2010/07/19 どばいのおもいで

イスタンブールまでエミレーツ航空で行ったので、ついでにドバイの砂漠でラクダに乗ってきた。イラク上空も飛んでみた。中東デビューである。

ドバイってのは、暑いし、湿度も高いし、人間の住むところじゃない。もわーっとあつい。東京なんてカワイイもんである。暑がりのくせに、暑いのに更に暑いところに行くとは。なんてこったい。

車でちょっと走ると砂漠である。美しいけど、砂は多いし、日陰もない。ネバダじゃないからカジノもないし、アリゾナじゃないからサボテンもない。なんてこったい。

砂漠の余興はラクダとベリーダンスである。ラクダはドッグランみたいなところで乗るだけだ。もっとも砂漠をラクダで旅しろと言われても困るが。なぜ砂漠でベリーダンスなのかよく分からないが、それでも夕食にはベリーダンスがついてきた。冷静に見ていると、腹筋がクネクネ動いて、演芸の太鼓腹を見ているようである。なんてこったい。

それでも運河で渡し船に乗れば風は心地いいし (程度問題だけど)、モールで買い物をしていれば熱中症にはならないし (金は使ってしまうかもしれない)、市場では金も買える (たぶん、ぼられる)。

エミレーツ航空に乗らなければドバイを経験することもなかった。人生は経験と言うが、次回はエールフランスに乗ろうと思う。人生はパリ経由だ。

2010/01/31 にんげん

ヒトには限界というモノがある。

昼にラーメンと餃子とチャーハンを食べると、どんなに旨い店に行っても夜は大して食べられない。

夜、食事の時にワインを1本くらい飲むと、バーに行ってもウイスキーは少ししか飲めない。

意図的にチャレンジしているわけではないが、週の間に積もったモノを、週末の飲食で解決しようとすると、すぐ限界に達してしまう。

寂しい。虚しい。やり遂げられなかった感がある。自由な筈の週末さえも、思い通りにはならない。

人間、そんなモンなのか。つねに、なにかしら、限界のなかで生きて行かなくてはならない。

なぜ神は暴飲暴食の限界を作ったのか。それはデブにならせないためである。食糧問題解決のためでもある。要は種の保存である。食いたいだけ食わせていたら、土地は枯れ、食料は枯渇し、デブが横行し、人類は滅びる。

なぜ神は「週末を除く」という特例をつくらないのか。それは特例を認めると、特例だらけになるからである。要は規則に則った社会をつくるためであり、究極的には種の保存である。規則を無視すると、争いが始まり、社会は荒廃し、人類は滅びる。

故に、人間は本質的に自由ではない。週末だけの暴飲暴食もできないくらい自由ではない。限界のなかで生きていかなければならないのだ。

胃もたれで起きた朝は、とりあえず胃薬を飲む。胃薬を飲むか飲まないか程度の自由は、僕にもある。いまのところ。

2010/01/06 たびにでた

三年くらい、オッサン二人でキューバに行こうと思っていたのだ。

くばーな。

古い建物と、昔のアメ車。すべてはフェデル・カストロと経済制裁のおかげである。

帽子をかぶり、葉巻を片手に、ちょっとハードボイルドっぽく街を歩く。夕暮れのハバナの街を歩き、バーでモヒートを一杯。
カストロが死んだら、アメリカ本土の経済力が入ってくる。混乱、乱開発。

だからカストロが死ぬ前にキューバに行かなくてはならない。そう思って3年たった。

キューバは遠い。アエロメヒコで太平洋を渡る気はないし、アメリカ経由で3回も乗り継いだ最後にエア・クバナに乗る気もない。エア・カナダのトロント経由のみである。それだけでトロント二泊。

まぁ、しかし、今年こそは行こうと思った。去年か。

まぁ、しかし、去年は最悪であった。人生に疲れていた。10月末が最悪のピークだった。キューバの日程を決める直前。

カリブは無理だと思った。きっとモノゴトがうまくいかないに決まっている。タクシーにボラれ、スリを警戒し、道に迷い、へんなオッサンに声をかけられる。休みに、そんな気力はない。

すでに会社の休みは取っていたので、どっかに行こうと思った。モノゴトがうまくいき、タクシーにもボラれず、スリも少なくて、道に迷うこともなく、個人主義で放っておいてくれるところ。

というわけで、スイスに行った。そして、カストロ、死ぬな。