2011/03/29 おもいこみ

人生、予想と違う結果に驚くことは多い。結婚してみたら不幸せだったとか。

たしかに人生は結果的に予想と異なる方向に進んでしまうこともあるが、想定と本質が違っていることも多い。

世の中は結婚することは幸せであるという前提に成り立っている。しかし、それが必ずしも本質ではないことは多くの例証が物語っていることである。現状維持も地獄だが、手放すのは更に地獄という、銀座のビルのような様相を呈することも多い。

タヒチも誤った前提のもとに訪れた島だった。チケット購入から出発まで二週間。そのなかでのタヒチのイメージは「南半球にある温暖な島」ということだった。今年の冬は寒かったから、「温暖」は歓迎すべきキーワードである。この、大体において歓迎すべき雰囲気こそ、結婚の想定と本質に関する大いなる誤解に極めて近い。

タヒチ到着前、飛行機からはライトブルーの海が見えた。現実とは思えないような色の海である。まさに楽園だと思った。

しかし、飛行機が空港に到着してタラップに出ると、そこには現実があった。暖かいというよりは、むしろ熱気である。汗ばむ陽気。まさに夏である。この時期に南半球の温暖な場所に行くということは、夏の中でも特に暑い場所に行くことである。そして僕は暑いのは嫌いなのだ。理想と現実の違いを思い知らされた気がした。たぶん結婚して半月くらいすると、こういう気分になるのだろう。

幸か不幸かタヒチには厳格なドレスコードはない。空港を一歩出ると、短パン裸足のオッサンとか、薄着のおねいさんとかがウヨウヨしている。毛むくじゃらの足とか、余分な肉を露出することに抵抗のない文化らしい。僕も赤いアロハシャツと短いズボンに着替え、サンダルを履いてみた。

そうこうしていると、それなりに快適になってきた。ホテルにはエアコンもある。海に近いから風もある。翌日には暑さは気にならないほどだ。現実にあわせて生きていく術を身につけたようである。

結婚とタヒチは似ている。しかし、タヒチは本質的に善と言えるが、結婚の本質は誰にも分からない。

2011/03/29 たひち

1月に休職したとき、時間をもてあましたのでフランスとアメリカに行った話を母親の友達のオッサンにしたところ、暖かいタヒチに行けばよかったのにと言われた。タヒチは楽園だと言われたのだ。

基本的には暑いよりも寒いほうが好きだが、今年の寒さは体にこたえた。休職期間中に自宅にこもっていると引きこもりになるから、これを機会に暖かいところに行こうと思った。タヒチといえば常夏の島である。楽園である。

主治医から再度休職すべしとの診断書をもらった土曜日の夜にネットで調べていると、タヒチへはエアー・タヒチ・ヌイという航空会社が週に2便を成田から運航している。ほかにもニュージーランド航空で行く方法もあるらしいが、乗り継ぎが悪い。この時点でエアー・タヒチ・ヌイに空席が若干しかなかったので、とりあえず予約を入れた。週に2便しかないので、前後の予定を考えると、出発日と帰着日は自ずと決まる。選択肢がないと悩まなくていい。

しかし、タヒチに行くと決めたものの、タヒチがどこにあるのかも知らなかった。

基本的に、タヒチ、モルジブ、グアム、カレドニア、サイパン、フィジーは区別がつかない。たぶん全て太平洋上にあるとは思うが、もしかするとカリブ海とかインド洋にある島も含まれているかもしれない。ビザがいるのかもしれないが、その辺も不明なままである。

月曜日に例のオッサンに連絡すると、なにもすることがないのに、何故そんなに遠いところに行くのかと言われた。楽園じゃないのか?

しょうがないので、自分で調べた。

なんと日本からタヒチまでの飛行時間は11時間半程度であった。確かに遠い。日付変更線と赤道の先にある、フランスの海外県とのことである。

さらに調べてみると、中途半端に都会化されたタヒチ本島に行くよりも、なにもない離島に行くほうがいいらしい。なかでもボラボラ島はハネムーンの客が大挙して押し寄せる恐ろしい場所だということがわかった。そもそもタヒチというところはハネムーン客が行くところのようである。

そんなこんなで調べた中でも、蒸留所のある離島と、別の離島から船でいくプライベート・アイランドを見つけた。なにもすることがないなら、島でボケーっと本でも読んでいればいいのだ。

ここまで調べて予約までしたところで地震がやってきた。しかし後へは引けない。異様に高額なキャンセル料がかかるのである。前進あるのみ。

2011/01/25 あむとらっく

しんコロを訪ねてシアトルにやってきた。

そしてシアトルからサフラまでは鉄道の旅である。鉄道といっても、新幹線やらTGVのような代物ではない。アムトラックという旅客鉄道公社が、貨物鉄道会社から線路を借りて運行している。シアトルからサフラまで飛行機で2時間半かかるところが、鉄道では23時間かかる。

列車は昼ごろにシアトルを発車した。昼食を食べて、部屋でウイスキーを飲みながらボケーっとしていると、ふと眠たくなる。2時間ほどウトウトすると夕食の時間である。部屋に戻って再びボケーっとしているとベッドメイクしてくれて、あとは寝るだけである。時間はかかるが、極めて快適な旅だ。

快適な旅ではあるが、面倒くささもある。社交性を求められるのだ。

なにしろ、3人以上のグループでない限り、夕食は相席になる。バーで隣に座った人と話すのも億劫な僕が、見知らぬ他人 (飛行機嫌いのオバサン画家、カリフォルニアの米作農家親子) と食事をしなくてはならないのだ。過酷である。

僕の人生と同様に他人の人生も大して面白くないし、飛行機旅行が嫌いな理由は基本的に万人共通である。米作には興味があるものの、米作を語るだけの英語力はないし (そもそも日本語でもよく分からないのだ)、連邦政府の農業政策についての知見は皆無である (日本の農業政策すら分からない)。

これが飛行機だと、隣の席の人が物好きでない限り、他人と話す必要はない。農業に対する無知を実感させられる必要もない。飛行機の旅にも、速さ以外に利点を見出すことができた。画家のオバサンに教えてあげないと。