2013/03/08 うえるかむほてるのおもいで

よく旅には出るが、テレビの旅番組はほとんど見ない。地上波で見るモノがないときに、民放BSの番組を見る程度だ。見ることは見るが、基本的に趣味が合わない事が多い。

初夏のスイスで花を見ながらトレッキングするよりは、厳冬のスイスで雪山を見ながらトレッキングしたい。パリの路地裏カフェよりは、バルセロナの路地裏バルに行きたい。ボルドーのシャトーを見るよりは、スコットランドの蒸留所が見たい。スローで持続可能な生活での食習慣よりは、スローな食習慣が持続可能な生活に興味がある。などなど。

が、たまにヒットがある。

基本的に「南仏」「港町」「コクトーの壁画」「ロハス」に弱い。それがセットで来ると、一昨日の木曜日みたいに、急に暖かくなって花粉が大量飛散を始めた日のように撃沈されてしまう。

昨年くらいにやっていたホテル紹介番組、だったと思う。ニース近くの港町にあるWelcome Hotelが舞台だった。

このホテルはニースからローカル電車で2駅ほど、ヴィルフランシュ=シュル=メールという小さな街にある。ジャン・コクトーは、以前この街に滞在しており、漁師の教会に壁画を描いた。らしい。

去年からの会社のプロジェクトが2月に終わり、2月後半以降に代休を数日取ることになった。代休3日プラス土日で5連休。見逃さない手はない。現地滞在3泊で約100時間。十分なような、短いような。夏の南仏は諸物価高騰のトップレスおねいさん付きセレブ社会だが、冬ならば料金も安くて予約も取りやすいロハス社会だ。ロハス大好き。言葉の意味を知らないけど。

行くだけアホだが、行かないのもアホだ。同じアホなら行かなきゃ損。阿波踊り哲学。

ロハスの意味を知らないし、ヴィルフランシュ=シュル=メールって覚えられないけれど、決断だけは早い。

ロハスでも太陽は輝き、空は青い。トップレスおねいさんはいないが、セレブな南仏だった。静かな入り江の海辺にレストランが並んでいる。いい街だ。素晴らしい。この街でしたいことは小さな教会を見るだけなので、基本的に海辺でブラブラしていればいい。わりと頻繁に走っている電車かバスに乗って近隣のニースやらモナコに行けば、カジノやブランドショップ、高級レストランもある。たぶんテイクアウトの中華とか、マクドナルドもあるだろう。頭痛のするような安いワインも。

ロハスなセレブは最高だ。

2013/01/06 びるばおのおもいで

1月1日はやることがないので、ビルバオに行ってきた。ビルバオにビスカヤ橋という世界遺産の橋がある。店も美術館も休みだが、橋なら動いている。

サンセバスチャンからビルバオの間にはバスク鉄道という州営鉄道が走っている。基本的に海外でバスに乗るのは嫌いなので、鉄道が走っているときは無理をしてでも鉄道に乗ることが多い (というか、バスに乗ろうという発想がない)。

今回は計画性のない旅だったが、それでも駅の場所は調べておいたし、前日にはホームページで時刻表も見た。田舎のローカル線のせいか、元日は本数が激減されている。イマイチ怪しいGoogle翻訳によると、午前中に一本、夕方に一本の列車が走るのみのようだ。まぁ発車時刻に駅に行けば何とかなるだろう。

朝、サンセバスチャンの駅に行くと、切符売り場は長蛇の列だった。なにしろ10時過ぎなのに一番電車なのだ。切符を買って電車に乗った。一昔前の東武線みたいな電車は寒々しい。布の気配のない座席に、暖房の気配のない車内。あんまり急ぐ風でもなく、山の中をトロトロと走る。

車窓に飽き、しかも冷えてコチコチになったところ、やっとビルバオに着いた。約2時間半かかった。バスなら1時間程度の筈なのに。

橋を見るだけなら十分に時間があるが、バスターミナルに行ってバスの有無を確認するような時間はない。帰りの電車の時刻も一本だけしか定かではないので、泣く泣く電車でサンセバスチャンに戻る。再び2時間半。サンセバスチャンに戻ってきたときには心も体も冷えきっていた。2013年、最初の一日である。今年は未だ364日も残っている。

2013/01/06 ふたたびさんせばすちゃんのおもいで

ついつい夏にホテルとレストランの予約をしたので、あまり計画性のないまま再びサンセバスチャンに行ってきた。年末年始、のんびりとバルを巡ろうと思っていたのだ。

サンセバスチャンに着いて街に繰り出すと、なにやら騒がしい。どうも地元でリーガエスパニョーラの試合があったらしく、異様な盛り上がりだった。昼間から町中で爆竹と花火が飛び交っている。旧市街に爆発音が響き渡り、スモークが立ちこめる。人出も多い。初日からバスク人パワーに圧倒され、早々にホテルに戻る。

二日目は三つ星レストランで平穏無事に過ごしたものの、三日目の12月31日は再び異様な盛り上がりになった。夕方から散発的に花火が上がり、またも旧市街は人であふれていた。休みのバルも多いようで、開いている店は立錐の余地もない。再びバスク人パワーに圧倒され、早々にホテルに戻る。しみじみと部屋でカップ麺の年越し蕎麦を食べた。

結局、落ち着いてバルをまわれたのは1月2日になってからだった。しかし1月3日には帰らなくてはならない。唯一の計画も危ういところだった。