旅のしおり:台湾

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

東京羽田 0840 (JAL97) >> 台北松山 1140

高鐵台北 1331 (台湾新幹線133) > 高鐵左営 1505
新左営 1556 (自強317) > 枋寮 1700

宿泊:愛琴海岸精品民宿

夕食:牛肉麺

1日目Tips
・元日のせいか、松山空港のイミグレはガラガラだった。台北駅までタクシーでギリギリを想定していたが、むしろ地下鉄利用でも余裕があった。
・元日のせいか、枋寮のレストランは休業か早仕舞い。宿の方に牛肉麺屋さんまで車で送ってもらった。ありがたい。

2日目

枋寮 0836 (快速列車) >> 潮州 0908
潮州 0927 (自強118) >> 彰化 1227

・彰化扇形庫

彰化 (バス) >> 鹿港

・鹿港天后宮
・鹿港老街
・鹿港龍山寺

鹿港 (バス) >> 彰化
彰化 1848 (普通列車) >> 新烏日 1857
高鐵台中 1920 (新幹線153) >> 高鐵左営 2005
新左営 2037 (快速列車) >> 枋寮 2156

2日目Tips
・帰ってくるまで全く忘れていたが、最初に台湾を訪問した時も鹿港を訪問していた。それなりに見どころは多いが、なんとなく記憶に残りにくい街である。個人的には台南の方が楽しめた。

3日目

枋寮 0852 (自強304) >> 高雄 0946

・高雄果菜市場

昼食:半九十茶館

・地下鉄 美麗島駅
・橋頭製糖工場
・高雄灯台

高雄2013 (自強385) > 枋寮 2107

3日目Tips
・高雄灯台へはフェリー利用、それから丘を登る。市街地から抜け出す楽しい小旅行である。

4日目

藍皮解憂号
枋寮 1025頃 >> 台東 >> 枋寮 1740頃

夕食:春日厨房

4日目Tips
・藍皮解憂号は号車指定の自由席。改札前に行列ができるので、並んで海側に座るほうが良い。
・春日村という少数民族の村で夕食。帰りにタクシーを頼んだところ、枋寮に泊まっているか聞かれた。カードキーを見せたところ、ホテルの主人と知り合いなのか、主人本人がピックアップに来てくれた。田舎ならではの素晴らしさである。

5日目

枋寮 0705 (普悠瑪162) > 高雄 0756
高雄 (MRT) > 高鐵左営
高鐵左営 0900 (台湾新幹線618) > 桃園1036
高鐵桃園 (MRT) > 桃園空港T2

台北桃園 1325 (JAL8664) > 成田 1730

5日目Tips
・台湾国鉄の意地があるのか、単なる嫌がらせなのか、最高速特急である普悠瑪は新左営 (=高鐵左営) には止まらない。
・いまいち分からないのが特急自強号の乗車ルールで、指定券無しで乗れる自強号と、強引に乗ると罰金を取られる自強号があるらしい。7:56に普悠瑪が高雄に着いた後、同駅8:06発で新左営に止まる自強号があったのだが、ルールを聞いたうえで切符を買いなおすのが面倒くさく、地下鉄に乗り換えて高鐵左営に向かった。

ふぁんりゃおのおおもいで

昨年の台湾旅行から戻り、次回の台湾訪問に向けて色々と調べていたところ、台湾南部のローカル線に太平洋を望む絶景路線があって、旧型客車を復元した観光列車が運行されていることを発見した。「藍皮解憂号」という、ちょっと気が晴れそうな列車名である。おぼろげな記憶ながら、この列車が台湾国鉄の現役の定期列車だった時代に記事を読んだ事があったのだが、起点となる枋寮のアクセスが良くなくて見送ったまま忘れていた。

逆説的だが、台湾旅行の難しさは、日本からの近さにあるのではないかと思っている。疲労を無視して深夜便を活用すると、3泊あれば東南アジアに行けるし、4泊なら北米やヨーロッパも可能だと思っている。それなりに長期の休みが取れると台湾は計画から外れがちになるが、今回は航空料金の影響で台湾滞在の日程を長く取れるので、ちょうどいいタイミングだろう。

観光列車は週末には混むと想定して、当初は平日に予約を入れておいた。太平洋を望む絶景路線に乗るのであれば、天気の良い日に限る。日本出発前に予報を確認したところ、どの予報を見ても、乗車日の台湾南部は雨の予報だった。

雨では解憂は難しいだろう。出発前日まで週間予報を見ていたが、予報は変わらない。一方、どの予報会社を見ても、日本への帰国前日は晴れの予報だった。この日に今回の旅行の全てを賭けることにした。諸々の迷惑を顧みず、お金で無理にでも解決することにして、ホテルの予約を変更し、列車の予約を入れなおすことにした。

ついに藍皮解憂号に乗る日になった。枋寮は予報通りの快晴である。

ちょっと早めに受付へ行くと、相当な人の群れに驚いた。どうやら台湾の現地バスツアーに組み込まれているらしい。チケットを引き換え、グッズを購入し、駅で列車を待っていると、改札口に行列が出来はじめた。どの程度の混雑か分からないが、鉄道車両の構造上、海側の席は半分しかない。僕も列に並ぶことにした。

この列車は台湾国鉄の南廻線を、台湾南西部の枋寮から台湾東海岸の台東まで往復する。南廻線といっても、完全に台湾島の南端まで廻るわけではなく、山間部をトンネルでショートカットして東海岸に出る。

川端康成は「長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いたが、残念ながら僕はノーベル賞作家ではないし、台湾は雪国でもない。

長いトンネルを抜けると雲翳であった。台湾を縦断するように山脈があって、ここを境に天気が変わるらしい。快晴だった西海岸で海の写真を撮らなかったのが悔やまれる。なかなか解憂には至らないまま、台東に到着した。

藍皮解憂号は一日一往復で運行されているが、復路を西海岸での日没時間帯にあわせているせいか、往復利用するとタイトなスケジュールである。台東では駅を見る時間しかなかった。東京都台東区に20年以上住んでいたので、ちょっと残念だ。

折り返し列車の乗車時刻になった。帰路も天気がイマイチである。

列車は途中駅で1時間ほど止まり、ウォーキングツアーとして原住民族の村を訪問した。この1時間の間に天気が劇的に回復した。まさに奇跡である。

乗客が再び列車に戻ると、晴天のまま、太平洋が間近で見えるビュースポットの徐行区間に到着した。

復路は乗客が少なく、中間の1両が無人での運行だった。観光列車全体がツアー会社による貸し切り運転であり、その車両単体が回送として施錠されているわけではなかった。無人の車内に立ち入ることができ、旧型客車の車窓に広がる青い太平洋を撮影できた。まさに解憂列車である。

夕刻、東海岸では山側に日が沈むが、トンネルを抜けると西海岸である。つまり山の奥に沈む太陽を眺めたのち、トンネルを抜けると、海に落ちる夕日を楽しめる。美しい光景を堪能できた。そして茜色の空を眺めながら枋寮に戻った。

日程的には出発直前に無理をし、当日ですらヤキモキさせられたが、まさに終わり良ければ全て良し。この正月休みで完全に解憂に成功した。昨年の僕はボロボロだったが、2025年は明るい兆しが見えた気がした。

かおしゅんのおもいで

今回の旅行では、鹿港への移動日を1日とっていたのだが、晴天を求めて枋寮で延泊する事にしたので、予定が空いてしまった。枋寮はマンゴーと漁業で有名らしい。漁港が好きな僕としては枋寮漁港を見に行くべきなのだろうが、予報によると、3日目も枋寮は小雨だった。多少なりとも西に行くのが良いようで、高雄は曇り程度らしい。今回は高雄へ行く予定をしていなかったが、予定変更を奇貨として、高雄を訪問する事にした。

僕は計画性の権化なので、行き当たりばったりの旅をしないようにしている。前夜に慌てて高雄について調べ始めた。一般的な観光ガイドに出てくるような、博物館や高層ビルには興味がない。色々と探し求めた結果、野菜市場、製糖工場跡、そして灯台を見に行く事にした。

長閑な田舎町の良い所なのかもしれないが、枋寮のホテルの朝食は8時からである。しかも朝食がセールスポイントらしく、かなり豪勢な朝食が出てくるのだ。あまりに多過ぎて食事時間が台湾国鉄のスケジュールとは合わないし、そもそも朝食を食べるタイプでもない。この日からはフルーツとパンだけに変えてもらった。コスト的には見合わないが、時間的には万全の体制で高雄に向かった。

高雄駅で特急を降り、まずはタクシーで野菜市場へ向かった。アジアのゴチャゴチャ市場と思いきや、かなり整然としている。市場内を何周かして撮影を終了。Uberでタクシーを呼んでランチの店へ向かった。旅の拠点を枋寮にしたため、移動時間が長くて十分な夕食時間が取れず、今回の旅行では最高級のレストランである。

優雅な昼食を終えると、地下鉄に乗って製糖工場跡へ向かった。地下鉄で行けるくらいなので近隣にあると思いきや、意外に遠かった。日本統治時代に作られて稼働を休止した工場を見学できるのだが、かなり巨大である。当時の機械類が残っていて迫力があるが、観光地というよりも廃墟に近い。むしろ僕には好ましいのだが。

最後が旗後灯台 (高雄灯台) である。地下鉄で市内に戻り、フェリーに乗船して向かう。こちらも日本統治時代に作られたものらしいが、手が入っていて美しい状態を維持している。天気が悪いながらも、夕暮れになれば、写真的には気にならない。

こちらは製糖工場とは比較にならないほどの観光地である。平日だったにも関わらず、なかなか人が画角から外れるタイミングを取りにくく、結構な長居をしてしまった。夜景まで堪能して再びフェリーで街に戻った。

帰りの電車まで時間があったので、パイナップルケーキを買いにベーカリーへ行くことにした。色々な受賞歴のある有名店らしいのだが、アクセスがイマイチ良くない。

フェリーを降りるとタクシースタンドがあって、ちょうど1台止まっていた。Uberでタクシーを呼べば無難なのだろうが、鹿港での悪夢が蘇った。この手の乗車場でのタクシーは、行き先の指示や料金など、当たり外れの差が激しい。もっとも台湾のタクシーは概ね問題ないと分かっているし、いまやアプリで会話もできる。何とかなるだろうと思って乗車。

ちょっと日本語のできる、演歌好きのドライバーだった。アプリ経由で会話しつつ、演歌を聞きながら高雄の街を走る。しかもベーカリーで買い物が終わるまで待っていてくれるとのこと。ありがたい。結果的に余裕をもって高雄駅に戻ることができた。

微妙に時間があったのでGoogle Mapで探してみると、排骨弁当の店があった。駅以外で排骨弁当を買うのは初めてである。付け合わせを選べるようなのだが、よく分からないでいると、先客に注文方法を教えてもらった。先程から助けられてばかりである。

高雄駅の広場には飲食禁止と表記があったものの、弁当を食べている人が数人いた。他人がやっていれば、何とかなるだろうと思うのが日本人の性である。帰りの列車に乗る前に夕食を済ませることができた。

降ってわいたような一日だったが、幸いにも高雄では雨は降らずに済んだ。高雄で地元の人に助けてもらい、今日も終わり良ければ全て良しである。