こるどばのおもいで

人生、後悔の方が多い。

昔から社交性は少なく、とりたてて何もしてこなかった結果、まったく社交性はなくなってしまった。高校を出た頃には痩せすぎだったのに、欲望のままに飲み食いを重ねた結果、いまやデブオッサンである。

いまさら後悔しても遅い。過ぎ去った日々は取り戻せないのだ。

「何もしない」「欲望のまま」というのは、つまり計画性の欠如である。人生における計画性のなさこそ、後悔の根源である。

そんな非計画的な人生での更なる後悔を避けるべく、旅行は計画的に行っている。冬休みの旅行に行く頃から夏休みの旅行予定を考えはじめ、ゴールデンウィークの旅行が終わった頃には冬休みの旅行予定を考えはじめている。

夏休みの旅行でアンダルシアに行くと決めた時、ネットで旅行ガイドを見た。計画性の根源はリサーチである。

アンダルシアで有名なイスラム建築はグラナダのアルハンブラ宮殿だが、僕にはコルドバのメスキータの方が興味深い。イスラム教のモスクがレコンキスタの後も取り壊されず、キリスト教の聖堂に転用されているのだ。

僕がイスラム建築を見る時には、スルタンの宮廷文化よりも、モスクの宗教文化の方に興味がある。イスタンブールに行った時も、トプカプ宮殿よりもブルーモスクに興味があった。

コルドバでメスキータを見よう。

僕は強引な日程で旅に出るが、旅行先での予定には余裕を持たせ、移動が少なくなるように計画している。体力的にも荷物的にも滞在型の方が楽だし、路地裏とか市場の探検にも時間が欲しい。今回の旅では、ジブラルタル海峡のフェリーを諦めたりと計画を重ね、コルドバに2泊する時間を捻出した。これだけあれば後悔なくメスキータを見られるだろう。更に調べたところ、メスキータには夜間ツアーもあるみたいだ。昼に1回、夜に1回。じっくりメスキータを楽しむのだ。

たしかにメスキータは素晴らしかった。モスクの雄大な礼拝の間が残されており、そこにキリスト教会の聖堂の要素が加えられている。ちぐはぐな様で、それでいて融合感がある。夕方に行ったところ、聖堂内にさしこむ夕陽が美しい。

コルドバではメスキータ近くの旧市街に泊まった。昼過ぎにホテルに着き、メスキータを見た後で街を歩いたが、どうにも観光地すぎて生活感がない。グラナダでは住宅地に泊まって市場や地元のバルに行っていたが、コルドバ旧市街では良さげなバルは見つけられなかった。もう一つの楽しみである市場訪問も、コルドバは新市街に小規模な市場があるだけのようだった。僕にとってのスペインらしい楽しみとしては満足感が低い。

日数の限られた旅行期間である。コルドバで2泊するために、ジブラルタル海峡フェリーを諦めたのだった。コルドバは1泊で通り過ぎれば良かったのではないか。後悔が頭をもたげる。

これ以上の後悔を避けるため、さっさとコルドバから出て、どこか別の街へ行った方がいいのではないか。宿泊を1泊で切り上げる時のホテルのペナルティーはいくらだろうか。

そんなことを考えながら、夜のメスキータのツアーに行った。

これが素晴らしかった。メスキータを舞台にした、音と光による壮大な歴史と宗教のショーである。良く出来ているといえばそれまでだが、感動すら覚えた。夕方に見たメスキータが全く違って見える。

コルドバ滞在を切り上げるのは止め、翌朝、再びメスキータに行った。説明を思い出しながら聖堂内を再び歩いた。昨夜の感動がよみがえる。余韻のせいか、はたまた聖堂内に差し込む光の加減が違うせいか、昨日の夕方とも雰囲気が異なる。結果的に3回もメスキータに行ったが、どれも素晴らしい。

その日の午後はコルドバの街を歩いた。新市街の市場は予想通りガッカリだったが、繁華街の高級そうな紳士衣料店でセールをやっていたり、旧市街で革細工の壁掛けを見つけて衝動買いをしたり、意外とショッピングが楽しい。旧市街の奥には渋いワインバルもあった。早まってコルドバを1泊で切り上げなくてよかった。

僕の人生は後悔で成り立っているが、旅行だけは後悔が少ない。運に左右される要素もあるが、基本的には計画のおかげである。欲望に惑わされて思いつきで計画を変えるより、計画通りに進んだ方が結果的にプラスだ。

もっと計画的な人生を過ごしていれば後悔も減ると思われるが、既に厄年のオッサンになってしまった。デブで尿酸値も血糖値も高い。そういえば貯金もない。

計画性のなさゆえに後悔しているが、人生を旅行に見立てれば、うまく計画性を発揮できるかもしれない。人生の旅行ガイドがあればいいのだが、検索してもネットで見つけられない。