ヒトには限界というモノがある。
昼にラーメンと餃子とチャーハンを食べると、どんなに旨い店に行っても夜は大して食べられない。
夜、食事の時にワインを1本くらい飲むと、バーに行ってもウイスキーは少ししか飲めない。
意図的にチャレンジしているわけではないが、週の間に積もったモノを、週末の飲食で解決しようとすると、すぐ限界に達してしまう。
寂しい。虚しい。やり遂げられなかった感がある。自由な筈の週末さえも、思い通りにはならない。
人間、そんなモンなのか。つねに、なにかしら、限界のなかで生きて行かなくてはならない。
なぜ神は暴飲暴食の限界を作ったのか。それはデブにならせないためである。食糧問題解決のためでもある。要は種の保存である。食いたいだけ食わせていたら、土地は枯れ、食料は枯渇し、デブが横行し、人類は滅びる。
なぜ神は「週末を除く」という特例をつくらないのか。それは特例を認めると、特例だらけになるからである。要は規則に則った社会をつくるためであり、究極的には種の保存である。規則を無視すると、争いが始まり、社会は荒廃し、人類は滅びる。
故に、人間は本質的に自由ではない。週末だけの暴飲暴食もできないくらい自由ではない。限界のなかで生きていかなければならないのだ。
胃もたれで起きた朝は、とりあえず胃薬を飲む。胃薬を飲むか飲まないか程度の自由は、僕にもある。いまのところ。