今回のキューバ旅行では、首都ハバナを出て、数日ほど地方に行ってみた。本当は鉄道でサンティアゴ・デ・クーバという街に行ってみたかったのだが、鉄道のダイヤは不安定らしく、旅行者にはチケットが取りにくい。しかもスペイン語を習い始めたばかりであり、ローカル感あふれる移動ルートはハードルが高そうである。
結局、ハバナからアクセスしやすいトリニダー (トリニダード) に行くことにした。スペイン統治時代の街並みが残っている世界遺産の街である。この街の路地を歩き、写真を撮っていた。
旧市街を歩いていると、古い建物の中に国営商店があった。国営商店というより、配給所と呼ぶべきなのかもしれない。通りがかりの僕に、店のオヤジがHola!と声をかけてきた。どうやらヒマらしい。
国営商店はハバナでも見ている。キューバ人で行列ができているせいもあったが、どうにも入りにくい。例えば蛇口のパーツの一部だけをショーケースに入れて売っていたり、店で売っている商品自体が少ないせいもあるが、そもそも国営商店での作法が良く分からないのだ。
共産圏の国営商店というと、冷戦時代に生まれたオッサンには、NHKで見たソ連の配給所のイメージしかない。寒そうなモスクワの街角で、パンを買うのに行列している映像である。国営商店と呼ぶか、配給所と呼ぶかは別にして、この類の店では配給券とか配給手帳がないと買い物ができないのではないだろうか。札束だけでは解決できない経済制度である。
しかもキューバには2種類の通貨がある。キューバ人が一般的に使うのが「人民ペソ (CUP = Moneda Nacional)」である。一方、外国人は外貨から両替した「兌換ペソ (CUC = Peso Cubano Convertible)」を使う。過去のキューバ滞在時には人民ペソを手に取る機会はなかった。兌換ペソでも国営商店で買い物ができるのだろうか。
トリニダー旧市街の国営商店は小さな店だった。さっきのオヤジにつられ、外の道路から店を覗いてみると、棚にラムが置いてあった。僕にはハードルが高そうな国営商店だが、ラムには抗えない。ちょっと逡巡した後、店に入ってみることにした。
ダメ元でラムを買ってみよう。オヤジは僕が店に入ってくるとは思っていなかったのだろうが、それでもオヤジの方から声をかけてきているし、個人商店のように小さな店なので、なんとか融通がきくかもしれない。たいした成果は上げていないものの、スペイン語を学んだのが心強い。合理的な裏付けのない自信である。
国営商店にあったラムは輸出用の銘柄ではなく、キューバ人が飲む国内消費用のラムである。ホワイトラムで、ラベル記載のアルコール度数が34度だった。輸出品は40度くらいなので、それより低めの設定である。ストレートで飲むには丁度いいくらいだろうか。
この店には3銘柄のラムがあったが、ラベル以外の違いが分からない。国営商店の商品は、効率重視の計画経済の下で生産されている筈である。そもそも品質的な違いがあるのだろうか。 逆に資本主義的なブランディングとかマーケティングが必要ないとすれば、わざわざ銘柄を分ける必然性はないかもしれない。
いずれにしても悩むだけ時間の無駄であり、ラベルを見て適当に選ぶ。計画経済下でのラムの生産と流通は興味をそそられる問題ではあるが、この場においては僕がラムを買えるか否かの方が本質的に重要な問題である。
国営商店なので、やっぱり表示価格は人民ペソ建てだった。兌換ペソしか持っていないので、どうやって支払っていいのか分からない。とりあえず少額の兌換ペソをわたすと、オヤジが公定レートで換算してくれ、お釣りも兌換ペソで出してくれた。
ラムを抱えて店を出た。通りすがりのオッサンに「いいものを買ったな」と冷やかされる。
その翌日、トリニダーを出てハバナに戻った。ハバナの繁華街に、普段は行列になっている大型の国営商店がある。夕方に通りかかると、たまたま行列がなかった。僕は既に国営商店の経験者である。案ずるより産むが易し、だろう。今回は悩まず店に入った。
店の中を探すと、果たして別のラムがあった。しかもダークラムである。なんとしても買いたい。カウンターで待っていると、店のおねいさんがウインクしてくる。ナンパされているのではなく、僕の番ということだろう。
スペイン語学習が役に立っていないことを如実に示しているような、大げさな身振り手振りでのやり取りの後、ここでも兌換ペソで支払い、ラムを入手できた。値段はトリニダーの店と同じ。国定価格なのだろう。日本円に換算すると1本250〜300円くらいだった。高級ウイスキーを買った時のように厳重な梱包をして、安いラムを大事に日本へ持って帰った。
一般的に語学学習は人生を豊かにすると言われる。異文化を知ることができるとか、新たな友人ができるとか、そんな意味だろう。
オッサンになってスペイン語を始めてみて分かったことは、語学を学ぶと根拠のない自信が生まれ、ちょっとした勇気も生まれるということである。授業料相当の語学力を習得した自信はないが、授業料相当の勇気を得た自信はある。
帰国後にトリニダーの国営商店で撮った写真を見なおしたところ、客のオバチャンが帳面のようなものを持っていた。その帳面が配給手帳らしい。たまたま二軒とも、配給手帳を持っていない僕にもラムを売ってくれたのだろう。ラッキーだった。スペイン語のできない僕に販売を断るのが面倒くさいと思われたのだろうか。大げさな身振り手振りが役に立った。授業料相当の語学力を習得していなくて良かった。