2010/08/08 としでんせつ

うまれてはじめて屋形船に乗った。その昔は蔵前の旦那衆が大川縁の料亭から吉原に乗りつけていたらしいが、現代ではフツーの会社員が浅草橋あたりの神田川から台場沖まで往復するだけである。

過去、隅田川の屋形船に関しては恐ろしい話をいろいろ聞いてきた。いわく、天麩羅の油が古くて箸もつけられない。いわく、トイレが汚すぎて川に直接する方がマシだ。等々。

現代の東京地獄を期待していったものの、そこまでヒドくはない。

エコノミークラスの機内食の天丼みたいに胃もたれはしないし、着陸前の長距離路線のエコノミークラスのトイレのよりはキレイだった。

むしろ東京の夕景は思いのほか美しかったし、川の風は涼しいし、揺られながら飲むビールもうまいもんだ。

飛行機体験は美化されすぎているが、たぶん屋形船のヒドさは誇張されすぎである。イマイチ高めな料金設定のせいだろうか。カワイソウなもんである。

やかたぶね  ああやかたぶね  やかたぶね

2010/08/06 あゆみがのろい

写真を整理していたら、昔、ロサン (そのころ流通させようとしたロサンゼルスの短縮形。ロサンゼルス住民はロサン人。まちがっても魯山人ではない) の日本語新聞に書いた原稿のスキャンコピーがでてきた。

若い。若さを消す無駄な努力というか。なんというか。

友人に指摘されるまでもなく、強引な屁理屈といい、更に強引なオチの付け方といい、同一人物である。

・・・というか、進歩がない。

昔のものは恥ずかしい。

羞恥心を持つ自分自身。思えば大人になったものだ。

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ダンディズム—ある美学

羅府新報に短文を書いてみないかと問われたとき、何も考えずに了承してしまった。

数日後、僕は後悔を始めた。なにも、自分の偏屈ぶりを世に知らしめるのが怖くなったわけではない。編集の人から、若者の考えや目標などについて書いて欲しいと連絡があったのだ。これは無理だと思った。

僕を見た人は、しばしば十年分くらい勘違いするが、僕は間違いなく若者である。しかし、僕がもっと若く、選挙権すらなかった頃から、僕は若者らしくなかった。見たくれだけでなく、モノゴトの考え方も、そして行動も、若者らしくなかった。

むしろ、世間で言うところの「若者らしさ」から、意図的に距離を置いていた感がある。

理由を問われれば、僕にとって、全ては「ダンディズム」に集約される。ダンディとは、一般的に信じられているような、スーツを着こなす技術でも、女性に気の利いたセリフを投げられる才能でもない。

ダンディズムとは、江戸言葉で言う、「洒落」のことだ。「粋」と言い換えても良いかもしれない。「キザ」、「偏屈」、「見栄っ張り」と言った言葉と、本質的には異なるが、イメージ的には近い。ロジェ・ケンプの言葉(ロジェ・ケンプ著「ダンディ」講談社現代新書)を借りてしまえば、ダンディズムとは、画一と平均に反抗し、ものに動ぜず、品位を重んじ、何よりも単純さと無意味さを好むことである。つまり、生き方の哲学であり、美学と言っていい。

僕にとって、ダンディズムは、思考だけでなく、日常の些細な行動の規範となる。

例えば、僕は他の若者達のようにビールをカブ飲みすることもないし、集団でカラオケへも行かない。こうした行動の元になっている価値判断には、ダンディズムが大きな影響を与えている。ビールを飲む選択肢もあり、カラオケに行く選択肢もあるのだが、しかし、僕は他人とは違う酒を飲みたいし、安易な方法で時間を潰したくないのだ。

実際には、ビールを飲まずにスコッチを飲んでいるので、酒を飲んでいることには変わりないし、カラオケに行かなくても、酒場で無駄話をして、時間を浪費している。つまり、行動の本質としては大した違いはないのだが、それでも、これとてダンディな行為なのである。些細なことも、無意味なことも、裏打ちされた美学があれば、全てダンディである。ダンディとは、技術や能力の発露ではなく、個人の根幹にある美学の発露なのだから。

達観したわけではないし、酸いも甘いも知らないままだが、ダンディズムという美学に基づいた僕の思考や行動は、結果として、世間並みの若者らしくない。個人的には貫禄というか、確立された自分のスタイルがあるのだと思いたいが、世間的にはオッサン臭いだけだろう。

突き詰めて考えると、若者らしさ云々というよりも、同世代とは別の事をしようとしているだけなのだ。そうだとすると、若いうちはオッサン臭くてモテず、年をとったら年齢相応の貫禄も何もなく、つまりは一生モテずに終わることになる。
人間、変な美学などは持たない方が良いかも知れない。

2010/07/19 とるこのおもいで

今年の夏はイスタンブールに行った。こういう時代だからこそ、イスラム世界をのぞきに行こうと思ったのだ。

朝焼けと夕焼けは町を紅く染め、モスクには様式美があり、時を刻むがごとくエーザンが詠まれる。

しかし後悔した。

人生、いろいろ苦手なものがあるが、トルコには苦手なものが揃っている。トルコがEUに加盟すべきか否かは議論の余地があるが、ここがヨーロッパだとすると、ヨーロッパで苦手に思ったことのオンパレードである。

1. 夏、暑いのは嫌いだ >> トルコ、ギリシャ。
2. 客引きがうっとうしいのは嫌いだ >> トルコ、ギリシャ。
3. タクシーでぼられるのが当たり前なのは嫌いだ >> トルコ、ポルトガル。
4. 鉄道よりバスが発達しているところは嫌いだ >> トルコ、ポルトガル。

ギリシャとポルトガルには二度と行くまいと思っているが、トルコも「二度と行くまい」リストに加わってしまった。

目的を持って旅行先を決めるのはやめようと思った。