COVID-19

いままでの人生を振り返ってみると、大病はしていないが、それなりに病気にはなっている。風邪やインフルエンザ、はたまた急性腸炎などが多い。ほとんど手洗いをしないとか、夏季にコップを洗わないで水を飲み続けたとか、衛生面に関心が低いのが原因ではないかと思っている。汚ッサンである。

2014年11月上旬には台湾から帰国直後にインフルエンザを発症したが、日本の流行時期を考えると極めて初期であり、このシーズンの菌を国内に持ち込んだタイプだろう。その後、2019年1月のシンガポールでインフルエンザを発症したようだが、この時は予防接種をしていた為に自覚症状がなかった。過労による腰痛だと思っていたのだが、帰国後にシンガポールでのインフルエンザ患者の発生を知らされ、気付いた次第である。

予防接種の有無に関わらずインフルエンザには数年おきに罹患しており、インフルエンザ検査で陰性だった風邪、不注意による急性腸炎も含めると、年に1回くらいは寝込むような病気をしている。

こんな具合なので、COVID-19が流行りだした時から、そのうち感染するとは思っていた。パルスオキシメーターは購入しておいたし、海外の医療用抗原検査キットをおみやげで貰ったりして備蓄しておいた。

汚ッサンは自分の病気を自慢するものと相場が決まっているので、備忘がてら、僕のCOVID-19体験を振り返ってみようと思う。

発症日 -3日

会社へ行き、夜は外食などせずに帰宅。接触者に感染者は無し。

発症日 -2日

夕方まで在宅勤務、その後、飲みに出かける。2軒いったうち、1軒は感染者なし、もう1軒は僕と同時期に感染者が出た。

発症日 -1日

日中は鍼灸院、夕方から飲みに出かける。接触者に感染者は無し。

発症日

前週に海外へ行き、帰国後すぐに国内出張。ちょっと疲れたせいか、一日中寝ていた。クーラーがつけっぱなしだったせいか、少し喉が痛い。ちょっと気になったので抗原検査すると、うっすらと線が出ている。うーむ。違うメーカーのキットを使うと無反応。とりあえず様子を見ることにした。

その後、気付くと発熱している。38度。もう深夜だったので、なにをしてもしょうがない。きっと感染しているだろう。暗い気持ちで部屋に籠もり、かかったときの対応をネットで調べ始める。

発症日 +1日

朝まで寝付けないまま、それでも諦めだけはついた。早朝に改めて抗原検査。もちろんキット2種類とも陽性。

過去数日で滞在歴のある飲食店3軒、そこで会った常連客、それと勤務先に連絡。

この時点で喉は少し痛み、体温38.5度。これなら抗原検査キットの精度問題とかは考慮しなくていいだろう。間違いなく感染していると判断できる。

混んでいるらしい発熱外来に電話をかけまくってアポを取ったところで、PCRを受けて診断確定し、あとは自宅で隔離ということになる筈だ。わざわざ菌をふりまきながら外出する意味はないと思われた。炎天下、歩いて病院まで行く体力はなかったし。

大事に取っておいた厚労省承認のあるキットで再度検査し、それをもって神奈川県の自主療養制度に登録した。

午前中は勤務先とのやり取り、うつした可能性のある人々への確認で終わり。それから解熱剤と喉薬を飲んで寝る。食欲がない。

発症日 +2日

解熱剤が切れると体温は38度を超える。かなり無気力。咳がひどくなり始める。

発症日 +3日

あいかわらず解熱剤が切れると体温は38度を超える。咳がひどい。咳止めを買ってきてもらい、服薬後しばらくしたら楽になった。

発症日 +4日

体温は37度くらい。多少なりとも仕事をする気になり、この日から在宅勤務を開始。咳止めが切れると咳がひどい。

発症日 +5日

ようやく咳が概ね収まった。諸々の症状は一気に消えた感じ。

その後、自主療養期間の最終日に抗原検査をやって陰性。もっとも会社は2週間の出勤停止になったので、特に外出する予定もなかった。

感染直前あまり出歩かなかったのと、知っている飲食店しか行っていなかったので、なんとなく感染経路は判明したつもり。それが事実だと、パテーションがあったり、席が離れている程度では感染予防にはならない。注意すべきはエアゾール、そして感染力が強い。換気が重要だと思った。

過酷かつ無意味そうだったので病院には行かず、神奈川県の自主療養制度に登録した。「配食サービスを申し込むことで、感染症法に基づく発生届が提出され、感染症法上の陽性者となり、自主療養者ではなくなります」という注記があったので、自主療養の届出だけでは発生患者のカウントには入っていない模様。

それでも病状確認の自動音声電話はかかってくるし、機能するか否かは不明ながらも緊急時の電話番号も案内される。重症化リスクが低い軽症者には特に治療がないという話からすると、実質的には自主療養でも大差ないのではないかと思った。

結果的には重症化も後遺症もなく、予防接種やタミフルのないインフルエンザと同程度ではないかと思う。

これであれば正規の診察を受ける必要はなかっただろう。誰もが同条件とは思わないが、僕と同程度の患者層が相当数いるなら、この程度の手続きで済ませ、限りあるリソースを真に必要なニーズに振り分けてもいいのではないか。

いまや理想は手が届かないほど遠くにあるのに、理想が前提の制度に固執するだけリソースの無駄である。ストーリーのない理想はゴミと大差ないが、ストーリーでしかない理想もゴミみたいなものだ。