かーるつぁいす

人間の性格とカメラのレンズは明るい方がいいが、人間の器とデジカメのセンサーは大きい方がいい。いまさら明るい性格と大きな器は難しいので、ここ数年はカメラの性能で勝負することにしている。

カメラと僕の関わりは長くて深い。高校時代には親をダマして中古のPentax 6×7を入手していたのだ。センサーと同じく、フィルムも大きいほうがいい。17歳で既に自分の器の大きさには見切りをつけていたのだ。進む道さえ正しければ、いまごろ偉人になっていたと思う。

昨年、いわゆるフルサイズの一眼デジカメを購入した。小型なミラーレスなのに、センサーのサイズが約2.4cm x 約3.6cmある。それまで使っていた一眼デジカメに比べると約2.3倍の大きさのセンサーである。ある一面で小さいことは素晴らしく、別の一面では大きいことは素晴らしい。両立していれば最高である (少なくとも論理的には)。

買った当初はキットで付いてきた標準ズームレンズを使っていた。撮った画像はAdobeのLightroomというソフトで現像しているのだけど、しかし、イマイチ解像感がない。センサーの性能にレンズが負けているのではないか。そう思ってカタログに眼を通すと、標準のズームレンズにも、カールツァイス・ブランドの高級バージョンがあった。明るい性格と大きな器を諦めた以上、人生はデジカメの性能で勝負すべきである。

気付くと、そのカールツァイスを買っていた。インターネットとクレジットカードの魔力である。高級レンズさえ使えば、かなり満足のいくレベルに達する。そう思った。

その後、ふとしたきっかけでDxOという現像ソフトを試してみた。Lightroomと比べると、段違いの現像能力である。Lightroomではツブれていたディテールが、DxOだと表現できている。ということは、キットのズームレンズがダメだったのではなくて、現像するソフトウェアがダメだったようである。こうなるとカールツァイスは性能的にも使用頻度的にも宝の持ち腐れ状態である。器の小ささをレンズで誤魔化そうとしたものの、実質的には意味がなかった。付け焼き刃は剥げやすい、ということであるが、高級レンズの満足感は何だったのだろうか。それこそが僕自身の器の小ささではないか。

しばらく考えたのち、高級レンズは下取りに出すことにした。

カメラに限らず、モノさえ手に入れれば何となく満足できるものである。これこそネットショッピングとクレジットカードの裏に潜む、金の魔力である。しかし人間の器の大きさは金の力では誤魔化しようがない。過酷な現実を高い授業料で学んだ。