夏休みの釧路には母親と出かけた。ちょっと前に写真をTwitterに投稿したのだが、焼鳥屋でタマネギを内側から食べる、僕のおかんである。僕自身が釧路に行く目的は釧路湿原とトロッコ列車だったが、母親は数年前から釧路に行きたがっていた。
母親は大学生の時に友人たちと釧路に行ったことがあるそうだ。いわゆる学生の貧乏旅行というやつで、ネットのない時代、だれかの伝手を頼って教会に無料で泊めてもらったそうである。そこを再訪したいとのことだった。
おかんが大学生の時と言うと、それは一昔前どころの騒ぎではない。50年以上も前の話である。調べてみたところ、釧路駅の近くにはカトリック教会があり、そのほかにも釧路市内には聖公会もあるし、日本基督教団もある。大手というか、老舗というか、50年前からありそうな教会だけでも数か所になった。もう少し絞り込む必要がある。しばらく話を聞いてみると、たぶん修道院だそうである。
さらに調べてみると、フランシスコ会の修道院が緑が丘という場所にあった。当時、謝礼の葉書を書いたのだろうか、釧路市緑が丘という地名には記憶があるそうである。50年前とはいえ、そしてキリスト教系の学校に行っていたとはいえ、うら若い女子たち (当時) がフランシスコ会の修道院に泊まれたのかは相当あやしいと思うのだが、他に決め手もない。なんとなく踏ん切りがつかなかったが、アポなしで訪問することにした。
釧路に着いてホテルに荷物を置き、緑が丘を目指す。しかしタクシーには乗らないとの仰せである。地元バス会社のサイトを見ると、修道院の近くにバス停があった。利用できそうな路線は複数あるものの、どの系統に乗れば良いのかは全く分からない。おそらくホテル近くのバス停から乗車できるはずなのだが、バス停に行って時刻表を見ても分からないままである。とりあえず来たバスの運転手さんにダメ元で聞いてみるが、そんなに上手くいく筈もない。
諦めて釧路駅前のバスターミナルまで歩いて行き、バス会社のおねいさんに聞いてみた。すぐ出るバスに乗ると、近くまで行けるらしい。待つよりも、少し歩いた方がいいとのこと。テレビ番組の蛭子さん気分でバスに乗った。
COVID-19のせいか、それとも釧路のバスの標準なのか、数人の乗客だけでバスが動き出した。バスはホテルの方向に戻りつつ市街地を抜け、それから川を渡り、丘を越えると、完全に地方都市の住宅街である。気付くとバスの乗客は我々だけになっている。
僕は蛭子能収ではない。太川陽介でもない。知らない場所でバスに乗るのは苦手である。不安な気持ちしかない。
おねいさんに指示されたバス停で下車。帰りのバス時刻を確認して、修道院まで歩く。降りた所は修道院から2つくらい手前のバス停である。
釧路の住宅地を歩きながら50年前の記憶を辿ってもらうが、まったく記憶に無いとのこと。軽く50年と言っているが、すなわち半世紀である。やむを得ないだろう。昔の釧路は田舎だったと3回くらい聞かされた後、やっと修道院に到着。
この修道院で正解なのか僕には確信が全くなかったが、安息すべき日曜日の午後であり、修道士を浮世の雑用に関わらせるのは心苦しい。あえて先方に確認することなく、50年ぶりに改めて謝礼を書き、献金と共に郵便箱に入れた。
おかん本人にも確信はないようだったが、それでも50年余りの懸案が解決したそうである。「これでいいのだ」とバカボンのパパのように思いながら、帰りのバスに乗った。
思いのほか早く釧路市街に戻ってこられた。釧路名物さんまんまを食べてから、JRに乗って釧路湿原の夕日を見に行った。雲の下から太陽が顔を出し、湿原を照らした。人間なんて小さく思えてしまうような夕景だった。
これでいいのだ。
(北海道の夏休み:前回)