ぼすにあ・へるつぇごびなのおもいで

クロアチアに到着した直後、ドブロブニク旧市街の城壁でゲリラ豪雨に遭遇し、同日午後の数時間だけで2回も入場料を払った。しかし初日の悲劇は合計11,000円を超える入場料だけではなかった。

ピークの8月を外したものの、ドブロブニクは混雑しており、レストランの予約が取りにくかった。週末の夜は予約が困難だったので、平日だった到着当日にミシュラン掲載の高級レストランを予約していた。今回の旅行で最もオシャレかつ高価なレストランで優雅に食事を楽しんでいると、WhatsAppに連絡が入った。

土壇場で他の客のキャンセルが発生したため、翌日のボスニア・ヘルツェゴヴィナへの日帰りツアー催行を取り止めるとのことである。それも既に21時過ぎの話だった。

前回の訪問時、ドブロブニクから日帰りツアーで訪れたボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスクが印象的だったので、新たに入手した広角レンズを持って再訪するのを楽しみにしていたのだ。行きたかったモスクは2か所あり、1か所は有名観光地であるモスタルなので一般バスでも行ける可能性があるが、もう1か所は想像もつかない場所にあった。

そもそも城壁の入場料を2回も払った時点で暗い気持ちになっていたが、この話を聞いて更に暗い気持ちになった。こういう時に限ってテスティングメニューとワインのペアリングをオーダーしており、食事自体が慌ただしい。食事中に色々と説明されるが、気もそぞろである。食事をしながら一般バスを探してみたが、どうにも見付からない。ここまで来てボスニア・ヘルツェゴヴィナ訪問を諦めるのも忍びない。クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境は目の前にあるのだ。

最後の最後にダメ元でツアーを探したところ、21時半でも翌日の予約を入れられるサイトが見付かった。半信半疑で予約を完了させたところ、すぐにWhatsAppで連絡が来た。なんと強制キャンセルされたのと同じツアー会社である。なんなんだ。

こちらのツアーは、キャンセルになったツアーと内容は大して変わらないが、メジュゴリエというキリスト教の巡礼地の代わりに、滝を見に行くらしい。行程的にモスタルの滞在時間が短くなるようだが、やむを得ないだろう。

ツアーは早朝6時半に集合だった。どうやら観光客には滝の方が巡礼地より人気があるらしく、こちらのバスは満席に近い。クロアチアを出国して、最初はクラヴィカ滝に行った。あまり期待していなかったのだが、なかなか壮観である。昨日から引き続いて天気が悪いが、これがプラスに作用したのか、遊泳者はいないのは幸いだった。遊泳区域を区切るためにブイが設置されており、写真に写りこんでしまうが、これはAdobe LightroomのAIに消してもらえばいいだろう。

1時間ほど滝で費やして、ポチテリという村へ向かった。ここのモスクが素晴らしく、再訪したかったのだ。

前日のキャンセル騒動も含めてイマイチなツアー会社で、わずか20分の滞在にも関わらず、ちょうど昼の礼拝時間直前に着いてしまったらしい。モスクを見学する際は礼拝者と同じ視線で見たいので、可能であればカーペットに座って礼拝堂内を眺めるようにしている。早々にモスクに着いて撮影を終えて座っていたら、イマームが礼拝を始めてしまった。別に出ていくように促されるでもなく、隅の方にしばらく座らせてもらっていた。胡座で座っていた老人が僕をニコニコ見ていたり、子供が歩き回っていたりと、なかなか緩いというか、世俗的で面白い。

そして最後がモスタルである。こういうツアーにありがちだが、半強制的にレストランへ連れて行かれた。あまり期待していなかったのだが、地元の伝統的な料理を頼んだところ、トマトのリゾットのようで美味しかった。一緒に頼んだ牛肉スープも黄金色で美味しい。昨夜のオシャレなレストランからすると10分の1くらいの値段だが、気分が良いせいもあるのか、こちらの方が倍くらい美味しい。

早々に食事を済ませ、この街の古いモスクへ行った。前回も礼拝堂内で座っていたのだが、たまたま居合わせたイマームに言葉をかけられた思い出がある。たしかに観光客が大声で話している中で、黙って座っている非イスラム教徒は気になったのかもしれない。

ちょうど今回は驟雨のタイミングにあたり、この国の観光名所の一つにも関わらず、まったく無人だった。撮影時間も含めて30分ほど、静かに見学することができた。しかもモスクに付随している尖塔である、ミナレットにも追加料金で登ることができた。ここまで見せてくれるモスクも珍しいのではないだろうか。

前夜にツアーのキャンセルを聞いたときは極めて沈んだ気持ちになった。結果的にはリカバーでき、短時間ながらもボスニア・ヘルツェゴヴィナ訪問を楽しむことができた。

何事も諦めないことが肝心である。普段、そんな結論には達しないが、僕は少なくとも旅行中だけは前向きになれるようである。