2013/09/14 きゅーばのおもいで

旅行先を選ぶ基準は色々だが、結果的に酒関係に落ち着くことが多い。酒関係と言っても、スコットランドのように酒造の場合もあるし、スペインのようにバー関係の場合もある。

キューバと言えばラム。

キューバでラムと言えば、普通はハバナクラブに行く。酒としてのハバナクラブに不満はないが、事前に調べた限り、ハバナクラブは製造過程を見せてくれない。要は単なるミュージアムである。そんなのイヤだ。

だが色々と調べても、ハバナクラブ以外の蒸留所に行ったという話は聞こえてこない。そもそもハバナクラブが唯一の輸出銘柄なので、ハバナクラブ以外の銘柄を知らないせいもあるが。

ハバナに駐在員のいる旅行会社に聞いてみたところ、ハバナクラブ以外で観光客が見られるラム蒸留所は二カ所しかない。らしい。基本的に国営企業なので、非公開の蒸留所に行き着くためにはキューバ政府の許可を得なくてはならない。らしい。思い起こしてみると、かなり前に日本の洋酒メーカーの人にも同じ話を聞いた。

二カ所のうち、一つがハバナ市内にあるとのことで、そこへのガイドを依頼した。

が、旅行会社の返事は微妙に曖昧だった。
・販売がメインなので、見学できたとしても20分くらい。
・原料がないと稼働しない可能性もある。
とのこと。道理である。たぶんサントリーは口が裂けても言わないと思うが。

正式に依頼すると、旅行会社の人が蒸留所に電話で確認してくれたが、見学の確約はできないとのことである。やむを得まい。

ハバナに着いた翌朝、ガイドの兄ちゃんにピックアップしてもらい、ラム会社に行った。ラム会社のオッサン曰く、ハバナでしているのは熟成とボトリングだけとのことである。だから、ここは蒸留所ではない。

ラム会社では最初にボトリング工程を見せられた。どう考えても酒造における最後の工程である。これで終わり?

かと思いきや、その後、ドアの後ろの熟成庫に入れてくれた。しかもカメラを出しても制止されない。左のポケットに贈賄用の5ユーロ札を持ってきたのがアホみたいだった。

2013/09/11 めきしこのおもいで

むかし、ロサンゼルスでバスに乗っていたところ、ヒスパニックの運転手に「セニョールはどこの出身か?」と聞かれた。日本だよと答えると、「なんと。俺はメキシコのどこかが聞きたかったんだけどな」と言われた。その後も、焼肉屋のヒスパニック兄ちゃんに「おまえ本当に日本人か?」と聞かれるなど、徐々にメキシコは第二の故国になっていった。

そんなことを思い出しながら、ニューヨークからメキシコへと向かった。今回が初メキである。

とはいうものの、そもそも目的地としてメキシコに行くわけではない。経済制裁のせいでアメリカからキューバに直接いけないので、泣く泣くメキシコに行くわけである。ビバ・メヒコ。

朝の3時半に起き、寝ぼけた飼い主に見送られつつ (ネコは熟睡) タクシーを捕まえてJFK空港へ。そして朝一のアエロメヒコに乗った。なにはともあれ眠い。気付くとカンクンに向かって着陸態勢に入っていた。

その後、いまとなっては定かではないものの、漫然とメキシコへの入国を果たし、緩慢にキューバ航空のチェックインに並び、漠然とメキシコを出国していた。空港のバーで、なんとなく銘柄の発音がわかったテキーラを一杯、さらにメニューにある一番高いテキーラを一杯。これで漫然かつ緩慢かつ漠然としていた第二の故郷の記憶が全てなくなった。

異様に座席の間隔が狭いキューバ航空に乗ってメキシコを出た。わずか4時間半の初メキだった。

2013/09/10 にゅーよーくのおもいで

ある日、ドクターしんコロからニューヨークに引っ越すと連絡がきた。

僕が彼の債権者であるわけではなく、彼が僕の債権者であるわけでもなく、あまり知らされても大して意味がないのだが。たぶん、社会通念上、連絡してくれたのではないかと思う。

シアトルからニューヨークへのステップアップ。イチローみたいだ。きっとマンハッタンのドアマンつき高級アパートに住むんだろう。そういうアパートをアパートと思うなかれ。

ともあれ、ぼくには社会通念がない。残念ながら。

真に受けて、ぼくはニューヨークに行くことを考え始めた。寒い時期にマンホールから湯気が立つなか、コーヒー片手にロングコートを着て歩く。やはりニューヨークに行くのは晩秋がいい。

一方、夏休みの計画を考えたとき、いくならキューバだと思った。いましかない。いまでしょ。

世界情勢をひもといてみると、カリブ海は冷戦状態。ハバナに行くのは、一昔前の東ベルリンに行くようなものだ。とはいうものの、地理的な視点でみると、ニューヨークとキューバは近い。

うーむ。遠いのに近い。どちらもいましかない。どちらもいまでしょ。

そんなこんなで、とりあえず若干のニューヨーク滞在を決意した。