中国には仕事で行く機会があるだろうと思っていたが、結局そんなことはなく、今回が初めての訪中だった。僕の場合、必要に迫られない限り物事を学ぶことをしないので、中国関係の知識は乏しいままオッサンになってしまった。
上海旅行で行きたかったのは、実は上海そのものではなくて、近郊の水郷地帯である。水郷地帯の古い街並み (古鎮) を見に行きたかった。実際の手配は同行者に任せるにしても、付け焼刃の知識でも無いよりはマシだと思い、地図を見るところからスタートした。
上海に近い古鎮は混みそうなので避けるとすると、行き先は蘇州か杭州になるだろうか。この2市の位置関係までが僕の知識の限界だった。蘇州は江蘇省、杭州は浙江省とのことである。
さらに地図を見ていると、浙江省に紹興という街があった。紹興酒の紹興である。紹興も水郷地帯の古い町だ。古い街並みが残っているし、古い庭園などもあるらしい。最初は杭州に行くアイデアになっていたが、ちょっと足をのばして紹興に行ってもらうことにした。
紹興は作家の魯迅の街でもある。魯迅の旧家や、魯迅が通っていた私塾が保存されており、魯迅記念館もある。
魯迅の本は中学校で読んだ。その時に読書感想文を書かされたが何も思いつかず、苦し紛れに中国共産党のプロパガンダだと書いたところ、ひどく怒られた。それ以来、中国、ロシアあたり出身の近現代作家はトラウマになっている。
そんなわけで紹興が魯迅の街といっても、興味あるような、ないような。たしかに古い建物は興味深い。一方で文学関係は苦手なままである。魯迅の旧家である豪邸などには日本語か英語の説明文があり、文学色の強い記念館には基本的に中国語の説明文しかない。僕にはちょうどいい塩梅である。
それでもオッサンになって分かったことがある。魯迅は1936年に亡くなっており、中国共産党がプロパガンダとして作品を書かせたと言うには無理があったのだ。とは言うものの、巨大な記念館が建てられるくらいなので、初期の中国共産党に影響を与えた作家だったのだろう。目の付けどころとしては悪くなかったと思う。簡単なリサーチと理論構成を行っておけば多少はマシな作文になり、国語教師に怒られることもなかったと思いたい。
オッサンになって紹興へ行き、25年前の自分のダメさに思いを致し、浅墓な結論に救いを求める。
昔から自分自身のスタンスとしては大した変化はないように思われる。ブレない男と言えば聞こえはいいが、結局のところ、付け焼き刃の知識で誤魔化そうとしている小物である。
ダメ中学生のまま、ダメオッサンになってしまった。いまさら気付いても手遅れではないだろうか。もっと早く中国に行くべきだった。