今回のキューバ旅行の目的の一つは田舎に行ってみることだった。ハバナを飛び出して、見聞を広げてみようと思ったのである。
ハバナを8時過ぎに出る外国人用バスに乗って、世界遺産の街であるトリニダーを目指した。車窓を眺めていると、ハバナの高速入口、また高速の路肩に現金を見せながら手を上げているキューバ人が大勢いる。乗り合いできる車を探しているようだ。
早速、僕の見聞を広げるチャンスである。この光景を見ながら、キューバが抱える経済問題について思いを巡らせた。
表面的には需要を満たすだけの公共交通が供給されていないことになる。発展途上国では起こりがちな風景だ。キューバ人が使う長距離移動手段としてはOmnibusという国営バスがあるが、路線やスペース供給の面からは不十分らしい。補完手段としてトラックを改造したCamionと言われる車両もある。OmnibusとCamionが大量輸送手段に分類できそうなもので、あとは乗り合いタクシーとヒッチハイクらしい。
大量輸送手段の不足は、キューバの場合には計画経済の限界とも考えられる。需要に見合った生産・供給計画を立てて実行するのが国家の役目であるにも関わらず、需要に応じた計画が実行されていない。そもそも計画経済自体が部分的にしか機能していないように見える。
そこから少し掘り下げてみると、経済的に国が貧しいという以外に、アメリカの経済制裁の影響がある。キューバではバスを作れないし、国外からバスを導入する外貨が不足している。それにもかかわらず、バス生産国である隣国からバスを輸入できないため、バスの調達コストが上がり、結果的に大量輸送手段の供給に支障が出る。経済制裁の政策的な目的としては、そんな現実に対するキューバ人の怒りがキューバ政府に向かい、結果的に政権交代を促すというところだろう。50年以上たっても政策目標を達成していないにもかかわらず、延々と実行されている奇特な政策である。いまや手段が目的化しているのだろう。
教科書に書いてあるような理屈だが、高速道路上でビジュアル化されると、現実の問題として迫ってくる。しかも根本原因がカール・マルクスとフィデル・カストロとジョン・F・ケネディである。なかなか深い話だ。
ちなみに外国人はOmnibusには乗れないので、僕は別の国営企業が運行する外国人用バスに乗らざるをえない。外国人用バスはOmnibusの約10倍以上と言われる料金である。料金そのものは明確だが、算出基準が不明確な外国人向け価格だ。自費診療で歯医者に行くようなものだろうか。計画経済と経済制裁が僕の財布を直撃している。
移動に苦労しているキューバ人は間違いなく不幸だが、ある意味、外国人用バスでノホホンとしている僕も不幸なのではないか。やりきれない想いが残るキューバの高速道路である。
一方、この風景を単純にモデル化すると、移動したい「需要」があり、空いたスペースを持つ車の運転手によってサービスの「供給」が行われ、高速道路という「市場」で取引されているという事になる。経済学の最初のテキストに出てきそうな市場モデルである。うまくいっていない計画経済の先にある、シンプルな資本主義。パラドックスではないだろうか。
そんな高速道路を通って、シエンフエゴスという港町経由でトリニダーに着いた。バスを降りると自転車タクシーの客引きがいて、それに乗ってB&Bに向かった。
昔、ヨーロッパ文化圏だった世界遺産の街は大概が石畳になっているが、トリニダー旧市街の石畳はスペイン統治時代のままなのか、そこらのヨーロッパ都市よりも路面が石っぽいというか、デコボコが激しい。自転車の運転に優しい路面ではない。自転車兄ちゃんは途中で運転を挫折、荷物運び兄ちゃんになっていた。
そして僕は結果的に歩かされている。これをタクシーに乗ったとは言わないのではないだろうか。そもそも外国人料金をふっかけられている挙句、どうせ全額をキッチリ取られるのだ。やりきれない想いで、兄ちゃんの後について炎天下のトリニダーを歩いた。
このパラドックスから何か見聞を広げられるだろうか。キューバにおける二重タクシー料金問題とか、人生の矛盾とか。タクシーに関しては外国人料金の相場も、ボッタクリにあう確率も過去5年で確実に悪化している。僕の人生の矛盾も過去5年で確実に悪化している。
しかし暑すぎて何も考えたくもない。だまって金を払う。荷物を持ってくれてありがとう。人生については自分で何とかしてみようと思う。
B&Bに荷物を置いて、トリニダーの街を歩いた。とりあえず地図を見ながら歩いてみるが、思いのほか街が小さく、かえって地図上では分かりにくい。しかも例の石畳は人間の歩行も困難にしているようで、足元に気を取られたせいか、場所を確認したかったライブハウスの前を3度も通り過ぎ、道に迷った。おかげで着いた当日には旧市街の様子が一通り分かったのだが。
このトリニダーからは観光用の列車が走っている。以前にテレビ番組で見たときはSLだったが、いまはディーゼル機関車が古い客車を引っぱっている。この列車に乗ると、世界遺産のイスナガという村と、その先のフェネタという村に行ける。道に迷っているうちにトリニダーの旧市街を見てしまったので、翌日は列車を乗りに行った。ハーシートレインは運休していたので、今回の旅行で唯一の鉄道乗車である。
キューバの田舎を、ほぼオープンエアの古い客車に乗って旅する。僕が乗ったのは観光用の列車だが、普通の生活路線でもあり、たまに集落をかすめる。あとは農場か原野である。農場を見ていると、いまだに馬も牛も重要な動力源になっているようだ。たぶん生産性は低い。ここでもキューバ経済は上手くいっていないように見える。
イスナガには塔や古い豪邸があって時間も潰せるが、フェネタには大して見るものがない。駅の横には昔の製糖工場が残っているが、入場料を払ってまで工場の跡地に入る気にはならず、フラフラと近隣の集落を歩いた。
のどかな集落で、家の庭にはマンゴーの木があったりする。交差点にはバス停があり、ちょうどバスが通った。トラクターで荷車を引いているだけのバスである。その他は小さな食堂とコーヒースタンド位しか見るものがない集落だった。これがキューバの田舎の日常風景だろう。ハバナの薄暗い路地を見てキューバを見た気になっていたが、それだけではないのである。やっと見聞が広がった感じがした。
結局、僕にとっての見聞とは、知識でも理屈でもなく、状況の分析やモデル化でもなく、ありふれた日常を見ることに尽きる。ハバナから約350km、キューバの田舎まで旅をして、ようやく小さな自己理解に至った。思えば無意味に遠い道のりである。見聞を広めようなどと思って旅に出るのは良くない。トルコに行った時、目的を持って旅行先を決めるのはやめようと学んだはずだったのだ。相変わらず僕は失敗から学んでいないようである。