もんてねぐろのおもいで

クロアチアからはバスで国境を越え、モンテネグロに移動した。クロアチア最終日が予報に反して快晴であり、かなり期待してモンテネグロに向かったのだが、今回の夏休みは甘くなかった。ドブロブニクでバスに乗車したあたりから雲行きが怪しくなり、国境地帯に着いた頃には小雨になっていた。

前日に通過したクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境は検問所が1か所に集約されており、かつ往復ツアー客しかいなかったせいか、車両から降りずに通過できた。一方でクロアチアとモンテネグロの国境は両国の検問所が離れており、しかも路線バスだったせいか、2回ともバスから降りてパスポート審査を受ける必要があった。さらにモンテネグロ側の検問所の設備があまり良くなく、雨を避けるスペースが少ない。 週末だったせいか、国境通過に合計1時間半以上かかり、かつ濡れてしまった。

それは暗い嵐の夜だった。東欧チックな重い雰囲気が漂うバスに、延々と揺られて過ごす。窓の外は漆黒のコトル湾であり、徐々に暗い気持ちになっていった。北海道の雪道では中島みゆきを聴いていたが、モンテネグロの夜道には鬼束ちひろが似合った。

結局、バスは1時間ほど遅れてモンテネグロのコトルに到着した。今回の旅では旧市街にある民泊を利用した。これがパリなら無理矢理にでもアパルトマンと呼ぶような建物だが、モンテネグロだと裏路地にある古い家である。更に暗い気持ちになって食事に出かけた。

翌朝、起きると妙に暗い。路地に面した民家なので、基本的にはガラス窓に付いている木戸を閉めているらしい。窓を開けてみると、やはり小雨が降っていた。この日は日曜だったので午前中の教会見学はできないだろうと予想し、木戸を閉めて、遅くまで二度寝していた。

午後になって外へ出ると、街は大混雑していた。雨は止んでいたが、曇天である。まずは教会見学すべく街へ出た。

僕と神様の関わりは極めて乏しく、北海道の神様とか、SLの神様が関の山である。八百万の神々というよりも、都合の良さそうな神様という程度でしかない。それでも旅行先では宗教施設は多く訪れている。

コトル訪問が夏休み旅行の主目的だったが、前回、この街で正教会に魅せられたのだ。この街に聖ルカ教会という、モンテネグロ正教会の古くて小さな聖堂がある。同じ正教会でも、隣にある聖ニコライ教会の方が大きくて豪勢なのだが、僕は質素な聖堂に見入ってしまった。この数年後にブルガリアで正教会の修道院を訪問するきっかけになったのだから、かなりのインパクトだったのだろう。

コトル旧市街は路地の入り組んだ小さい街で、地図を見るよりも、ぶらぶら歩いている方が分かりやすい。人の流れに従って歩いているうちに、街の地理を思い出すことが出来た。しかし日中は人が多く、商店を冷やかすくらいが関の山だった。

午後も遅い時間になって人が減ってから、本格的に教会の見学を開始した。どこの教会でも隅の方に座って眺めていると、時折、観光客のいない静寂が訪れた。じっくり5か所くらい教会を訪問することができた。最後に聖ニコライ教会の日曜夕礼拝の時間と重なり、これまた片隅に立って見学していた。

翌日が実質的な夏休み最終日だったのだが、やっと晴れた。コトル城壁の外に山があり、そこから旧市街を見下ろすことが出来る。今回の旅では天気を信じられなかったので、早朝に出発することにした。途中のビュースポットまで登ったところ、まだ街が山陰になっていた。ベンチに座って時間をつぶし、4組くらい観光客の記念撮影に協力したところで、ついに旧市街に光が当たった。コトルの旧市街自体はドブロブニクより小さいが、峻険な山に囲まれていて、壮大な景色を眺めることができた。

最終的に山頂まで登ったところ、iPhoneによると80階くらいの登坂量らしい。帰りも同じ道を下るのだが、むしろ足や膝への負担は下りの方が多いように感じた。

宿に戻った時には昼過ぎだった。近くに流行っているピザ屋があり、スライス数枚とビールを買って昼食代わりにした。さすがに疲労困憊で、そのままウトウト昼寝。

夕方、最後に街を散歩しようと思って出かけたが、先程の登山が効いたのか、膝が痛い。歩くのが億劫になり、港のベンチに座って、夕暮れのコトルを眺めていた。周囲に広がる山々、そこからの澄んだ水が静かな水面のコトル湾に注ぐ、なんとも印象的な街である。来た時には漆黒だったコトル湾が、いまは青い水を湛えている。

ドブロブニクからの日帰りツアーなど、一般的には数時間の滞在しかしないような街だが、丸2日を費やし、じっくり楽しむことが出来た。

今年の夏休みは、爽やかで眩しい太陽があるアドリア海を楽しめるだろうと思っていた。結局、度々の悪天候と予期せぬ出来事に見舞われ、今年の夏休みは決して楽なものではなかった。それでも、ドブロブニクとコトルの両方で2日間晴れた。これで満足し、終わり良ければ全て良しと結論づけるべきだろう。

旅に出なければ、このように前向きな結論に達することはないのだが。

ぼすにあ・へるつぇごびなのおもいで

クロアチアに到着した直後、ドブロブニク旧市街の城壁でゲリラ豪雨に遭遇し、同日午後の数時間だけで2回も入場料を払った。しかし初日の悲劇は合計11,000円を超える入場料だけではなかった。

ピークの8月を外したものの、ドブロブニクは混雑しており、レストランの予約が取りにくかった。週末の夜は予約が困難だったので、平日だった到着当日にミシュラン掲載の高級レストランを予約していた。今回の旅行で最もオシャレかつ高価なレストランで優雅に食事を楽しんでいると、WhatsAppに連絡が入った。

土壇場で他の客のキャンセルが発生したため、翌日のボスニア・ヘルツェゴヴィナへの日帰りツアー催行を取り止めるとのことである。それも既に21時過ぎの話だった。

前回の訪問時、ドブロブニクから日帰りツアーで訪れたボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスクが印象的だったので、新たに入手した広角レンズを持って再訪するのを楽しみにしていたのだ。行きたかったモスクは2か所あり、1か所は有名観光地であるモスタルなので一般バスでも行ける可能性があるが、もう1か所は想像もつかない場所にあった。

そもそも城壁の入場料を2回も払った時点で暗い気持ちになっていたが、この話を聞いて更に暗い気持ちになった。こういう時に限ってテスティングメニューとワインのペアリングをオーダーしており、食事自体が慌ただしい。食事中に色々と説明されるが、気もそぞろである。食事をしながら一般バスを探してみたが、どうにも見付からない。ここまで来てボスニア・ヘルツェゴヴィナ訪問を諦めるのも忍びない。クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境は目の前にあるのだ。

最後の最後にダメ元でツアーを探したところ、21時半でも翌日の予約を入れられるサイトが見付かった。半信半疑で予約を完了させたところ、すぐにWhatsAppで連絡が来た。なんと強制キャンセルされたのと同じツアー会社である。なんなんだ。

こちらのツアーは、キャンセルになったツアーと内容は大して変わらないが、メジュゴリエというキリスト教の巡礼地の代わりに、滝を見に行くらしい。行程的にモスタルの滞在時間が短くなるようだが、やむを得ないだろう。

ツアーは早朝6時半に集合だった。どうやら観光客には滝の方が巡礼地より人気があるらしく、こちらのバスは満席に近い。クロアチアを出国して、最初はクラヴィカ滝に行った。あまり期待していなかったのだが、なかなか壮観である。昨日から引き続いて天気が悪いが、これがプラスに作用したのか、遊泳者はいないのは幸いだった。遊泳区域を区切るためにブイが設置されており、写真に写りこんでしまうが、これはAdobe LightroomのAIに消してもらえばいいだろう。

1時間ほど滝で費やして、ポチテリという村へ向かった。ここのモスクが素晴らしく、再訪したかったのだ。

前日のキャンセル騒動も含めてイマイチなツアー会社で、わずか20分の滞在にも関わらず、ちょうど昼の礼拝時間直前に着いてしまったらしい。モスクを見学する際は礼拝者と同じ視線で見たいので、可能であればカーペットに座って礼拝堂内を眺めるようにしている。早々にモスクに着いて撮影を終えて座っていたら、イマームが礼拝を始めてしまった。別に出ていくように促されるでもなく、隅の方にしばらく座らせてもらっていた。胡座で座っていた老人が僕をニコニコ見ていたり、子供が歩き回っていたりと、なかなか緩いというか、世俗的で面白い。

そして最後がモスタルである。こういうツアーにありがちだが、半強制的にレストランへ連れて行かれた。あまり期待していなかったのだが、地元の伝統的な料理を頼んだところ、トマトのリゾットのようで美味しかった。一緒に頼んだ牛肉スープも黄金色で美味しい。昨夜のオシャレなレストランからすると10分の1くらいの値段だが、気分が良いせいもあるのか、こちらの方が倍くらい美味しい。

早々に食事を済ませ、この街の古いモスクへ行った。前回も礼拝堂内で座っていたのだが、たまたま居合わせたイマームに言葉をかけられた思い出がある。たしかに観光客が大声で話している中で、黙って座っている非イスラム教徒は気になったのかもしれない。

ちょうど今回は驟雨のタイミングにあたり、この国の観光名所の一つにも関わらず、まったく無人だった。撮影時間も含めて30分ほど、静かに見学することができた。しかもモスクに付随している尖塔である、ミナレットにも追加料金で登ることができた。ここまで見せてくれるモスクも珍しいのではないだろうか。

前夜にツアーのキャンセルを聞いたときは極めて沈んだ気持ちになった。結果的にはリカバーでき、短時間ながらもボスニア・ヘルツェゴヴィナ訪問を楽しむことができた。

何事も諦めないことが肝心である。普段、そんな結論には達しないが、僕は少なくとも旅行中だけは前向きになれるようである。

くろあちあのおもいで

昨年、久々にヨーロッパへ行ったが、かなり楽しめた。COVID-19の影響もあって、過去数年は短期旅行を繰り返さざるを得なかったが、昨年は比較的長期の旅行で、直行便の利用が難しい都市を組み合わせたので、移動手配に工夫を要した。旅行計画の作成が好きなので、これ自体を楽しめた。

本質的には真逆な性質なのかもしれないが、旅行中に楽しめたのは宗教施設と酒文化だった。ブルガリアでは正教会の修道院に宿泊したし、ギリシャの正教会はブルガリアとは異なる建築様式で見応えがあった。どちらの国も蒸留酒の文化があり、地元の酒を楽しめた。そして最後に訪問したドイツでは、1日に満たない滞在だったが、昔ながらのビアホールに行けた。

ウィスキー好きとしては、ヨーロッパの酒造文化と言えばスコットランドが思い付くが、前回の訪問から既に15年くらい経っている。僕がハマった頃のウィスキー業界は不況だったが、近年は人気が高く、価格が暴騰している。しかもスコッチ有名生産地のアイラ島は最果てと言っていい離島だったが、今や有名観光地となっているそうで、なんとも食指が動かない。

スコットランドの隣にはアイルランドがあり、こちらもスコットランドと並ぶウィスキー生産地だ。やや地味なせいか忘れがちになるが、アイリッシュ・ウィスキーはスコッチほど高騰していない。改めてアイルランドの地図を見ると、風光明媚な海岸線とケルトの古い教会跡が残っているらしい。しかも愛読している小説の影響で、混沌とした時代のイメージが強すぎるのだろうが、シニカルで暗いアル中気味のオッサンが多そうな国である。

シニカルで暗くてアル中気味。

僕にとっては最適な場所ではないだろうか。航空券を調べると、JALの深夜便でヒースロー乗り継ぎすると、翌朝のうちにダブリンへ着ける。帰りは飛行機かフェリーでロンドンへ移動して1泊、午前にヒースローを出発するフライトに乗れば、翌日早朝に羽田へ戻れる。

かなりスケジュールも良さそうで、早々に航空券の予約を入れた。

普段なら諸々の手配を一気に済ませてしまうが、今回は様子が違った。今年前半は不眠が悪化する一方だったので、深夜に時間を持て余していたのだが、実は航空券を取って以来、数か月ほど何もしなかったのである。たしかに蒸留所の見学ツアーの時間を調べたり、旅程最後のアイルランドからロンドン間の移動方法を比較したりと、数件の細かい調べ物はしておたのだが、各種予約はおろか、予定作成すら一切しないまま時間を浪費していた。アイルランド島内はレンタカーで移動しようとしていたので、運転が嫌いな僕としては気が乗らなかったせいもあるが、そもそも計画作成が好きなのに、ここまで何もしないのは前代未聞である。

その頃、たまたま会社で受講させられた研修によると、不眠はメンタルに良くないらしい。会社で無気力なのは以前からだが、旅行まで無気力なのは良くないサインと捉えるべきだろう。悪化してしまった不眠に対して、何らかの対策が必要かもしれない。不眠対策の新たなアプローチとして、夏休みの旅行先を変更する事にした。

ちょっとでも前向きになれる場所へ行く必要がある。シニカルで暗くてアル中気味なのとは対極の、爽やかで眩しい太陽がある場所へ行こう。

ヨーロッパで眩しい太陽を求めるのであれば、やはり大陸の南側で探すべきだ。去年はエーゲ海を見たので、残るは地中海かアドリア海だろうか。数年前、クロアチアのドブロブニクに行ったが、日帰りツアーで訪問したモンテネグロのコトルという街が気に入ったのを思い出した。アドリア海の眩しい太陽が期待できそうである。

航空券を調べなおしたところ、ANAであれば往復とも深夜便利用が可能な模様。効率的な回り方としては、クロアチアのドブロブニクに行き、そこからバスでモンテネグロのコトルに行くことにした。最後日はモンテネグロ首都のポドゴリツァ空港からウィーン経由で早朝の羽田に帰国。

夏休み初日、フランクフルト経由でドブロブニクに到着した。アドリア海の抜けるような晴天が僕を待っている筈が、なぜか雲が多い空模様である。ここまで来て初めて真面目に天気予報を見たが、滞在期間中、ずっと曇りか雨の予報だった。

多少なりとも青空が残っているうちにと思って、宿に荷物を置いて、休憩もせずにドブロブニク旧市街の城壁へ登ることにした。クロアチアで最も有名な観光地の、最も有名な観光名所である。入場料が異様に高くて35ユーロもするが、さらに円安なので日本円換算だと5500円以上になる。

入場料を払ったところで、どこかから雷鳴が聞こえた。陸側を見ると青空が残っているのだが、城壁の上から海上を眺めると曇天であり、しかも遠くには雨柱のようなものが見える。

しばらくすると雷雨がやってきた。ゲリラ豪雨かつ強風である。城壁には避ける場所などない。スーツケースを置いただけで宿から出てきたので、幸いにもリュックには折り畳み傘が残ったままだった。わずかに風を避けられる場所を見付け、退避することにした。結局、1時間ほど豪雨の下で立っていたのだが、到着初日に傘が壊れ、ずぶ濡れになった。

ようやく雨が上がり、城壁観光を再開した。1周目は撮影どころではなかったので、そのまま2周しようと思ったが、1回の入場料では1周しかできないらしい。数日先までパッとしない天気予報を考えると、この日のうちに2週して撮影しておくべきだろう。どう考えても初回の5500円を無駄にしたとしか思えない。

選択肢としては、シニカルで暗くてアル中気味なアイルランドか、爽やかで眩しい太陽があるアドリア海だった。心機一転を考えると悩むまでもない選択肢に思われたが、これならアイルランドに行ったのと大差なかった。むしろ高額な入場料が無駄になっただけ、アイルランドより悪かった可能性すらある。