しんぴんのおもいで

旅行そのものと同程度に好きなのが、旅行の計画である。旅行計画の発端は思い付きが多いにも関わらず、写真撮影をメインにして、ほぼ完璧な旅行計画を立てる傾向にある。もちろん撮影は天候に左右されるが、雨季を避けて旅行計画を立てる上に、事前情報を収集して、ある程度の余裕を織り込んだ計画になる。友人から取材旅行と同等な休暇と言われる所以である。

ANAマイレージを利用した特典航空券の空席状況を元に決めた桂林旅行では、この地域ではメジャーな桂林市と陽朔市の間にある、興坪というマイナーな町に滞在した。そもそもCOVID-19後の中国の観光情報は未だに少ないが、マイナーな町に関する情報は極めて少ない。

興坪については限られた事前情報しか得られなかったが、この町は桂林から陽朔へのクルーズのハイライト区間にあたり、20元札の風景画が描かれた場所として有名らしい。この町を起点にしたショートクルーズもあるようなので、船旅を楽しめる。

あえて興坪に滞在した目的は、相公山から見る日の出だった。かなり美しいらしいのだが、具体的な情報は限られており、アクセスすら良く分からない。桂林市などからも中国語ツアーがあるようだが、地図を見ると最寄りの町が興坪なのである。

イマイチよく分からないままだったが、旅程の3泊すべてを興坪で宿泊する事にした。確証はなかったが、興坪だけ見れば桂林を満喫できる気がしたのだ。

よく分からないまま、すべてを託す。これを投資と考えれば愚の骨頂だが、航空券が無料なので、失敗しても失うものは少ない。と思う。

早朝に自力で相公山へ行くのは困難そうだったので、ホテルに問い合わせを入れたところ、ツアーデスクを請け負っている会社を紹介してもらった。そこに問い合わせてみると、サンライズツアーの手配は可能らしい。その他、諸々の相談にも乗ってくれたので、情報収集の面でも助かった。

桂林に3泊するものの、スケジュール的に日の出を見られるのは2回しかない。撮影メインの旅なので、2日とも日の出ツアーを予約した。平日に起きるのは困難だが、旅行であれば早起きができる。

前日にWeChatでツアー会社から連絡が来た。集合場所までは15分ほど歩いていく必要があった。小舟で川を渡ってからの陸上移動なので、この方が無駄な出費も避けられるのだろう。

集合時間は朝5時との事である。対岸の村が運営する渡船に乗せてもらい、そこから車で相公山へ向かった。相公山では、ドライバーはチケット売り場近くの駐車場で待機しているとの事。ガイドではないと言う事なのだろうが、チケットは指差しとAlipayで買えるので、この方が気楽で良い。

ただし気楽なのも、ここだけだった。

相公山のビューポイントへは、急坂を階段で登っていく必要があった。iPhoneによると20階相当である。苦労して階段を上がったところ、ビューポイントは異様に混んでいた。なんとか3列目くらいに場所が取れたが、撮影条件としては悪い。しかも雲が多く、幻想的と言えば幻想的だが、極めて不完全燃焼だった。

ふてくされ気味に山を降りて車に戻った。興坪までの船着き場に戻る途中、ちょうど見晴らしの良い所で太陽が出てきた。僕の不機嫌さを察したのか、そこで止まってくれたので、思いがけず良い写真を撮ることができた。

おかげで気分も持ち直し、ホテルに戻って仮眠、昼過ぎに起きた。興坪には古鎮 (古い街) があり、歴史的な建造物がカフェや商店になっている。そんなカフェの一軒で軽く食事をした。

街を歩いていると、渡船乗場の横に、観光ボートのターミナルがあった。いくつかコースがあるようだったが、どれにすべきか良く分からない。人気がありそうな90分くらいのツアーに参加した。ここでも指差しとAlipayでチケットが買えると思ったが、意外なことにAlipayが使えなかった。指差しとAlipayでダメなら、翻訳アプリとクレジットカードである。航空会社のマイルを使ったとしても無料チケットを手に入れるのは難しいが、有料であれば基本的に何とかなる。

天候は既に回復して快晴だった。窓が開かない船だったのでイマイチかと思ったが、帰路は屋根上の展望デッキに乗せてくれた。かなりの壮観である。

観光ボートを降りると、そろそろ夕方だった。この町で2つ目のメインとなる日没の撮影に向かった。20元札の裏に描かれた風景画のモデルとなった場所である。自称「風景画のモデル地点」が数か所あったが、写真撮影に適した場所を見付けることができた。西向きに撮影するので、夕景が美しい。

翌朝も早朝から相公山である。前日が混みすぎていたので早めにして欲しいとリクエストしていたが、結局のところ渡船のスケジュールに縛られるので、あまり意味はなかった。この日の渡船は前日の半分程度の乗客数。そういえば前日は日曜日だった。

相公山の人出も半分程度で、前日に目を付けておいた場所の最前列を確保できた。最前列だと柵を三脚代わりに使えるので、シャッタースピードが遅くても問題ない。この日は快晴で、日の出前の朝焼けから、太陽が顔を出す所まで楽しむことができた。

事前に調べたところ、興坪には筏船もあるらしい。現地にはチケット売りが何人もいたが、どれに乗れば良いのか分からず、ツアーデスクにチケットを依頼した。乗船時間を指定できたので、最も遅い時間にした。ちょうどサンセットになる時間帯である。

筏船の運航は別の村の権益なのか、ホテルから乗船場所までが遠い。それでも筏は水面が近く、昨日の観光ボートより迫力があって良い。ちょうど20元札の風景画に近い場所で夕焼けになった。

限られた情報だけで行った興坪では、結果的に極めて満足できた。たぶん桂林市に行って、普通の観光ルートを辿るよりも楽しめたと思う。

ほぼ賭けに等しい選択だったので、航空券を普通に買っていたら、ここまでのリスクは取らなかったかもしれない。タダより高いものはないと言うが、タダより安いものもない。

けいりんのおもいで

2025年のゴールデンウィーク直前に航空各社で持っているマイルを確認したところ、ANAに2026年4月が有効期限のマイルが6万マイルもあった。2026年末までと考えると7万マイルを超える。その時点ではJALでGWのメキシコを予約済み、夏休みのウズベキスタンはアシアナ航空で予約済みだったので、当面はANAのマイルを使う機会がなかった。

マイルを利用した行先の検討を始めたが、長期休暇を取る時間的な余裕はなかったので、アジア域内の国際線にせざるを得ない。自ずと家族旅行の計画になってしまう。

正月のピークには無料航空券を使えないだろうから、現実的なスケジュールは秋くらいになるだろう。まずは乾季である香港が頭に浮かんだが、行けそうなタイミングは全てキャンセル待ちだった。母親を連れて深夜便利用での東南アジアは厳しく、近距離のソウルではマイルを使いきれない。しかも同行人数が増えるので、キャンセル待ちのように、タイミングを天に任せるようなことは出来ない。そこで比較的空席が多い、中国本土へ行くことにした。

どこに行きたいか母親に聞いてみたところ、中国本土内陸部の絶景地ばかりだった。四川省での胃腸ダメージから回復していない時期だったので、簡単に調べただけで全て却下した。

カレンダーと特典航空券の空席を眺めていると、11月の火曜日が祝日であり、その前後に広東省広州へのフライトに空席があった。広州の近くでは桂林が有名で、内陸部の絶景地にも引けを取らないだろう。それに広東省は広東料理の本場であり、四川省のような激辛とは無縁だ。と思う。しかも香港と同じく乾季である。筈である。

この時点でメキシコ旅行の出発前日だった。ずるずると特典航空券の予約を引き伸ばしても意味がないので、桂林についてのリサーチは全くしないまま、広州便の無料航空券を予約する事にした。ダラスへ向かうJALの機内WiFiでANA無料航空券を取る悪行に及んでチケット確保、あとの諸々は先延ばしすることで対応した。

メキシコから戻ってリサーチを開始した。桂林に行ったら船旅をすれば良いだろうと簡単に考えていたが、ほぼ一日かかるらしい。一方で日の出の絶景スポットを見付けたが、桂林市内からだと相当に遠い。限られた日数で繋ぎ合わせるのは困難そうだった。色々と探してみたところ、絶景中の絶景ポイントは限られているようだったので、日の出絶景スポットに近い田舎町で泊まることにした。その町にはヒルトンホテルがある。自分だけなら泊まらないだろうが、家族となら許容されるだろう。

この話を中国に詳しい友人にしたところ、相当なダメ出しを食らった。そもそも桂林は広東省ではなく、広西チワン族自治区に属しているとのこと。そして広東とは似て非なる文化圏で、料理は広西料理という独自路線らしい。想定から随分と外れてきた。

そんな広西チワン族自治区で田舎町といえば、本格的な田舎のようだ。それでもホテルはヒルトンじゃないかと反論したものの、中国の田舎にあるヒルトンを甘くみるなとのこと。うーむ。

結局のところ、友人を信じるか、ヒルトンを信じるかである。以前の中国旅行でも随分と助けてもらっており、ヒルトンよりも友人を信じるべきだろう。しかし日程的に他の選択肢はないので、ヒルトンに賭けてみることにした。

定刻より少し早く広州空港に着くと、快晴だった。東京と違って暖かい。地下鉄移動は時間がかかるので、ピックアップを依頼しておいたドライバーと合流し、広州南駅へ向かった。

飛行機遅延の可能性も考慮して列車を予約しておいたので、駅で買い物がてら時間つぶし。事前に調べてもらった限りでは、例の田舎町の食堂は、概ね21時頃には閉まるらしい。ヒルトンも例外ではない可能性が高そうなので、駅のレストランで腹を満たし、コンビニで食料品を買い込んでから17:57発の列車に乗った。田舎町への少々のリスクヘッジである。

列車が広州市街を出る頃には、あたりは暗くなっていた。徐々に人工的な明かりが見えなくなってくる。高速鉄道なので、人里離れた地に線路を敷いているのだろう。と思う。

桂林駅の一つ手前、陽朔という駅に辿り着いた。陽朔駅と言っても、広州から桂林まで最短ルートで線路を敷設し、陽朔市街の近くで簡単に土地を確保できた場所に駅を作っただけだろう。端的にいえば、タクシー数台のほかには、絶望しかないような駅だ。英語でいうところのMiddle of Nowhereである。それでも手配しておいてもらったドライバーと合流できた。これもまた、田舎町への少々のスクヘッジである。

ホテル所在地は興坪という町だが、着いてみると、そこまで田舎でもない。荷物を置いて外に出ると、数軒だが食堂も遅い時刻まで営業しているし、コンビニも2軒ある。ガラガラだったが、土産物店も僅かに営業していた。しかも、この町にはヒルトンだけでなく、メルキュールもあった。

どちらを信じるか問題からすると、ここに結論があるように思えた。田舎のヒルトンを甘く見てはいけないのだろうが、国際ブランドのチェーンホテルが2軒ある町は、そもそも田舎町ではないのだろう。

旅のしおり:ウズベキスタン

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

成田 0900 (アシアナ航空 OZ107) > 仁川 1130
仁川 1610 (アシアナ航空 OZ573) > タシュケント 2000

宿泊:Corner Hotel

1日目Tips
・ウズベキスタン旅行で必須なのはYandex Goという配車アプリ。タシュケント、サマルカンド、ブハラなどで利用可能。ややこしい料金交渉が必要なくなるので、旅のハードルが一気に下がる。
・タシュケント空港は到着と出発が別の建物である。Yandexの乗車場所は、空港内への乗り入れ規制により空港外の路上と聞いていたが、実際の乗車場所は出発ターミナルだった。出発時も空港手前で降ろされるという話もあったが、同様にターミナルまで行ってくれる。

2〜4日目

タシュケント 0840 (Train #710) > サマルカンド 1145

レギスタン広場
シャーヒズィンダ廟群
グーリ・アミール廟
ビビ・ハニーム・モスク
・シヨブバザール

食事:
Sharof Bobo Oshxonasi (プロフ)
Shokhrukh Nur (シャシリク)

宿泊:Kok Saroy Plaza Hotel

サマルカンドTips
・ウズベキスタン旅行のアプリといえば、ウズベキスタン国鉄のアプリも必須。予約・決済から電子チケット利用まで対応可能。
・Yandexで呼んだ車に乗ったところ、普通に日本語で「お客さん、どこから来たんですか?」と聞かれた。ちなみに助手席に乗る風習があるらしいが、後部座席でも構わない模様。

5~6日目

サマルカンド 1059 (Train #770) > ブハラ 1242

カラーンモスク
ボロハウズモスク
アブドゥルアジスハーン・マドサラ
ミル・アラブ・メドレセ
・タキ・バザール

食事:
Old Bukhara
Restaurant Ayvan

宿泊:Lyabi House Hotel

ブハラTips
・ブハラへ先に来て、その後でサマルカンドへ行った方が感動が深かった気がする。

7日目

ブハラ 1655 (Train #709) > タシュケント 2247

宿泊: Corner Hotel

8日目

バスラディ・イマーム広場
・ファルホド・バザール
Hotel Uzbekistan
・チョルスー・バザール
・クカルダシュ・メドレセ
・ジャーミーモスク

タシュケント 2140 (OZ574) > 仁川 0755+

タシュケントTips
・キリル文字からアルファベットへの変換にブレがあるようで、Google Mapの表記とYandexの検索の表記にズレがあることがあった。2回ほど違う場所に連れて行かれた。乗車前に注意が必要。
・正直あまり期待していなかったタシュケントだったが、美しい地下鉄も使って、モスクと市場を訪問。活気があって楽しい。

9日目

食事:ファンセンガ (仁川空港)

仁川 1545 (OZ106) > 成田 1825

仁川Tips
・晴れたらソウル市内に行こうと思ったが、大雨だった。せめて空港近隣のロッテマート永宗島店に行こうとしたものの、日曜は隔週で休み。結局ANAの魔力でアシアナ航空ラウンジに入り、会社のメール処理をしていた。
・さすがにラウンジの食事では韓国に来た意味がないので、空港内のファンセンガというカルグクス店へ。ソウル市内の店はミシュラン掲載らしい。
・LCCとの差別化で大手航空会社のソウル路線は金浦〜羽田に注力しており、仁川~成田便は極めて少ない (が運賃は安い)。仁川での1時間5分待ち成田便への接続を信用しなかったので8時間も待つ羽目になったが、結果的に時差ボケの原因になった模様。

たしゅけんとのおもいで

ウズベキスタンの首都はタシュケントだが、サマルカンドブハラと比べると、観光的には見劣りしてしまう感は否めない都市である。一般的には空港と鉄道の乗り継ぎの為に滞在する旅行者が多いのではないだろうか。

そんなタシュケントには「ホテル・ウズベキスタン」というホテルがある。妻の会社にスタンの国に詳しい人がいて、味わい深いソ連様式の建物らしいので、見に行くべきとの事。

ソビエト的な味わい深さが、快適さと両立しないのは容易に想像できた。しかし、わざわざホテルを見に行く位なら、そこ泊まってしまえば良いのではないかと思い始めた。いくらなんでも、ブルガリアにある味わい深い修道院よりは快適だろう。

タシュケントには入国日と出国前夜に宿泊する予定だった。どちらも鉄道利用の前後だったので、タシュケント中央駅に近く、評判の良い中級ホテルに2回分の予約を入れていた。このうち出国前夜をホテル・ウズベキスタンに変更しようと思ったのだ。

味わい深いソビエト建築であれば、巨大なホテルに違いない。すぐに空室が見付かるかと思ったが、予約は困難だった。味わい深さを求める旅行者が多いのか、実は快適さとの両立を成し得ているのか、団体旅行向けにダンピングしているのかは分からないが、何度か探しても空室が出ない。

出発一週間前に1室だけ予約サイトに空きが出たが、1泊2.5万円ほどだった。ウズベキスタンのホテル料金としては高値だし、そもそもホテル・ウズベキスタンの通常料金から倍以上である。さすがに見送らざるを得ない。公式サイトでは予約できなかったので、そもそも空室自体が予約サイト上の誤りだった可能性も高いのだが。

結局、ホテル・ウズベキスタンでの宿泊は挫折した。

ブハラからタシュケントまでの戻りは高速鉄道が取れず、6時間近く客車特急列車に乗り続けていた。帰りともなるとシルクロードの感慨は薄れ、ひたすら寝ていた。

タシュケント駅の手前で目を覚まし、iPhoneを操作したところ無反応だった。列車にはWiFiがないので、どうやら睡眠中に砂漠の真ん中で電話回線の電波を探し求め続けていたらしい。いつの間にかバッテリー残量が無くなっていた。モバイルバッテリーを持っていないので、列車内で機内モードにしておけば良かったと後悔しても遅い。

ウズベキスタンでiPhoneが使えないという事は、配車アプリで車を呼べないという事である。地図アプリも使えないので地下鉄も実質的に使えず、残るはタクシーの客引きとの交渉しかない。

災い転じて福となったのが、このタイミングだった。ホテル・ウズベキスタンの予約が取れなかったので、入国日に滞在した、駅近のホテルに戻るだけで済んだのである。行きはタクシーを使って駅まで行ったのだが、スーツケースを持っていたとしても歩けない距離ではない。

ウズベキスタンはイスラム圏とはいえ、ビールとウオッカとワインを作っていると聞いていた。蒸留酒が好きなので、ブドウを使った蒸留酒であるブランデーも作っている可能性が大だと期待していた。そのためにガラス瓶の梱包材まで持って行ったのだ。

事前に調べたところ、サマルカンドにワイナリーがあると読んだので、そこにブランデーがあるかもしれないと期待していた。しかしサマルカンドでは撮影に時間を取られてしまい、ワイナリーを訪問する時間はなかった。しかも、いくら飲酒に寛容な文化と言っても、基本はイスラム教文化であり、サマルカンドとブハラでは酒屋を見付けられなかった。

荷造りを考えると、割れ物である酒瓶はホテルのチェックアウト前に買っておきたい。ウズベキスタン到着日にビールを買った酒屋が、駅から徒歩でホテルに向かう途中にあった。そしてビールを買いに行った時に、ブランデーを売っているのを確認していた。しかも24時間営業であることも確認済みである。僕の人生は抜かりが多いが、こういう時は抜かりないのだ。

その酒屋へ行ったところ、防犯上からか、深夜は店のドア越しに頼むスタイルらしい。そもそもキリル文字のラベルは読めないし、iPhoneが動かないので翻訳アプリも使えない。こうなると数字で書いてある、熟成年数か値段しか比較材料がない。最も熟成年数が高いブランデーを指差して購入した。

帰国して知り合いのバーで開栓したところ、とても美味しかった。ただし、それがウクライナ産だったのは気にしないことにするしかない。こんな時代に、どういう物流体制なのか分からないが、期せずしてウクライナ支援をしたと思えば良い。

タシュケントは必ずしも思い通りにはいかなかった街だが、思い通りに行った街でもある。終わり良ければ全て良し、だろう。

そして、やはり僕の人生には抜かりが多い事が分かった。

ぶはらのおもいで

アシアナ航空が大韓航空と合併する前に行きたかったウズベキスタンだが、サマルカンドだけ行ったのでは勿体ない。調べてみたところ、ブハラという別の古都があった。日本に例えると、サマルカンドを京都とすれば、ブハラは奈良らしい。他にも行ってみたい都市はあったが、撮影に時間を取りたかったので、この2都市に旅行先を絞ることにした。

レギスタン広場に着いた時にシルクロードの旅が終わったとの感慨を抱いたが、まだ先はあったのだ。

サマルカンド~ブハラ間は高速鉄道の予約を取っていた。高速鉄道も、普通の客車特急も、走る線路自体は同じなので、高速鉄道のメリットは車両が新しいことと、乗車時間が多少短いことだけである。

ブハラでは美味しそうなレストランを予約しておいたのだが、そこはホテルのレストランだった。当初は別のホテルに泊まる予定にしていたのだが、結局そのホテルへ宿泊予約を変更することにした。

このホテルは駅からの無料ピックアップサービスを提供しており、これが大変に助かった。ブハラ旧市街の広場周辺は自動車の進入が制限されている挙句、ホテルは路地を入ったところにあり、いきなり広場の外でタクシーを降ろされたとしても到着は困難そうだからである。

そこまで念入りな交通対策をとっているブハラだが、サマルカンドと比べると街の規模は小さいし、観光客も少ない。慌ただしさもなく、ゆっくり過ごせる街だった。

サマルカンドでは壮大で美しい建築物を精力的に撮影しており、極めて満足していた。旅行に限らないのかもしれないが、極めて満足というのは諸刃の剣である。論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と似たようなものだろう。

端的に言うと、ブハラに着いた頃には歴史的建築物を見飽きてしまっていたのだ。以前に蒸留所めぐりでスコットランドへ行って、4か所目には飽きていたのに近い感覚だろう。ただし蒸留所には試飲とショップがある分、飽きたと言っても、やるべきことは有る。

ブハラはスコットランドの田舎と同じくらいアクセス困難なので、飽きたからと言って、部屋でゴロゴロしているわけにはいかない。幸いにもウズベキスタンは飲酒に寛容な文化なので、屋外の日陰の席でビールを飲んで、ゆっくり観光スポットを巡ってみる事にした。

ブハラも世界遺産だらけだが、ボロハウズ・モスクが特に気に入った。「地味」といっても、1712年に王族が自分の城の前に作らせたモスクだから程度問題なのだろうが、サマルカンドで見てきた歴史的建築物と比較すると、相当に大人しい佇まいである。

モスク前の広場にはザクロジュースの屋台が出ており、僕はベンチに座ってモスクを眺めていた。夜はライトアップもしているので、こうなると何度も通ってしまうのは僕の性格から止むを得ない。

最後の夜、三脚を持って夜景を撮りに行ったところ、モスクの前に大量の絨毯が置いてあった。そういえば翌日は金曜日である。ウズベキスタンの歴史的建築物、とくに元がメドレセと呼ばれる神学校だった所は、いまや実質的に商業施設と化している場所も多いが、ここは現役のモスクである。

さすがに日の出の礼拝時間までには起きられないが、昼の礼拝が13:10頃と表示されていた。夕方の列車でタシュケントに戻る予定だったので、ちょうど良い時間だろう。

翌日、ホテルに荷物を預けてモスクへ向かった。前日まで僕がジュースを片手にボケッと座っていた広場には絨毯が敷かれており、日光を遮るためのテントも設置され、多数の人が参列していた。僕はセキュリティ外側のベンチに座れた。隣には老人がいて、そこから祈っていた。礼拝が終わると、彼は僕の肩を軽く叩いて去っていった。

サマルカンドでは撮影に集中していたが、ブハラではゆっくりとした時間を楽しむことができた。諸刃の剣も使いようである。