ぶるがりあのおもいで

昨年ついに結婚した。結婚した事を他人に公表する意味が分からず、非常識ではないかと言われつつも、必要最小限の範囲での業務連絡くらいに留めておいた。勤務先は必要最小限の連絡先に入っており、文字通り業務連絡した結果、休暇を貰えることになった。

大手をふって長期の休みが取れる機会である。中南米からアフリカまでが視野に入る。

まずはキューバが頭をよぎるが、いつの間にかアメリカがキューバをテロ国家に指定しており、2021年以降にキューバ入国歴があると、アメリカにビザなし渡航できなくなってしまう。僕の第二の故郷であるメキシコカナダへの乗り継ぎも含め、後々の旅行において面倒な事になるのは明らかであり、キューバ訪問は却下することにした。

以前に数日だけモロッコに滞在した事があり、それをもってアフリカ渡航歴があると自称しているのだが、本格的なアフリカにも行ってみたい。何をもって本格的なのか定かではないが、たぶん野生動物がいる原野は必見だろう。しかしアフリカと言えども、気軽にライオンや象が見られるわけでは無いらしい。現実的には、アフリカ往復に要する日数の他に、現地での長距離移動も含め、ある程度の滞在日数が必要となる。しかも現地滞在が長ければ長い程、野生動物との遭遇率が上がるので好ましい。筈である。

大手をふって長期休暇と言ったものの、現実的には2回の週末を含めて9日程度にまとめる必要があり、本格的なアフリカは日程的に厳しい。非常識と言われても、それに徹しきれない小心者である。結局、今回の旅行では地中海を越えないことにして、地理的にアフリカよりも手前にある南ヨーロッパへ行く事にした。

ところで結婚の儀式を他人に公表する意味も分からず、非常識ではないかと言われつつも、結婚式は行わなかった。浮世の儀式はともかくとして、いわゆる無宗教ではあるが、人間を超越した存在にも業務連絡を行った方が良いのではないだろうか。せっかく南欧へ行くので、数年前に訪れたブルガリアのリラ修道院を訪ね、2泊3日じっくり業務連絡する事にした。

世界遺産のリラ修道院には一般人も泊まれるのだが、修道院はホテルではないので、前回同様に予約が難しい。20日おきくらいにブルガリア語のメールを送り続けるが、しばらく経っても返事がこない。そろそろ電話してみようかと思い始めた頃、いきなり英語で返事が来た。この日のメール担当修道士を逃してはならないと思い、不調で寝込んでいたのから飛び起き、なんとか予約が完結した。

残る問題はブルガリア国内移動である。修道院は修行の場であり、交通不便な山奥にある。首都ソフィアから路線バスがあるのだが、スケジュール的に日程のロスが出るし、大きな荷物を抱えた旅になりそうだ。

今回も修道院往復にはチャーター車両を利用することにした。前回はソフィアで宿泊したホテルに手配を頼んだのだが、方針が変わったのか、今回は拒否されてしまった。やむを得ず、そのホテルをキャンセル。国内移動手配をヘルプしてくれる評判の良い中級ホテルを探して、ホテル予約サイトを彷徨った。

旅のルートとしては、ギリシャのサントリーニ島から国内線でアテネに向かい、アテネからはブルガリア航空で首都ソフィアまで直行便である。買い物がてらソフィアで一泊して、リラ修道院に向かった。ギリシャは10月でも暑かったが、ブルガリア山中の修道院には既に初冬の気配が漂っていた。最低気温は3度、最高気温ですら7度しかない。

修道院で割り当てられた居室には、昔ながらのパイプ式セントラルヒーティングが設置されていた。しかし冬のような気温にも関わらず、ヒーターは稼働していない。それが修道士の質素な暮らしの一端なのだろう。

僕は修道士ではなく、むしろ快適な生活を追い求めたい、軟弱オッサンである。寒い部屋で寛ぐ余裕などなく、恨めしげにヒーターのパイプを眺め、煎餅か絨毯のように硬い布団をかぶって暖を取っていた。新婚旅行には多少の派手さがあって然るべきなのだろうが、この部屋には微塵も感じられない。ここまで質素な新婚旅行は非常識ではないかと思ったが、そもそも新婚旅行でブルガリアの修道院に行くこと自体が非常識らしい。

リラ修道院では、毎日、早朝と夕方に礼拝が行われる。宿泊者だからと言って礼拝に出る必要はなく、実際、修道院を安宿代わりに使っている旅行者も多いようだ。しかし今回の訪問目的は超越した存在への業務連絡である。宿泊している部屋が質素すぎるとか、居室のヒーターが稼働していなくて寒いとか、聖堂は部屋より更に寒いとか、礼拝が早朝すぎて眠いとか、俗な泣き言を言っている場合ではない。しっかり2泊で4回の礼拝に参列しよう。

今回で2回目のリラ修道院訪問ではあるが、未だに正教会の礼拝システムが分かっていない。前回は夏の訪問だったせいか参列者が多かったが、今回はオフシーズンの平日である。参考にすべき立ち振る舞いを見せてくれる信徒がいなかった回すらあり、かなり緊張した。見知らぬ飲食店で店員さんの方が多いと何となく落ち着かないが、その宗教施設バージョンである。極めて落ち着かない。こうなると形式を取り繕うだけで終わってしまい、真摯な業務連絡どころではない。非常識なオッサンだと言われ続けているが、こればかりは常識の範囲外である。

それでも修道院は凛と美しく、特に夕礼拝の後は感動的である。礼拝が終わり、信徒や観光客の騒めきが消えた頃、廊下にライトが点灯し、夕闇に建物が浮かび上がる。そして清閑な時が流れる。ブルガリアの森で沈黙の時を過ごし、早朝の暗い中を再び聖堂へ。静寂の中で朝の礼拝を迎える。

日本からの移動だけでなく、リラ修道院は色々な意味でハードルの高い訪問先だ。それでも人生の業務連絡が必要な折には訪問し、静けさの中で自分自身と向き合いたい場所である。