旅のしおり:熊野

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

羽田 0725 (JAL213) >> 南紀白浜 0840

白浜空港 0928 (バス) >> 熊野本宮大社前 1150
熊野本宮大社前 1200 (バス) >> 発心門王子 1215

熊野古道 6.9km

熊野本宮大社前 1505 (バス) >> 湯の峰温泉 1529

宿泊:旅館あづまや

1日目Tips
・はじめて羽田〜南紀白浜線に乗ったが、リゾート路線のようでハワイ便なみに違和感があった。
・空港から熊野本宮大社を経由して新宮まで行くバスは、途中区間を一般路線バスとしても利用可能。少ない客数でも効率的に輸送できる形態を取っているようだ。それでも路線を維持するのが大変そうな利用率である。

2日目

湯の峰温泉 0831 (バス) >> 新宮駅 0937
新宮 0942 (JR) >> 那智 0959
那智駅 1033 (バス) >> 大門坂 1044

熊野古道 2.7km

那智山 or 大門坂1342 (バス) >> 紀伊勝浦駅 1408

宿泊:熊野別邸 中の島

夕食:bodai

2日目Tips
・この日の熊野古道は比較的距離が短いので、大門坂〜熊野那智大社〜那智の滝〜大門坂と往復ベースで歩いてみた。
・紀伊勝浦は「熊野別邸 中の島」に宿泊。紀伊勝浦駅付近の観光港から船で向かう宿。ここが素晴らしかった。食事なしプランを利用したが、良さげな飲み屋さんのありそうな街なので問題なし。

3日目

紀伊勝浦 0855 (南紀4) >> 名古屋 1241-1406 (のぞみ364) >> 新横浜 1526

3日目Tips
・紀伊勝浦から特急「くろしお」に乗って、大阪まわりで帰るかとも考えたが、順当に名古屋経由で帰ることにした。途中下車して伊勢神宮に寄っても良かったかも。

くまのこどうのおもいで

6月に入ったあたりから、Go To Travelの復活とか、県民割の利用拡大の話が聞こえてきた。COVID-19の陽性件数が低い、平和な時代だったのだ。景気刺激策としては良いと思うのだが、僕にとっては今までのように自由な週末旅とはいかなくなる。最後の最後で捻じ込もうと思い、行き先を検討開始。

6月中をターゲットとしたので、梅雨が一番のネックになる。6月下旬だと沖縄は梅雨明けしてそうだが、そもそも梅雨のない北海道も良さそうである。

もう一回、礼文島に行ってみたい気もするが、昨年の滞在は完璧に近かった。それを超えるとは思えないのでパス。ちょっとラベンダーの季節には早いかもしれないが、北海道らしい景色を求めて美瑛・富良野に行ってみたい。ゲートウェイとなるのは旭川で、往復の特典無料航空券に空席もあった。

しかし北海道には蝦夷梅雨というものがあるらしい。10日前から天気予報を毎日のように見ていたが、訪問予定期間中には晴れ予報の片鱗もなかった。北海道に行って、すべて雨天というのはどうかと思う。数日前の深夜にキャンセルすることを決断。

もちろん本州以南は基本的に梅雨である。会社の休みを取っていたが、潔く出社に戻すべきではないだろうか。

そんな真面目オッサンである筈もなく、全力で雨の降らない場所を探した。さすがに直前なので沖縄は航空券が高く、行ってみたかった竹富島は宿が満室だった。沖縄以外で天気が良さそうだったのが、伊豆諸島、紀伊半島である。

伊豆諸島へは、羽田から八丈島にANAが飛んでおり、特典無料航空券の空席もあった。やや心が動きかけたが、良さそうな宿泊施設は既に満室で断念。

昨年は高野山に行ったが、それが僕唯一の和歌山県滞在である。もう少し和歌山県に関する見聞を広めても良いだろう。前から気になっていた、紀伊半島の熊野古道を訪ねることにした。行きは朝一のJALで南紀白浜空港、帰りは天気次第で予約変更が可能なJRで帰ることにした。

もっとも熊野古道が気になっていたと言っても、それは熊野地鶏がメインの焼鳥店に行くからであり、それ以上の知識はない。急遽ほぼ徹夜で熊野について調べた。

当日は早朝に羽田空港へ。北海道は悪天候のため条件付き運航とアナウンスしている。正しい選択をしたかもしれないと思いつつも、ニュースでは翌日と翌々日の旭川は晴天の予報になっている。これから北海道の天気は劇的に改善するのだろうか。選択を誤った可能性が脳裏をかすめる。

寝ぼけたまま南紀白浜空港に着くと、東京よりも雲が多い、本格的な曇天である。昨日までは晴天の予報だったのに。選択を誤ったかもしれない。「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

空港からバスで熊野本宮大社に向かった。直通バスがあるのだが、紀伊半島は思いのほか大きく、移動に時間がかかる。途中でウトウトしてしまい、目覚めると大雨だった。紀伊半島の天気は劇的に悪化しているようだ。選択を誤ったに違いない。このままでは策に溺れるというよりも、溺死に近い。

結局、熊野本宮大社に着いた頃には雨が上がっていたが、晴れたかと思うと雨が降ったりと、大気の状態は不安定である。それでも熊野古道を歩き始めた。

冷静に考えると、ここ最近では国東半島出羽・羽黒山神社を訪ねており、山深い寺社仏閣ばかりである。実際、羽黒山参道の写真も熊野古道の写真も大差はない。どちらも曇りだったし。再び「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

それでも2日間で熊野古道2か所を訪ねた。天気は曇りか小雨である。写真的にはフラットなグレーの世界ばかり。選択を誤ったかもしれない。

2日目の夕方になって、ようやく太陽が顔を出した。やや心も晴れた。

3日目は元々曇り予報だったので、早目の列車で帰ることにしていた。それでも最後の最後にチャンスがないかと思い、JR西日本サイトで予約したチケットは引き取らずにいた。

最終日の早朝、ものすごい雷鳴が轟いて目が覚めた。まったくの大雨である。そそくさと熊野を後にする事にした。

帰りは名古屋まで特急「南紀」で約4時間、そこから新幹線に乗り換え。名古屋での乗り継ぎ待ち時間に味噌カツでも食べようと思ったが、日曜日13時の名古屋駅は異様に混雑しており挫折。普段なら東海道新幹線はネット予約なので直前でも変更可能なのだが、今回は新幹線乗継割引を利用したので紙の切符である。指定券変更の為に窓口に並ぶのも面倒で、駅構内で無為に時間を潰した。

ふてくされて自宅に戻って旭川の天気を調べると、初日が大雨だったほかは、2日目と3日目は晴れていたようである。完全に選択を誤った。

やっぱり策士は策に溺れた。

COVID-19

いままでの人生を振り返ってみると、大病はしていないが、それなりに病気にはなっている。風邪やインフルエンザ、はたまた急性腸炎などが多い。ほとんど手洗いをしないとか、夏季にコップを洗わないで水を飲み続けたとか、衛生面に関心が低いのが原因ではないかと思っている。汚ッサンである。

2014年11月上旬には台湾から帰国直後にインフルエンザを発症したが、日本の流行時期を考えると極めて初期であり、このシーズンの菌を国内に持ち込んだタイプだろう。その後、2019年1月のシンガポールでインフルエンザを発症したようだが、この時は予防接種をしていた為に自覚症状がなかった。過労による腰痛だと思っていたのだが、帰国後にシンガポールでのインフルエンザ患者の発生を知らされ、気付いた次第である。

予防接種の有無に関わらずインフルエンザには数年おきに罹患しており、インフルエンザ検査で陰性だった風邪、不注意による急性腸炎も含めると、年に1回くらいは寝込むような病気をしている。

こんな具合なので、COVID-19が流行りだした時から、そのうち感染するとは思っていた。パルスオキシメーターは購入しておいたし、海外の医療用抗原検査キットをおみやげで貰ったりして備蓄しておいた。

汚ッサンは自分の病気を自慢するものと相場が決まっているので、備忘がてら、僕のCOVID-19体験を振り返ってみようと思う。

発症日 -3日

会社へ行き、夜は外食などせずに帰宅。接触者に感染者は無し。

発症日 -2日

夕方まで在宅勤務、その後、飲みに出かける。2軒いったうち、1軒は感染者なし、もう1軒は僕と同時期に感染者が出た。

発症日 -1日

日中は鍼灸院、夕方から飲みに出かける。接触者に感染者は無し。

発症日

前週に海外へ行き、帰国後すぐに国内出張。ちょっと疲れたせいか、一日中寝ていた。クーラーがつけっぱなしだったせいか、少し喉が痛い。ちょっと気になったので抗原検査すると、うっすらと線が出ている。うーむ。違うメーカーのキットを使うと無反応。とりあえず様子を見ることにした。

その後、気付くと発熱している。38度。もう深夜だったので、なにをしてもしょうがない。きっと感染しているだろう。暗い気持ちで部屋に籠もり、かかったときの対応をネットで調べ始める。

発症日 +1日

朝まで寝付けないまま、それでも諦めだけはついた。早朝に改めて抗原検査。もちろんキット2種類とも陽性。

過去数日で滞在歴のある飲食店3軒、そこで会った常連客、それと勤務先に連絡。

この時点で喉は少し痛み、体温38.5度。これなら抗原検査キットの精度問題とかは考慮しなくていいだろう。間違いなく感染していると判断できる。

混んでいるらしい発熱外来に電話をかけまくってアポを取ったところで、PCRを受けて診断確定し、あとは自宅で隔離ということになる筈だ。わざわざ菌をふりまきながら外出する意味はないと思われた。炎天下、歩いて病院まで行く体力はなかったし。

大事に取っておいた厚労省承認のあるキットで再度検査し、それをもって神奈川県の自主療養制度に登録した。

午前中は勤務先とのやり取り、うつした可能性のある人々への確認で終わり。それから解熱剤と喉薬を飲んで寝る。食欲がない。

発症日 +2日

解熱剤が切れると体温は38度を超える。かなり無気力。咳がひどくなり始める。

発症日 +3日

あいかわらず解熱剤が切れると体温は38度を超える。咳がひどい。咳止めを買ってきてもらい、服薬後しばらくしたら楽になった。

発症日 +4日

体温は37度くらい。多少なりとも仕事をする気になり、この日から在宅勤務を開始。咳止めが切れると咳がひどい。

発症日 +5日

ようやく咳が概ね収まった。諸々の症状は一気に消えた感じ。

その後、自主療養期間の最終日に抗原検査をやって陰性。もっとも会社は2週間の出勤停止になったので、特に外出する予定もなかった。

感染直前あまり出歩かなかったのと、知っている飲食店しか行っていなかったので、なんとなく感染経路は判明したつもり。それが事実だと、パテーションがあったり、席が離れている程度では感染予防にはならない。注意すべきはエアゾール、そして感染力が強い。換気が重要だと思った。

過酷かつ無意味そうだったので病院には行かず、神奈川県の自主療養制度に登録した。「配食サービスを申し込むことで、感染症法に基づく発生届が提出され、感染症法上の陽性者となり、自主療養者ではなくなります」という注記があったので、自主療養の届出だけでは発生患者のカウントには入っていない模様。

それでも病状確認の自動音声電話はかかってくるし、機能するか否かは不明ながらも緊急時の電話番号も案内される。重症化リスクが低い軽症者には特に治療がないという話からすると、実質的には自主療養でも大差ないのではないかと思った。

結果的には重症化も後遺症もなく、予防接種やタミフルのないインフルエンザと同程度ではないかと思う。

これであれば正規の診察を受ける必要はなかっただろう。誰もが同条件とは思わないが、僕と同程度の患者層が相当数いるなら、この程度の手続きで済ませ、限りあるリソースを真に必要なニーズに振り分けてもいいのではないか。

いまや理想は手が届かないほど遠くにあるのに、理想が前提の制度に固執するだけリソースの無駄である。ストーリーのない理想はゴミと大差ないが、ストーリーでしかない理想もゴミみたいなものだ。