年の抱負である。

気付くと2016年になっていた。時が過ぎるのは早い。そして年賀状は書いていない。

昨年、年賀状に全く思いを致さなかったかと言われれば、そうではない。郵便箱には年賀状のチラシが入っていたし、どこかのタイミングで年賀ハガキを購入し、写真を選び、住所を印刷することは可能であった筈である。しかしアナログも虚礼も世間の習慣も人生のアベノミクスもないまま一年が終わった。

根本にあるのが、何かをスタートすることの難しさである。

今に始まったわけではないが、極めて社会性のない生活をしており、いまや年賀状を出すような相手の心当たりがない。全くないわけではないが、住所を知っているというだけの理由で、急に年賀状を送りつけるのも無粋である。なにせ送付先全員、10年以上のブランクがある。知っている住所が正しいかすら定かではないし、年賀状を出すにも言い訳が必要となってしまった。これでは、年賀状というより、年賀手紙になってしまう。

それに、年賀状の作り方も分からない。猿の写真はないが、初日の出を連想させるような写真を用意することはできる。実際には日暮れかもしれないが、おめでたいような雰囲気を醸し出している。余白に「謹賀新年」と書く。それ以上、何をすればいいのか。センスのある年賀状の作り方がわからないし、宛名印刷の方法も不明である。プリンターはあるが、センスがない。

今年、1月3日の夜までに届いた年賀状は3枚。そのうち2枚はバーからである。いまや僕の真の価値は税込み52円になってしまった。

深刻なデフレ人生である。