もう10年以上前になるが、大した理由もなくポルトガルに行った。なんとなく「大航海時代」という言葉に惹かれたのもあるが、当時、マスターカードのテレビ広告にリスボンのケーブルカーのシーンがあったのだ。サンフランシスコを筆頭に、ケーブルカーのある町は魅力的に思える。
以前に働いていた会社を退職した直後だったので、1月だったと思う。ロンドン経由で遅い時間にリスボンに着いた。
早速、ホテル裏の丘を走っているケーブルカーを見に行った。写真を何枚か撮り、とりあえず初日は終了。ホテルに戻った。
ポルトガルまで行けば冬でも暖かいと思い込んでいたが、1月のポルトガルは寒かった。幸か不幸かホテルは重厚な石造りの建物である。しかもオフシーズンのせいか客が少なく、閑散としていた。そういう建物は良く冷える。
翌朝、といっても昼頃に起きると、スチーム暖房を全開にしていたにもかかわらず、体の芯まで冷えきっていた。とりあえず部屋でコーヒーでも飲もうかと思ったが、部屋にコーヒーメーカーは付いていなかった。
暖かいものを飲み、ブランチをしようと思い、街へ出た。ポルトガル人で混雑していたカフェに入る。メニューはポルトガル語のみであり、なんとなくメニューが解読できたパスタを食べた。これが妙に塩辛い。飲食店には当たり外れがあり、知らない街では失敗する確率は高い。
午後から街歩きを始めた。リスボンにはケーブルカーが数路線あり、一通り見に行った。
街を歩いていると、スーパーがあった。ちょっと覗いてみると、干しタラが目につく。スペインの生ハムみたいに、天井から吊るして売っている。この店は干しタラで有名なスーパーなのだろうか。よくよく街を眺めると、食料品店には多かれ少なかれ干しタラが置いてある。
夕食は「本格的ポルトガル料理」とガイドブックに出ていた店に行ってみた。ここには英語のメニューがあり、ウェイターも英語が話せる。おすすめ料理は干しタラとの事だった。
街中で干しタラを売っているのである。干しタラを食べねば済まないだろう。しかし、この店も妙に塩辛い。何を食べても塩味が濃いせいか、食後には塩味しか残っていない。それ故なのか、デザートが妙に甘い。あまり満足できないまま、冷えきったホテルに戻った。実質的な初日にして、既にポルトガルが嫌いになっていた。
その後、田舎町を経由しながらポルトまで北上した。どの店に入っても塩辛いし、どのホテルに泊まっても寒い。食事が苦痛になった。早くポルトガルから脱出したい。
ある日、外食を諦め、食料品店に夕食を買いに行ったところ、そこでも干しタラが山積みになっていた。山奥の田舎にもかかわらず、食料品店の軒先は潮の香りがした。
そして気付いた。ポルトガルの味覚の根源は干しタラではないかと。バカラオと呼ぶらしい、塩漬けにして干したタラである。本格的ポルトガル料理の食材である干しタラ (と塩味)。スープの出汁にもなる干しタラ (と塩味)。ポルトガル人のDNAの中に組み込まれた干しタラ (と塩味)。
結局、ポルトガルの思い出は塩辛いまま終わってしまった。文字通り塩辛いだけでなく、まさに塩辛い旅だった。