うずべきすたんのおもいで

米沢藩の上杉鷹山は「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」との家訓を残した。

ずっと前に旅行先を探していたところ、青い巨大なイスラム建築が立ち並ぶ広場を見付けた。調べてみると、サマルカンドのレギスタン広場だった。ウズベキスタンにある世界遺産の街である。ウズベキスタン首都のタシュケントまで行って、そこから鉄道に乗れば行けるらしい。

言葉にすると簡単だが、いわゆるスタンの国であり、諸々の手配を含め、訪問しにくそうな場所である。最大の問題は日程で、羽田からの深夜便を使いこなせるような場所にはなく、しかも日本とウズベキスタンには時差が4時間しかないので、時差のマジックも通用しない。往復の移動だけで少なくとも2日を潰しそうな塩梅である。

当時だとソウル経由かモスクワ経由が便利そうで、アシアナ航空がタシュケントまで週3〜4便あると頭の片隅に入れたまま、放置されていた。その後、COVID-19による渡航制限が始まり、記憶は更に埋もれてしまった。

つまるところ「成らぬは人のなさぬなりけり」である。

ある日、その記憶の片隅に辿り着いたきっかけは、アシアナ航空と大韓航空が合併するニュースだった。アシアナ航空ならStar AllianceなのでANAにマイルが貯まるが、合併後は僕にはマイルが扱いにくいSkyTeamになるらしい。動機としては不純かも知れないが、ウズベキスタンに行く頃合いなのかと思い始めた。

丁度その頃の金曜日、バーで隣にいた客がウズベキスタンを絶賛していた。たぶん酔っ払っていた、その客の友達よりも熱心に話に耳を傾けていたと思う。たまたま店を出たのが同じタイミングだったので、僕にしては珍しく声をかけてみたところ、イスラム圏とは言え旧ソビエト連邦なので酒には寛容で、ビールだけではなく、ウォッカとワインも作っているらしい。蒸溜所がある国でワインを作っているのなら、果実系の蒸留酒であるブランデーも期待できるかもしれない。

ここまでくれば「成らぬは人のなさぬなりけり」に甘んじてはいけない。いまこそ「なせば成る」と信じる時である。そして、その週末にアシアナ航空の予約を入れた。

ホテルは予約サイトを見て決めたが、面倒くさそうなのは鉄道のチケット確保である。調べてみたところ、ウズベキスタン国鉄のチケットはネットで購入可能らしい。しかも座席番号の指定まで可能なようなので、1人がけ席のある一等車を狙う事にした。

ただし色々なサイトに早めの事前予約が必要だと書いてあるわりに、発売開始日がイマイチ良く分からない。45日前と書いてあるサイトが多かったように思ったが、50日くらい前に念の為に見てみたところ、既に発売開始になっていた。3区間を予約する必要があったのだが、一等車残り1席が1区間、一等車は満席で二等車残り数席しかないのが1区間、夜行便のような時間帯しかないのが1区間と、列車チケットの確保は完全に出遅れてしまった。しかもWebサイトではカード決済できず、ビビってアプリを入れたら決済できた。

購入後、冷静になってアプリを見直してみたところ、直近の列車には空きがあったので、列車によって発売日が異なるのかも知れないと思い始めた。数日おきに見ていたところ、いつの間にか下級種別の列車チケットが発売されていた。結局、チケットの発売開始日は分からないままだったが、ほぼ希望通りのスケジュールで繋がった。

あとは行くだけとならなかったのが、今回の旅である。出発直前にホテル予約サイトから予約確認書を印刷しようとしたところ、どうも挙動がおかしい。よくよく調べてみたところ、サマルカンドで予約したホテルが、予約サイトから消えていた。念の為にホテルへ直接メールを出したが、返事が来ない。かなり怪しいので、別のホテルを取り直した。出発数日前のことであり、あまり選択肢がなかった。

こうなると疑心暗鬼にしかならない。他の予約済ホテルにも些細な用事で連絡を入れ、自分の存在をアピールした。そしてタシュケント空港到着時にSIMカードを買おうと思っていたのだが、これまた念の為、eSIMを日本で購入してから行った。

他者に対しては疑心暗鬼になりやすいが、自らの失敗から学ばないので、出発前夜は懲りずに飲み過ぎていた。ほとんど記憶がないまま、自宅から成田経由でソウル仁川空港へ。仁川からの飛行機は期せずして北京上空へ達し、モンゴルとの国境線に沿うように西へ向かった。シルクロード感満載の飛行ルートだろう。

事前に調べた限りでは、タシュケント空港で飛行機を降りてからが最大の難関だった。ターミナル内には空港タクシーのカウンターがあるらしいが、かなり意味不明な価格設定との事。そして空港ビルを出ると、タクシーの客引きが凄いらしい。正解はアプリによる配車だが、彼らは空港内には入れないので、徒歩で空港の敷地外へ出るまでタクシーの勧誘を拒否し続ける必要がある模様。

しかし入国審査を終えて空港ターミナルから出たものの、なぜかタクシーの客引きがおらず、誰からも声をかけられない。群がるオッサン達を突き抜けて、猪突猛進で空港外の道路まで逃げようかと思っていたのだが、拍子抜けも甚だしい。

それよりもeSIMがLTEという一昔前の通信規格のせいか、LINEの送受信がおかしくなるほど回線速度が遅く、不安しかない。それでも配車アプリは使えて、タシュケント中央駅近くのホテルへ無事に到着した。

寝酒が必要だったが、旧ソ連なので酒には寛容といっても、どこでも酒を買えるわけではないらしい。近隣でビールを買える店を教えてもらい、酒屋まで外出した。

翌朝になっても疲労は抜けていない。これは流石に前々日の深酒が原因ではなく、出発2週間前にCOVID-19に感染したので、体力が戻っていないせいだろう。先行きに不安が残るが、なんとか気力で起きて、タシュケント中央駅へ向かった。

高速鉄道が取れなかったので、この日の列車は客車編成の特急である。一等車だが、ちょっと古めの座席だった。そんな座席を気にする余裕はなく、列車が発車するなり眠りに落ちた。2時間くらい寝たところで起きたら、荒涼とした原野の真ん中だった。これこそがシルクロードの景色なのだろう。車内で微睡みながら、シルクロードを更に進む。

列車は30分くらい遅れてサマルカンド駅に到着した。ここもタクシーの客引きだらけだと思ったが、わずか数人いる程度である。速攻で駅前広場へ逃げ、配車アプリを利用してホテルへ向かった。

チェックイン時間前だったが、部屋に入れてくれた。荷物を置いて、休む間もなく、レギスタン広場へ行くことにした。

乾季のせいもあって、快晴だった。青空の下、壮観なレギスタン広場を見て回った。「ティラ・コリ・マドラサ」の中にあるモスクが特に素晴らしい。レギスタン広場を一通り見たところで、一旦、ホテルへ戻ることにした。

レギスタン広場までの移動だけで1日半を費やしたが、ついに僕のシルクロードの旅が終わった。まさに「なせば成る」のである。

ウズベキスタンで上杉鷹山の教えに近付いた気がした。

みえのおもいで

今年は空梅雨に近く、早い時期から暑かった。たまたま7月に秋田県象潟へ鳥海山麓にある滝を見に行ったところ、周囲は酷暑だったのにも関わらず、滝の周囲には清涼感が漂っていた。避暑というものは標高だけが重要だと思っていたのだが、他にも手段があるのを今更ながら知った。

8月は更に暑く、夏バテ気味になったので、再び涼を求めて本格的に滝を見に行くことにした。調べてみたところ、三重県に赤目四十八滝という場所があるらしい。滝が48か所もあれば涼しいに違いない。

当日は晴天に恵まれた。当然ながら酷暑である。大して調べずに行ったところ、滝の入口からは結構な上り坂が続いていた。しかも往復で約3時間のトレッキングである。

ところで僕の科学的知見によれば、川は標高の高いところから低いところに流れる。そして滝とは川の落差の激しい場所に存在する。ゆえに、滝が48か所もあれば、相当な標高差になるのは当然だろう。トレッキングであれば、その標高差を自力で登らなくてはならない。現地に着いてからでは、気付くのが遅すぎたと判断せざるを得ない。

滝のような汗をかきながら、滝を見ながら上り坂を登っていった。残念ながら滝の水量が少なく、聞いていた程の迫力がない。むしろ汗まみれになった僕のシャツの方が迫力あるかもしれない。そういえば今年は空梅雨だったので、それが水量に影響を及ぼしている可能性は高い。現地に着いてからでは、気付くのが遅すぎたと判断せざるを得ない。

休憩を兼ねて水辺に行ったものの、たまに良い風が吹いて気持ち良いのだが、清涼感は少ない。途中でミネラルウォーターの無人販売をしていた。湧水を利用して冷やしているのだが、多少ばかり冷たい程度である。

そういえば秋田県象潟の滝は鳥海山の伏流水だった。そこまで標高の高い山は三重県と奈良県の県境にはなく、そもそも紀伊半島は東北地方ではない。秋田県と山形県の県境とでは、地理的にも気候的にも異なる。現地に着いてからでは、気付くのが遅すぎたと判断せざるを得ない。

赤目地区の旅館に泊まると、チェックイン日の四十八滝入場券で、翌日にも無料入場できる特典がある。それを活かそうと思っていのだが、清涼感のない3時間のトレッキングは気が進まなかった。滝を再訪するのは止めて、伊勢へ行くことにした。

伊勢神宮は正式な順序で参拝すべきなのだろうが、時間の関係もあって外宮参拝は見送らざるをえなかった。「時間の関係」の原因とは、つまるところ有名和菓子店の赤福本店である。想像通り、伊勢で作りたての赤福は、名古屋駅で買う赤福よりも美味しく感じた。

今回は僕にとって初めての三重県訪問だった。現地に着く前から想像が付いていた唯一のものが赤福である。結果として、三重県は手強いと判断せざるを得ない。

三重県に関する知識は皆無に近かったし、そもそも滝の周囲が涼しいと前月に知ったばかりである。慣れない事に対しては、もっと注意深く考慮すべきだった。その認識がカギだとすると、それこそが「無知は知」なのだろう。

僕は三重県で人生の深淵に近づけた。

旅のしおり:三重

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

新横浜 08:39 (のぞみ219) > 名古屋 09:56
名古屋 10:30 (近鉄特急) > 名張 11:56
名張 11:59 (近鉄) > 赤目口 12:02

・赤目四十八滝

宿泊:対泉閣

1日目Tips
・名古屋駅の新幹線ホームで、ひつまぶし駅弁を購入。それを近鉄特急で食らう。

2日目

赤目口 (近鉄) 09:00 > 名張 09:03
名張09:05 (近鉄特急) > 伊勢市 09:54
伊勢市駅からタクシー利用

二見興玉神社

夫婦岩東口 11:33 (バス) > 内宮前 12:00

伊勢神宮内宮
すし久
赤福本店

タクシーで五十鈴川駅へ
五十鈴川 14:49 (近鉄特急) > 名古屋 16:17
名古屋 16:49 (のぞみ418) > 新横浜 18:06

2日目Tips
・二見興玉神社へ最初に行ったので、最初と最後だけは順番通りに伊勢神宮を参拝できたと思う。
・週末を外したので、待ち時間なく赤福本店に入れた。

さかたのおもいで

人付き合いはおろか、そもそも人間自体が苦手なので、友人と呼べる人は少ない。職場では皆無に近いが、バーには僅かながら存在している。

ある日、そんなバーで山形県酒田市に行かないかと誘われた。その店の元常連客が、酒田に住んでいるのだ。僕の唯一の条件は、夕陽が落ちる時間帯に、日本海に沿って走る特急「いなほ」に乗ることだったが、それは織り込み済みだったらしい。こうなると即決である。

その時点で既に少し酔っていたにも関わらず、別のバーに寄ってから帰宅したが、その夜のうちに酒田のホテルを予約した。そして数週間後、特急列車の指定券も発売当日に予約した。ここまでは完璧である。

そんな熱意は、熱しやすく冷めやすい。たまたま出発前日、中学生の頃から入ってみたかった居酒屋へ行く機会に恵まれた。早朝出発にもかかわらず、結果的に3軒も飲み歩き、ベロベロで帰宅した。こうなる予感は十分あったので、飲みに行く前に荷造りまで済ませていたのは、誇らしいのか、恥ずかしいのかは不明である。

翌朝は朝一番の上越新幹線である。前夜は何時に帰ったのか定かではない程だったので、仮眠程度で起床して、良く分からないまま東京駅から新幹線に乗った。新潟駅で特急列車に乗り換えるのだが、グリーン車の海側座席をとっておいた。海を見ながら、朝からビールでも飲もうと思っていたのだ。

しかし新潟駅に着いた時には二日酔いで弱り果てており、乗り換え時間にビールを買う心の余裕はなかった。ただし同じような事を考え、かつ計画的な行動が出来る人は多いらしく、いなほ1号のグリーン車には、新潟駅発車と同時にビールやらチューハイの缶が開く音が響き渡っていた。一方、その音を合図に、僕は深い眠りに落ちた。

特急列車は快晴の日本海に沿って走っていた筈だが、結局、ほとんど車窓は見ないまま酒田駅に到着した。オーシャンビューの高級ホテルで寝込んでいるようなものであり、ある意味、究極の贅沢なのだろう。

列車内で熟睡したおかげなのか、酒田駅へ着いた時には、完全に立ち直っていた。昼食は地元で有名な寿司屋さんを予約してもらっており、それまでに回復していたので、飲酒ですら差し障りなかった。旅の重要な目的の一つを果たしたと言えるだろう。

夕食は山奥の蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。同行の友人達は、こちらがメインだったらしい。古い農家を改築したような、素晴らしい店だった。夕暮れ前に到着したところ、ヒグラシが鳴いており、徐々にセミに変わり、最後は蛙。風情のある座敷で酒と肴、最後に美味しい蕎麦を食した。ついつい蕎麦をおかわりし、なぜか酒田ラーメン店にも寄ってホテルに戻った。

そんな酒田には、写真家として有名な土門拳の美術館がある。御本人が酒田出身らしい。僕は写真系のブログをやっているので、その美術館を訪問して、何かしら学ぶべきなのだろう。

しかし土門拳写真美術館の訪問は、全力で回避する事にした。基本的に美術館の類いが苦手なのだが、それだけが理由ではない。

そもそも僕は有名な観光地で、それらしい写真を撮っているだけである。しかも土門拳らしいモノクロによる陰影表現とは対極的に、ビビットなカラー好きである。高名な写真家の作品を見たとしても、越えられない差に気が付くだけだろう。既に認識している事を、酒田まで来て実感する必要はない。

なにか逃げ道を探していたところ、庄内エリアには鳥海山の伏流水を水源とする滝が多くあることに気付いた。この旅行計画の原点であるバーの店主が、近隣の秋田県象潟の出身である。その象潟に見応えのある滝があったので、2日目、そこへ連れて行ってもらう事にした。

そしてメインのイベントとなる、帰りの特急いなほ14号の時間になった。文句ない天候である。帰りもグリーン車の海側に乗車した。酒田発が18:18で、当日の日没が19:00頃というベストなタイミングである。

前日朝の反省を活かし、この列車に向けて、前の晩から計画的に飲酒するようにしていた。例の酒田ラーメン店でもビールは飲まなかったし。

まずは酒田駅で地ビールを飲んでから、日本酒を持って特急に乗車した。日没を見ながら、列車内で日本酒3合ほど飲んだ。特急列車が新潟駅へ着いた時には、ほぼ酔っ払っていた。

この日は三連休の中日だったので、遅い時間の上り新幹線は空いているかと思いきや、新潟で大型イベントがあったらしく、若い女性で満席だった。グリーン車ですら満席に近いらしい。

それはさておき、今度こそ新潟駅での乗り継ぎ時間に越後ビールを購入できた。先程から酒臭い自分自身に引け目を感じていたのを言い訳にして、酔った勢いで隣席に客がいないグランクラスに変更。

行きの計画倒れを取り返すかのように、上越新幹線の新潟駅発車と同時にビール缶を開けた。長岡駅あたりで空缶を捨てに行った直後、気付くと新幹線は既に上野駅手前だった。人生初のグランクラス乗車だったのに、熟睡しているうちに旅が終わりかけていた。

今回の旅行では、楽しむべきところは十分に楽しめたものの、計画の実行性としては不完全だった。飲酒は元から予定の一部であり、問題ない。一番の問題は、睡眠以外の意味がないまま、列車に何度も余分な金を払ってしまった事だろう。

これこそが究極の贅沢なのだろうと思い込むしかない。

旅のしおり:酒田

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

東京 0608 (とき301) > 新潟 0810
新潟 0823 (いなほ1) > 酒田 1032

山居倉庫
・寿司屋 こい勢
関川しな織センター
・蕎麦屋 大松家

宿泊:若葉旅館 (が良いらしいが、禁煙室がなく挫折)

1日目Tips
・同行者のメインイベントは「大松」だったが、周囲の雰囲気もあわせて、完璧なくらい素晴らしかった。この店は銀座に支店があるらしいが、たぶん酒田の本店とは別世界だろう。

2日目

・漁港めぐり
元滝伏流水

昼食:まえさんzero

酒田 1818 (いなほ14) > 新潟 2023
新潟 2111 (とき88) > 上野 2238

2日目Tips
・いなほ14号は秋田始発で秋田〜酒田間も日本海沿いを走る。3月だと酒田の日没が17:30くらいなので、その時期に秋田から乗車するのも良いだろう。日本酒を持って特急に乗車し、鉛色の日本海冬景色を眺める。そして日没後の酒田で降りて、寿司屋へ行ってから、深夜の酒田ラーメン。たまりませんな。