想定外の驚き / ヒヴァ

Kalta Minor Minaret at Sunset

Islam Khodja Madrasah & Minaret at Night

A House Behind the Islam Khodja Minaret

Throne Room in Kuhna Ark

ウズベキスタンで最も有名な古都はサマルカンドだが、その他にもブハラとヒヴァという有名な歴史都市がある。効率重視で予定を立てれば、日本から9日間の旅で3都市の訪問が可能だが、僕の旅は撮影メインなので2都市が限界だと思った。サマルカンドは外せないので、昨年は迷った末、ブハラを選択した。

今年、二年連続でウズベキスタンに行く事にしたのは、ヒヴァに行きたかった事が大きい。ヒヴァには世界遺産であるイチャン・カラという古い城壁のある旧市街が残っている。旧市街中心部でホテルを探したが、良さそうなところは満室、他は部屋が狭かったりしてイマイチだった。結局、中心から少し離れたホテルを予約した。

ホテル予約サイトを読む限り、かなり綺麗そうなホテルだったが、予約の保証にクレジットカードが必要なかった。正直、これは微妙である。事前に振込送金を求められたケースがあるし、昨年にはサマルカンドで予約したホテルが無くなっていた思い出もある。たぶん配車アプリよりも高いとは思いつつも、念のためホテルまでの送迎を予約する事で、予約通り滞在する意思を表明しておいた。向こうは僕を信用しているのかもしれないが、僕はそこまでではない。

夜行列車の乗車で一悶着あった後、ヒヴァのホテルに着いた。ヒヴァの旧市街にはイチャン・カラという城壁が残っているのだと思っていたが、イチャン・カラが旧市街そのものだった。そのため旧市街の「中心から少し離れたホテル」とは、旧市街の外にあるホテルである。どちらも着いてから分かった事で、正直、かなり想定外で驚いた。それでも城壁の門まで歩いて1分くらいであり、早速、荷物を置いてイチャン・カラを見に行く事にした。

イチャン・カラへ入るには城壁の門を通る必要があるのだが、現代の城門には門番の代わりに改札係がおり、イチャン・カラ内部に行くだけでも入場料がかかるとの事だった。再び想定外で驚いた。サマルカンド駅で列車に乗りそこなって以来、驚きばかりの一日である。全てが僕自身によるリサーチ不足の産物なのだが、まずはチケット売り場で料金表を確認するところから始めた。

チケットは数種類あり、少々ややこしい。博物館の入場料込みのチケットを買うと、イチャン・カラには2日間入れる。ヒヴァでは3泊の予定だったので、初日はイチャン・カラに入るだけの入場券を買う事にした。2日目に2日間有効のチケットを買えばいいだろう。

城壁に入ると保存状態の良い旧市街で、別の世界に来たような感覚だった。ドブロブニクの城壁内も別世界の感じがしたが、それを超える感覚である。この日のチケットでは博物館には入れないので、街をブラブラし、美しいミナレットが見られるオープンカフェで時間を潰した。夕方になって雲が出てきて、しかも遠くから雷鳴が聞こえたが、かえって風情ある夕景を楽しめた。

翌朝、博物館に入れるチケットを買い、観光を始めた。このチケットも少々ややこしい。チケット自体は2日間イチャン・カラへ無制限の入場が可能だが、一か所でも博物館を再訪したければ、もう一回、2日間有効の入場券を買う必要があるようだ。しかも宗教施設の入場は別料金だが、博物館も元々はモスクか神学校なので、どれが別料金なのか、よく地図で確認しない限りイマイチ分かりにくい。

いちばん見たかったジュマ・モスクは、残念ながら工事中で半分だけしか見られず。ちなみに現役のモスクではないようで、名称にも関わらず、ジュマ・モスクは博物館の扱いだった。

料金さえ払えば宗教施設には何度でも入れる事を考えると、事前に行きたい博物館を決めておいて、そこには観光客が少ない朝の時間帯を狙って行くのが良いだろう。結局のところ、イチャン・カラの観光には十分なリサーチが必要だと思わる。ヒヴァに到着してから、城門で想定外と驚いている場合ではなかったのだ。

イチャン・カラをウロウロと歩いていたところ、たまたま木工工房の前を通り過ぎた。ウズベキスタンのモスクには木製の柱やドアが多用されているが、どれも緻密な彫り物である。この手の工房は見学無料と言っても手ぶらでは帰りにくいので敬遠しがちだが、昨年、ブハラのボロハウズ・モスクに感動したので入ってみる事にした。いくらなんでも木柱を買わされることはないだろう。

ちょうど職人さんが作業中だった。写真を撮らせてもらい、完成品の柱やドアを間近で眺めることができた。最後にショップを見たところ、手の込んだイスラム文様の彫り物があったので購入したかったが、まったく商売気がなく誰もいない。興味のない工房は売り手から逃げるのが大変だが、欲しい時には売り手はいない。先程の職人さんに親方を呼んでもらった。

ヒヴァはウズベキスタン随一の観光地であるサマルカンドとは組み合わせにくい街だが、かなり満足できた。僕はヒヴァに辿り着くまでに不必要な苦労をしたものの、それ以上の価値があったと思う。近隣の町には空港があるので、片道だけ国内線のタシュケント便を使えば、僕のような緩いスケジュールでも効率的な国内移動が可能だ。

今回の旅ではリサーチ不足により想定外の驚きを連発してしまった。ゆえに未だリサーチ不足が隠れている可能性もあるが、現時点ではウズベキスタンで思いつく限りの街に全て行くことができた。これにて3年連続でウズベキスタンへ行かずに済むだろう。まぁ・・・多分。

深夜特急 / サマルカンド

Silk Road from Uzbekistan Railways

Dawn on Silk Road

Midnight Express at Samarqand Station

Enjoy the Ride

僕は旅慣れたフリをしているが、実は寝台列車が苦手である。

小学生の頃に広島から東京までブルートレインに乗って以来、大人になってアムトラックに乗るまで、寝台列車を利用する機会はなかった。アムトラックではシアトルからサンフランシスコまで個室を利用したものの、延々と狭い部屋に乗っているのがイマイチだった。水回り設備も共用だったし。その後の長距離移動に際しては、昼行列車が使えない限り、全力で航空券を探すようになった。寝台列車としては、オリエント急行に乗車したのが唯一の例外だが、あれは歴史的な体験であって、移動手段ではないだろう。

僕は不眠症かつ若干の閉所恐怖症気味である。しかもイビキが酷いし、寝相も悪い。そんな僕には狭い個室はおろか、諸外国で一般的な二段ベッドの4人部屋も不可能に思われた。もちろん三段ベッドの6人部屋は論外である。

しかし、ついに避けられない時が来てしまった。サマルカンドから、もう一つの世界遺産であるヒヴァに行くには、ウズベキスタン国鉄が運行する列車に乗るのがベストである。首都であるタシュケントから、サマルカンドとブハラを経由して、ヒヴァまで向かう列車が一日に数本あるのだが、これらが全て夜行列車だったのだ。シルクロードを辿る列車旅と言えば聞こえは良いが、むしろ他に選択の余地がないのが事実である。苦手意識の強い寝台列車なので、万全の体制で乗車したい。

色々なサイトを読むと、ウズベキスタン鉄道に乗る難しさについては言及が多い。例えば、大きな駅でも発着番線の表示がなく、駅の案内放送もウズベク語のみなど。それに遅延の可能性が高く、途中駅からの乗車だと正確な発車時間が不明である。それでも昨年のウズベキスタン旅行では何とかなった。チケットさえ万全に取っておけば、今年も何とかなるだろう。

サマルカンドの最終日は、朝からシャフリサブスに行った。その後、レギスタン広場の日没、シャーヒ・ズィンダ廟群の夜景、再びレギスタン広場に戻ってライトショーと夜景を見るまで、結構タイトな1日を過ごした。そして午前1時前にホテルをチェックアウトして駅へ向かった。

サマルカンド駅に着くと、プラットフォームに列車が止まっていた。改札の係員に確認してみたところ、一本前のヒヴァ行き列車との事。なんとなく深夜の駅の風景を撮影して過ごした。

サマルカンド駅は深夜にも関わらず、待合室には人が多い。夜行列車が多いせいだろうか。あとは人の流れを見て動けば良いだろう。コーヒーとホットドッグを買って、乗るべき列車が来るまでの時間つぶしをした。

タシュケント行き列車に乗る人が動いて以降、静かな時が続いた。先程コーヒーを飲んだにも関わらず、眠くてウトウトしてきた。この日は長い一日だったのだ。

暇を持て余し、眠気覚ましがてら午前2時くらいにホームへ行くと、列車が止まっていた。ボーッとしながら見送った後、その列車がヒヴァ方面に走っていった事に気付いた。

慌てて改札の係員の元へ行ったところ、たった今、乗る予定だった列車が定時で出発したとの事。もう絶望しかない。代替策を考えようとしたが、ちょうどウズベキスタン国鉄のサイトがメンテナンス時間で使えなくなっていた。いずれにしても翌晩の列車まで待つのは時間の無駄なので、とりあえずタシュケントまで行って、国内線の航空便に乗るのが良いだろうか。

文字通り頭を抱えていると、さっきの駅員さんが手を振っていた。アプリ越しで会話したところ、午前3時にヒヴァ行きがあるらしい。

そのまま切符売り場に連れていかれ、まずは乗り過ごした列車のチケットを払い戻し手続きが始まった。それよりも次の列車のチケットが欲しいのだが。カードへの返金が終わって、やっと調べて貰うと、午前3時の列車にはヒヴァまでのチケットが1枚しか残っていないらしい。

またまた文字通り頭を抱えるしかない。選択肢は二つしかないように思われた。僕だけヒヴァ行き列車に乗り、リモートで航空券と送迎の手配をして、妻をタシュケント経由にするのが良いだろうか。それとも一蓮托生で二人ともタシュケント経由でヒヴァに向かう方がマシかもしれない。まずはナローボディ機のボーイング737で1日2〜3便しか運航されていない筈である、タシュケントからヒヴァへ行く国内線のスケジュールと残席を確認したい。

そう思っていると、駅員さんが車掌さんと交渉してくれるとの事である。予想しなかった、3番目の選択肢だ。ここまで来れば荷物室でも文句は言えない。機関車に乗せてくれるなら、むしろ言い値で良い。出発直前までホームで待たされた後、妻とは別部屋ながら一等寝台に空きを見つけてくれた。

正規のチケットは購入していないので、運賃は車内で清算だと言われていた。部屋に案内された後、デッキに呼び出された。世界共通の指サインで現金を求められ、事前に駅員さんに聞いていた金額を渡す。定価の端数を切り上げたような良心的な金額だが、いわゆるテーブル下の取引だろう。

ようやく移動手段と寝る場所を確保したが、上段なので落下が怖い。日本の寝台列車には落下防止のロープがあったと思うのだが、ウズベキスタン国鉄の寝台列車には低めの柵がある程度である。しかも妻は同条件で若い女性旅行者3人と同室だったらしいが、こちらはウズベキスタンのオッサンだらけの部屋である。今から思えば、妻を犠牲にしてでも部屋を変えてもらうべきだったかもしれないが、そんな心の余裕はなかった。

世界中どこでも、オッサンはオッサンである。雑居房のような部屋は、ただでさえオッサンだらけで暑苦しいのに、熱気が上層にこもりがちで寝付けない。コーヒーにも勝っていた眠気は吹き飛び、乗車するまでに頭を使いすぎて、寝るどころではなかったが。

しょうがないので暗がりでMacBook Airを立ち上げ、Adobe Lightroomで写真の整理をして過ごした。ふと暗室でのフィルム現像とプリントを思い出した。ようやく精神的に落ち着いてきたのだろう。できれば夜行列車からの朝焼けが見たいと思えるようになった。

夜明けと共に列車はブハラに到着した。そうすると先程とは別の車掌さんがやってきた。荷物を持ってこいとの事らしい。妻の部屋に連れていかれ、ブハラから先は空室なので、自由に使って良いとジェスチャーで教えてくれた。みんな優しすぎる。

ブハラからヒヴァまでは更に5時間くらいの乗車になる。ここから先は下段なので安心して睡眠できた。僕が寝たり起きたりを繰り返しているうち、列車はシルクロードを更に進んでいった。眠るのが勿体ないほど、見慣れない光景である。車窓からのシルクロードを撮影して過ごした。

やはり僕が旅慣れているのは、フリだけだった。

高きに登る / シャフリサブス

Ak-Saray Palace

Dor-us Siyodat

Dor-us Siyodat

Dor-ut Tilovat Ensemble

昨年9月、ついにウズベキスタンのサマルカンドへ行った。その時、サマルカンド近郊にあるシャフリサブスという歴史的な街が気になったものの、一人旅の自由旅行とは言え、日程的な制約があった。

次回ウズベキスタンに行く機会があるか不明だったので、サマルカンドを満喫するか、予定を詰め込んででもシャフリサブスに行くべきか悩ましかった。儒教の書物に、物事の順序として「高きに登るは必ず低きよりす」とあるものの、あえて何かに登るべきか定かではなかったのだ。

サマルカンド滞在中すらも登るべきか否かを考えていたが、写真撮影がメインの旅だったので、結局、じっくりとサマルカンドを見る事を優先した。シャフリサブスについては限られた情報しかなく、何があるか分からない高きに登る前に、まずは低き足元を固めるべきだと思ったのだ。

まったくの想定外だったが、結果的に2年連続でウズベキスタンへ行く事になった。妻は初めてのウズベキスタン旅行なので、随一の観光地であるサマルカンドを外すわけにはいかない。ただしサマルカンドで見るべき場所は把握しているので、昨年のように余裕をもった日程を取る必要はない。そろそろ高きに登る頃合いだろう。今年こそシャフリサブスに行く事にした。

改めてネットなどで調べてみたが、シャフリサブスへの行き方に関する情報は少ない。現地でグループツアーを探すのが簡単なのだろうが、写真撮影をメインに考えると行動の自由が欲しいし、そもそも僕はガイド付きの集団行動が苦手である。他には地元の乗り合いバンを利用してシャフリサブスへ行く方法もあるらしいが、かなり混みそうだし、乗り場までの移動が面倒くさく、時間も無駄になる。

高きに登れる安易な方法はないだろうか。

ウズベキスタンは天然ガス産出国で、車も安価なメタンガスを燃料としている。ゆえにボッタクリさえなければ、タクシーは安い。もっとも僕が価格交渉力を発揮できるのは会社だけであり、街で料金交渉するのは、それこそ時間の無駄だろう。そこでホテルにタクシーの手配を依頼する事にした。いずれにしても2人で行けば費用的には負担が少ない筈である。

会社での経費管理は単価を指標としているので、2人で行けば費用的に半額だと感じてしまう。しかし家計という観点からすると、結局のところタクシー代としての負担は同じだった。それに気付くこともなく、ホテルから見積もりをもらった。

ウズベキスタンには旧ソ連文化が残っているせいか、白タクが横行している。駐車場などで自家用車にタクシーの行灯を取り付けているオッサンを何回も見たので、そもそも許認可制度すらない可能性もある。いずれにしても配車アプリ以外は交渉制で、相場はあっても定価はない。ここに至って、やっとタクシー代のマジックに気付いたが、往復運賃に待機料金を考えると妥当そうな金額であると思う事にした。見積りを依頼した時点で前のめりになっており、既に高きに登る一歩を踏み出しているのと同じである。これが街で価格交渉力がない所以だろう。

当日やってきたドライバーは、想定通りホテル関係者の知人と思われるオッサンだった。僕がホテルの人に現金を渡し、そこから彼に現金が渡る仕組みである。その間に数枚の紙幣が抜き取られている筈だ。それが外国人料金相場と現地人料金相場の差額だろう。そこは手配料と考えるしかない。

サマルカンドとシャフリサブスの間にはタフタカラチャ峠がある。かなりの峠道を越える途中、タジキスタンとの国境であるザラフシャン山脈を見られるらしいので、快晴の日を選んだ。途中のビュースポットで止まってもらったところ、遠くの山には雪が見えた。タシケント行きの飛行機からも天山山脈の雄大な雪景色が見られたが、これらは5月に来たメリットだろう。

しかしシャフリサブスに着くと、そんなメリットを忘れるような暑さと日射しだった。シャフリサブス歴史地区内は過剰に開発されており、世界遺産の危機遺産に指定されてしまっている。そのせいで周囲の街並みとは人工的に隔離されており、地区内には飲食店が少なくて休憩どころではない。以前にベトナムのフエ王宮で酷暑に負けたのを思い出した。

危機遺産ではあるが、過剰に開発されているのは歴史地区内のインフラであり、遺跡など建築物自体の修復は適度で風情があった。シャフリサブスはサマルカンドより観光客が圧倒的に少なく、写真撮影もしやすかった。

とはいえ、観光客の少なさは見所の少なさ故でもあり、ほぼ公園と化してしまっている歴史地区もあいまって、昨年であれば半日を無駄にしたと思った可能性もある。しかしザラフシャン山脈の雪景色と併せ、今年の僕には満足の行く小旅行だった。

低き足元を固めてから、高きに登った甲斐があったのだろう。

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