2011/04/09 はなぢ

ここのところ、毎日のように鼻血が出る。花粉症で鼻をこすりすぎているので、鼻の粘膜が傷ついてしまっているのだろうと思った。鼻の穴にオロナインを塗るのも手かと思ったが、ぼくの世界がオロナイン臭であふれてしまうと思い、耳鼻科に行ってきた。

病院に好き嫌いをつけるとすると、耳鼻科は嫌いな方に属する。そもそも耳鼻科の診察は原始的すぎる。そして拷問に近い。

・頭を椅子の背に固定させる。
・鼻あるいは耳の穴をこじ開ける。
・棒状のモノを穴から挿入する。
・アヤシゲな気体あるいは液体を注入する。

こういうことはジュネーブ条約で禁止されているのではないか。もっとも、今時、拷問の方が洗練されたテクニックを使っていると思う。裸で犬の真似をさせたり、便器の水を飲ませたり。

今日も耳鼻科は患者であふれていた。大体は子供である。ピーピー泣くのだ。やかましい。拷問前に意図的に恐怖心を植え付けられているようである。グアンタナモのようなことが、白昼堂々と都内で行われているのである。これが都知事選の争点にならなくて良いのか。

そして僕の番になった。椅子に座るように指示され、器具で鼻の穴をこじ開けられる。その後、鼻に棒を挿入されると、棒の中から液体のようなモノが噴出された。なされるがままである。拷問を止めるように説得しようとしたが、一瞬の隙に別の棒を挿入され、新たな液体を注入された。ぼくは抗議の意味を込め、一粒の涙を流した。

医者は花粉症で鼻の中にひどい炎症が起きているのだと言っていた。花粉症の薬と消炎剤を処方された。

こんなことになるのであれば、もっと早く耳鼻科に行くべきだった。もともと花粉症の薬は飲んでいたのだ。その薬が悪かったのか、非力だったのか、この有様である。妄想が暴走したあげく、ついにはオッサンなのに泣いてしまったではないか。

治療費を支払おうとすると、耳かきに来ていた乳児が人生の終わりのような声を上げていた。人生が始まったばかりの奴が絶望の深淵のような声を出すのである。やはり耳鼻科は嫌いだ。

2011/04/04 たひちのおもいで

土曜日にタヒチから帰ってきた。原発の影響で往復共にグアム経由 (給油とクルー交代) となり、ただでさえ遠いタヒチが更に遠かった。片道約14時間。文字通り座りっぱなしである。

とはいえ、今回の旅は、行くべくして行った旅と言っていい。
1. 地震の前日には予約と入金が終わっていた (タヒチはキャンセル料も高い)。
2. 地震の翌日に予定通り視力回復手術が受けられた (術後1週間目に検診に行かないといけないので、手術日が変わると出発できなかった)。
3. 行きの飛行機が予定日に飛んだ (3月末まで2便に1便は欠航していたから、スケジュール上で週2便でも、実質週1便だった)。

タヒチにはビーチと海があるが、それ以上のモノはない。とくに観光するような場所もないので、基本的には、朝食 >> 昼寝 >> 昼食 >> 散歩、水泳 >> 夕食 >> 睡眠という生活を送っていた。健全で理想的なバカンスと言っていい。

日本にいたとすると、昼食 >> 昼寝 >> 夕食 >> 睡眠となる。アル中養成生活と言っていいだろう。

言葉にすると随分と違うようだが、どちらも非生産的だから大差はない。

2011/03/29 おもいこみ

人生、予想と違う結果に驚くことは多い。結婚してみたら不幸せだったとか。

たしかに人生は結果的に予想と異なる方向に進んでしまうこともあるが、想定と本質が違っていることも多い。

世の中は結婚することは幸せであるという前提に成り立っている。しかし、それが必ずしも本質ではないことは多くの例証が物語っていることである。現状維持も地獄だが、手放すのは更に地獄という、銀座のビルのような様相を呈することも多い。

タヒチも誤った前提のもとに訪れた島だった。チケット購入から出発まで二週間。そのなかでのタヒチのイメージは「南半球にある温暖な島」ということだった。今年の冬は寒かったから、「温暖」は歓迎すべきキーワードである。この、大体において歓迎すべき雰囲気こそ、結婚の想定と本質に関する大いなる誤解に極めて近い。

タヒチ到着前、飛行機からはライトブルーの海が見えた。現実とは思えないような色の海である。まさに楽園だと思った。

しかし、飛行機が空港に到着してタラップに出ると、そこには現実があった。暖かいというよりは、むしろ熱気である。汗ばむ陽気。まさに夏である。この時期に南半球の温暖な場所に行くということは、夏の中でも特に暑い場所に行くことである。そして僕は暑いのは嫌いなのだ。理想と現実の違いを思い知らされた気がした。たぶん結婚して半月くらいすると、こういう気分になるのだろう。

幸か不幸かタヒチには厳格なドレスコードはない。空港を一歩出ると、短パン裸足のオッサンとか、薄着のおねいさんとかがウヨウヨしている。毛むくじゃらの足とか、余分な肉を露出することに抵抗のない文化らしい。僕も赤いアロハシャツと短いズボンに着替え、サンダルを履いてみた。

そうこうしていると、それなりに快適になってきた。ホテルにはエアコンもある。海に近いから風もある。翌日には暑さは気にならないほどだ。現実にあわせて生きていく術を身につけたようである。

結婚とタヒチは似ている。しかし、タヒチは本質的に善と言えるが、結婚の本質は誰にも分からない。